星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)


レナード・バーンスタインピエール・ブーレーズのマーラー

 1994年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との初セッションで、マーラーの交響曲第6番をレコーディングしたピエール・ブーレーズ(1925 - 2016)。現代作曲家にして、最近は指揮者としての活躍が目立ってきましたが、マーラーの作品として最初に手をつけたのが、あまり人気のない第6番を持ってくるとは「さすがはブーレーズだなぁ(でもやっぱりね)」と思いました。

 当初は器楽作品のみというアナウンスだったと思うのですが(第1番もロマン派的な作風を残しているだけあって、やはりブーレーズには似合わないと思っていた)あれよあれよというまに6、7、5、9、1と続き、ソプラノの4、アルトとテノールの大地の歌、アルトと合唱入りの3、そしてソプラノとアルト、合唱入りの2。規模がどんどん大きくなってきました。そして、2007年4月、ベルリンにて『千人の交響曲』をライヴで取り上げ、そのままスタジオ入り ! そして2010年『子供の不思議な角笛/交響曲第10番アダージョ』をもって、マーラー全集を完結させます。

 感情の入ることのない、スコアのみを音に置き換えてゆくブーレーズのスタイル。現代音楽、もしくは現代音楽の作曲家というと、その印象は無機質で冷たく、どことなく機械的なといったようなイメージが私にはあります。ブーレーズには、その演奏そのものが現代音楽風(およそ人間業とは思えないような多角的な一面をもって)に鳴り響く立体的な構造を見せてくれる。あるいは定規をあてて書いた線ばかりの絵画のようにスッキリとした感じです。つまり絵画にしても譜面にしても、それは受け手の読みとり方ひとつで、どんな意味にも変化してしまうように、それ自体には何の意味を持たないものです。それらはただの紙に重ねられた色の集合体であり、ただの白い紙に五線が引かれた音符の並びに過ぎません。ブーレーズは聴き手に解釈を委ねるかのような無機質な演奏を行っているように思えます(サティの音楽に似てるか?)。

  ジョン・カルショウが語ったところによる「私はロマン派の音楽で、というよりはおそらくはすべての音楽で、控えめであろうことをすることを好まない。これが、あらゆる有能な指揮者たちの中でピエール・ブーレーズを最も退屈な存在だと個人的に思う理由である」に繋がるのでしょう。

 そんなブーレーズがロマン派後期から現代音楽への橋渡しとなるマーラーをどう料理するのか?それまでバーンスタインやテンシュテットといった、指揮者が感情移入する演奏に耳慣れてきたので、純粋な「マーラーの音楽」とは、一体どんなだろうかと、シリーズ第1弾の交響曲第6番のリリースには、ものすごーく期待をしていました。そしてそれは、次作を期待せずにはいられないほどの演奏だったのです。オーケストラ団員が、ブーレーズの下で演奏をすると良く口にする「蜘蛛の巣をはらった」ように聞こえ、ストラヴィンスキーの鋭いリズムを覗かせ、まさに新鮮なアプローチでした。

 そんな現代音楽風に、非常に心惹かれるアプローチなのですが、全集完成も近づいてきたこともあり、まったく正反対の演奏と聴き比べてみたくなりました。そんな折り、近所の図書館にレナード・バーンスタイン(1918-1990)の二度目の全集(アールデコで有名なエルテのジャケットをあしらったもの)があり、ここに比較視聴するチャンスに恵まれました(笑)。


 二人の共通は作曲家であることと、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督(バーンスタインの後任者としてブーレーズ。以下NPO)だったことがあげられるでしょうか。しかし性格は正反対だったようです。レニーは「指揮者にとって必要なのは、作曲家の立場に自分を置いて解釈しなおすことだ」と言い、そのタクトの元から零れる音楽は、まさに作曲家の心の中を聴いているようです(特にマーラーは)。バーンスタインの二度目の全集は1985年に交響曲第9番から始まり、1990年に死をもって未完になってしまいました。一方、ブーレーズもきっちり交響曲全集として仕上げてくれましたが、マーラーを取り上げたのは、バーンスタインの死から4年後。もしも生前から取りかかっていたら、果たしてバーンスタインはブーレーズのマーラをどのように聴いたのでしょう? もしかしたら敢えて避けていた?(レコード会社はやりそうですけどねぇ) 

 ここでも対照的なのがレニーは全曲ライブレコーディングで進める予定でいたのに対し、ブーレーズはライブの後にスタジオ・セッションというスタイルをとっています。
 感情にまかせて突っ走るレニーと、楽譜に書かれた音を正確に見通しよく音楽に組み立ててゆくブーレーズ。この両極端な指揮者兼作曲家の描くマーラーは、どんな違いを聴かせてくれるのでしょうか。

ポートレイトはドイツグラモフォンより

 グスタフ・マーラー(1860-911)は、2010年に生誕150周年、そして翌2011年には没後100年という節目となります。いまだに衰えぬレコーディングラッシュが続いています。
(2021/12/17)

ドイツ・グラモフォンによる対極的な交響曲全集
 左ジャケットはレナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)、右ジャケットはピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez)のそれぞれのマーラー全集。バーンスタインの方はレコード会社も力を入れてまとめた感がありますが(値段もジャケットも)、ブーレーズの方は「お得感」前面丸出しのボックスという感じがしました。ブーレーズの方はあれだけジャケットとかにもこだわっていたのに、なんかちょっと安っぽく感じてしまったのは私だけでしょうか? 

  残念ながらレニーの全集は、死によって完結することなく未完に終わってしまいましたが、二度の全集を完成させたアーティストはレニーのほか、ロリン・マゼールぐらいでしょうか?
 ここに収録されることになったのは、新全集では未録音となってしまった8番、大地の歌、10番は古い音源を無理矢理収録して、強引に全集としてリリースしたのでした。
 ちなみに80周年記念のジャケットは考えるマーラーと瞑想するバーンスタインが時を隔てウィーン国立歌劇場のロビーで撮ったもの。なんとなく対話しているようなレイアウトがなかなか…、でしょう?
 ブーレーズの方は交響曲を全曲レコーディングする気はあるのか?当初は器楽のみしか対象にしていなかったにもかかわらず、2007年に大作、交響曲第8番のセッションが終了し、第10番の第1楽章をライヴ・レコーディングをして、とうとう交響曲全集が完成させてくれました。

 なお、マーラーのカンタータ『嘆きの歌』は、バーンスタインは手をつけず、方やブーレーズは、20年近く前に唯一のレコードとして(しかもオリジナルの三部作として)カタログに掲載されていました。こちらもレコーディングして欲しいと思います。コンプリートボックスになるのでしょうか?楽しみなシリーズです。


 若きマーラーが当初2部からなる交響詩として完成させ、改訂の段階で五楽章形式の交響曲となり、失恋を味わい伝統的な四楽章形式の今の形になりました。『さすらう若者の歌』との連作のような関係を持っているため随所に歌心があり、わりかし短く(笑)、ロマンティックにあふれた展開。そのためマーラー入門によく推薦される曲です。約60分。
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(Concertgebouworkest Amsterdam)
指揮;レナード・バーンスタイン
Recorded on 1987.
シカゴ交響楽団
(Chicago Symphony Orchestra)
指揮;ピエール・ブーレーズ
Recorded on May 1998.
 
 この交響曲第1番を聴くときは『さすらう若者の歌』を先に聴いてから交響曲を聴くという贅沢な事をしています。嬉しいことにバーンスタイン(トーマス・ハンプソン)もブーレーズ(トーマス・クヴァストホフ)も、共にこの交響曲と関連のある歌曲集をレコーディングしてくれているからです。ブーレーズによれば、オケはスケジュールの関係で交響曲、歌曲とも異なるオーケストラを起用していますが、偶然か、歌曲は二人ともウィーンフィルを振っています。

 ブーレーズだとさらりと歌い流すようなパートでも、レニーは自らの思い入れをたっぷりと入れて、じっくりと歌を歌わせています。ライヴレコーディングとスタジオセッションという環境の違いもあるのですが、それがかえってレニー色を引き出す一因になっているのでしょう(「常識では」録り直しきかない)。ソロパートが良く聴き取れるのは、レコーディングスタッフが頑張ってくれているからでしょうか。ライヴなのに、という感じ。
 特にレニーのフィルター越しに色濃く表現されているのは第2楽章と第4楽章です。意外だったのは第3楽章でした。あの有名なチェロの旋律の扱い方が、私が思い描いていたイメージと完全に逆だったからです。このメロディはボヘミアで歌われている古い民謡「マルティン兄弟」の旋律を、そのまま借用しているとかで、日本では長調へ転調させて「グーチョキパーでなに作ろぉ」という子供番組でお馴染みのメロディです。うちの子供にマーラーを最初に聴貸せたのは、まさにこの曲の第3楽章でした。

 しかし、なんといっても第1番のハイライトは、エンディングでホルン奏者が全員立ち上がり、高らかに歌い上げる第4楽章でしょう。
 この楽章の導入となる冒頭のシンバルのヌケの良さと、ティンパニの入り方はさすがレニー!レコーディングエンジニアの音の作り方にもよるのでしょうが、レニーは中央から、ブーレーズはその位置がしっかりと確認できるように、やや左から、奥行きを感じさせるように小さめの音で入っています。 レニーのロマン的な解釈と、ブーレーズの現代音楽作曲家としてのフィルターを通した解釈。この曲ではブーレーズの演奏した方が、よりロマン的な響きに感じるという不思議な感触があります。終楽章のテンポ設定もブーレーズの方が好みです。

 私のマーラー初体験は、いろいろな本を読んだ結果、まずこの交響曲第1番で、1966年にコロンビアに吹き込んだレニーのレコードでした。その演奏と比べると、より重みを増したという感じです。

その他の演奏



 交響曲第1番が、まだ交響詩と名乗っていた頃の名残に作曲された続編《葬送》が元に、それを発展させて完成された交響曲第2番。この曲の聴きどころは、最終楽章に置かれた神秘の合唱と、エンディングの復活劇を歌った全強奏の盛り上がりに尽きるといっても過言ではありません。私は、いつもラストで涙を流してしまうし、実際、演奏者の中にも感極まって涙を流しているアーティストを何人かお見かけしました。演奏時間はギリギリCD一枚に収まる場合もありますが、テンポにより2枚に分かれてしまいます。約80分。ベートーヴェンの交響曲第9番との関連性(終楽章に合唱を加えるとか…)もあったり。
ソプラノ;バーバラ・ヘンドリックス
(Barbara Hendricks)
クリスタ・ルードヴィッヒ
(Christa Ludwig)
ウェストミンスター合唱団
(Westminster Choir)
ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
(New York Philharmonic)
指揮;レナード・バーンスタイン
Recoeded on 1987.
ソプラノ;クリスティーネ・シェーファー
(Christine Schäfer)
メッゾ・ソプラノ;ミシェル・デ・ヤング
(Michelle DeYoung )
ウィーン楽友協会合唱団
(Wiener Singverein)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(Wiener Philharmoniker)
指揮;ピエール・ブーレーズ
Recoeded on Jun 2005.
 
 ベートーヴェンの第九を意識した作品。調性こそ異なるものの終楽章での声楽。これでもかと押し寄せてくる感動の嵐。アバドの来日公演の際、歌手が最後に涙していましたが、わかります、その気持ち。

その他の演奏



 なんと演奏時間でギネスブックに登録されてしまった交響曲。確かにこの曲はマーラーの作品の中では最も長く、第一楽章だけで、ハイドンやモーツァルトの交響曲が1曲終わってしまうほどの長大さを誇っています。弟子のブルーノ・ワルターがマーラーの避暑地を訪れた際、「君はもうこの景色を見る必要はないのだよ。私が全て音楽に詰め込んだから」と言った説話が残る曲です。私がマーラーにのめり込んでいった1980年代、集めていたロンドン(デッカ)のカタログに『夏の朝の夢』という副題がつけられていました。現在ではそんなタイトルをつける習慣は無いようですが、マーラーが初演の際に全て外してしまった曲の解説につけられたタイトルは、難解で長大なこの曲を理解する上で、私的には非常に役に立ちました。約90分。
アルト;クリスタ・ルードヴィッヒ
(Christa Ludwig)
ニューヨーク・コラール・アーティスツ
(New York Choral Artists))
ブルックリン少年合唱団
(Brooklyn Boys Chorus)
ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
(New York Philharmonic)
指揮;レナード・バーンスタイン
Recoeded on Oct 1987.
メゾ・ソプラノ;
アンネ・ソフィー・フォン・オッター
(Anne Sofie von Otter)
ウィーン楽友協会合唱団
(Wiener Singverein)
ウィーン少年合唱団
(Wiener Sängerknaben)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(Wiener Philharmoniker)
指揮;ピエール・ブーレーズ
Recoeded on Oct 2001.
 ともかくこの曲のオープニングのホルンの咆哮を聴いて欲しい!こんなにもわかりやすいメロディはないと思います。これと良く似た曲としてシューベルトの交響曲第9番ハ長調『ザ・グレート』があります。こちらもホルン・ソロで始まるシンフォニー。この出だしがガツンと来るのはマーラーらしいことこの上ない。

その他の演奏



 第2番から始まった《角笛交響曲》シリーズの第三作。交響曲第3番で構成されていた楽章が、こちらの最終楽章に採用されることになり、結果的に《角笛三部作》となりました。マーラーの交響曲の中では、第1番と並んで人気なのは、演奏時間が短いこと(笑)、そして声楽がことのほか天国的な雰囲気と旋律のため。しかし、歌詞の内容は楽想の雰囲気とは裏腹…
ボーイ・ソプラノ;ヘルムート・ヴィテック
(Helmut Wittek)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(Concertgebouworkest Amsterdam)
指揮;レナード・バーンスタイン
Recorded on 1987.
ソプラノ;ユリアーネ・バンゼ
(Juliane Banse)
クリーブランド管弦楽団
(The Cleveland Orchestra)
指揮;ピエール・ブーレーズ
Recoeded on Apr 1998.
 
 この交響曲のポイントは、最終楽章におかれた声楽がどれだけ天国的な雰囲気を持っているか?そしてそれにふさわしいソプラノが担当するのか?といったところに焦点が置かれるのではないでしょうか? バーンスタインは掟破り(笑)のボーイ・ソプラノ! ブーレーズは人気歌手のユリアーネ・バンゼを起用。

~その他の演奏~



《角笛交響曲》シリーズのあとを受けた器楽のみの交響曲。第4楽章のアダージェットがことのほか美しく、編曲や単品でも演奏されることがある人気作品。およそ「交響曲」と呼ばれる作品群の中で、特に日本では副題などを含まず、純粋に番号だけで呼ばれる作品のうち、この交響曲だけはメインディッシュだけでチケットが売れるとか… (惣菜となる小品をいれると2時間超えのコンサートになるので)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(Wiener Philharmoniker)
指揮;レナード・バーンスタイン
Recorded on 1987.
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(Wiener Philharmoniker)
指揮;ピエール・ブーレーズ
Recoeded on Mar 1996.
 
 まさにバーンスタインvsブーレーズの解釈が楽しめるウィーン・フィル対決となりました。第4楽章のアダージョを甘美な香りで表現したかったからか(バーンスタインならわかるけど、まさかブーレーズも?)

~その他の演奏~



 作曲者の人生の中で、もっとも充実期に書かれた交響曲。そのため妻のアルマから怒られたとか。そういえばポール・マッカートニーも同様のことをして、当時の恋人に起こられたというエピソードがあります。この曲のオープニングの行進曲風な感じや、終楽章のハンマーなど、今までの交響曲と違い、打楽器などの活躍が目立ちます。マーラーの交響曲中、7番とともに人気のない曲。そうしたことからも、マニアの間ではマーラーの最高傑作という呼び声も。約80分。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(Wiener Philharmoniker)
指揮;レナード・バーンスタイン
Recorded on 1988.
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(Wiener Philharmoniker)
指揮;ピエール・ブーレーズ
Recoeded on Jun 1994.
 
 マーラーの交響曲中、7番とともに人気のない曲、というか、私は声楽つきの交響曲ほど好きなので、特に5~7番の純器楽交響曲群は、めだって聴くことがありません。しかし、終楽章に登場する「運命の打撃」の意味するところにより、「マーラーって凄い!」と今更ながらに手のひら変えて聞くようになってしまいました。

その他の演奏



 交響曲第5番〜第7番までは、純器楽(声楽なし)であり1時間越えの長大な作品。角笛に続く三部作と言えるのかどうか、続く第8番で大爆発する「宇宙の鳴り響く音」の直前の静かなセレナーデ。それまでは登場しなかった独奏楽器が登場するのは、指揮者マーラーの美的感覚でしょうか? この第7番ではマンドリン。約80分。
ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
(New York Philharmonic)
指揮;レナード・バーンスタイン
Recoeded on Oct 1985.
クリーブランド管弦楽団
(The Cleveland Orchestra)
指揮;ピエール・ブーレーズ
Recoeded on Nov 1994.
 
 マーラーの夜想曲といっていいでしょう。第2楽章と第4楽章にセレナードが配置され、静かで穏やかな語らいが奏でられます。

その他の演奏



 多くの方が、この交響曲に導くために1番から7番までを書いたといいます。確かに、この昂揚感や編成は、マーラーのどの交響曲をもしのぐ巨大な編成となりました。こうする必要があったためなのですが、うまく時代と合わさって空前絶後の名曲が生まれたというわけです。彼の感じた「宇宙の鳴り響く音」「天球の音楽」をまさに凡人である私も聞くことが出来るのです!ケプラーも喜ぶのではないかと思いますが、果たして…(笑)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(Wiener Philharmoniker)
ほか
指揮;レナード・バーンスタイン
Recorded on 1975.
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
(Staatskapelle Berlin)
ほか
指揮;ピエール・ブーレーズ
Recoeded on Jun 2007.

 バーンスタインの今回の全集シリーズは、レニーの死によって完成することはありませんでしたが、むりやり1975年の古い音源をくっつけて全集を完成させる強引な作戦を持ってきました(続く大地の歌も同様。ただし分売していません)。一方ブーレーズはライヴの後にセッション(!)。今の時代、こんなにもお金のかかる音楽にセッションで録るとは、ブーレーズのこだわりがレコード会社を押し切ったのでしょうか? ともかく巨大な作品にも関わらず、音はクリアで見通しの良い今の「宇宙の音」が再現されます。方やバーンスタインはカオス状態の、誕生直後の宇宙の爆発か?

その他の演奏



 私がマーラーを聴きはじめるきっかけとなったのは、交響曲第2番「復活」というタイトルに惹かれて。この「大地の歌」もしかり。ちょうどその頃はサントリーのコマーシャルにジュリーニの新録音が使われたことも手伝って、交響曲という名ばかりの歌曲集を聴きあさることになります(笑)。
テノール;ジェームズ・キング
(James King)
バリトン;
ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ
(Dietrich Fischer-Dieskau)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(Wiener Philharmoniker)
指揮;レナード・バーンスタイン
Recoeded on Apr 1966.
テノール;ミヒャエル・シャーデ
(Michael Schade)
メッゾ・ソプラノ;ヴィオレッタ・ウルマーナ
(Violeta Urmana)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(Wiener Philharmoniker)
指揮;ピエール・ブーレーズ
Recoeded on Oct 1999.
 バーンスタイン二度目の全集で、この大地の歌は、デッカでのセッション、ジョン・カルショウとのセッションを無理やりパッケージしてきました(イスラエル・フィルとのレコーディングはレーベル契約上CBSにある)。バーンスタインはアルトのパートをバリトンのフィッシャー・ディースカウに歌わせています。このパートを男声に歌わせているレコードには、サイモン・ラトル、エサ・ペッカ・サロネンがあります。

「大地の歌」のツボ



 ベートーヴェンの、その後の様々な出来事が第九のジンクスを生じ、まんま術中にハマってしまったマーラーの白鳥の歌と言われています。特に第4楽章のすがるような、諦めのようなストリングスの響きが痛々しくもまた、美しく響き、これを受け容れられれば「死」への不安は消えてなくなりそうなほど覚醒作用が強い音楽ではないでしょうか?
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(Concertgebouworkest Amsterdam)
指揮;レナード・バーンスタイン
Recorded on 1985.

シカゴ交響楽団
(Chicago Symphony Orchestra)
指揮;ピエール・ブーレーズ
Recoeded on Dec 1995.

 名曲だけに名演がひしめく中、やはりこの二人の演奏は両極端。バーンスタインは作曲家が乗り移った悪魔的な陶酔感に浸れる名演(イスラエル・フィルも基本は同じだけど、ベルリン・フィルとの演奏は、カラヤンの妨害?もあって、やや違った雰囲気、バーンスタインが宿る演奏というのか…)。ブーレーズのは第1番と同じオーケストラというところがミソか? なんかアバドに共通する解釈に感じます。音楽的なマーラー。

その他の演奏





マーラーの歌曲集には以下の作品があります。
年代順に並べると…

『若き日の歌』(1880)
『さすらう若者の歌』(1897)
『少年の不思議な魔法の角笛』(1899)
『リュッケルトの詩による5つの歌曲』(1901/02)
『亡き子を偲ぶ歌』(1901/04)

これらの歌曲のうち、交響曲に転用されたメロディがあり、それらを発見しながらマーラーの巨大な交響曲を聴くことも、楽しみ方のひとつなのです。


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ソプラノ;ルチア・ポップ
(Lucia Popp)
テノール;アンドレアス・シュミット
(Andreas Schmidt)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(Concertgebouworkest Amsterdam)
指揮;レナード・バーンスタイン
Recorded on 1987.


01. 番兵の夜の歌(Der Schildwache Nachtlied)
02. 誰がこの歌を作ったのか?(Wer hat dies Liedlein erdacht?)
03. 少年鼓手(Der Tamboursg'sell)
04. この世の生活(Das irdische Leben)
05. むだな骨折り(Verlor'ne Müh)
06. さかなに説教するパドヴァのアントニオ(Des Antonius von Padua Fischpredigt)
07. レヴェルゲ(Revelge)
08. ラインの小伝説(Rheinlegendchen)
09. 高き知性をたたえて(Lob des hohen Verstandes)
10. トランペットが美しくひびくところ(Wo die schönen Trompeten blasen)
11. 塔の中の囚人の歌(Lied des Verfolgten im Turm)
12. 不幸のときのなぐさめ(Trost im Unglück)
13. 原光(Urlicht)

Lucia Popp ; 2, 4, 5, 8, 9, 10, 13
Andreas Schmidt ; 1, 3, 6, 7, 11, 12



メッゾ・ソプラノ;マグダレーナ・コジェナー
(Magdalena Kožená)
バリトン;クリスティアン・ゲルハーヘル
(Christian Gerhaher)
指揮;ピエール・ブーレーズ
クリーブランド管弦楽団
(The Cleveland Orchestra)
Recoeded on Jun 2010.


01. 番兵の夜の歌(Der Schildwache Nachtlied)
02. むだな骨折り(Verlor'ne Müh)
03. 不幸のときのなぐさめ(Trost im Unglück)
04. 誰がこの歌を作ったのか?(Wer hat dies Liedlein erdacht?)
05. この世の生活(Das irdische Leben)
06. レヴェルゲ(Revelge)
07. さかなに説教するパドヴァのアントニオ(Des Antonius von Padua Fischpredigt)
08. ラインの小伝説(Rheinlegendchen)
09. 塔の中の囚人の歌(Lied des Verfolgten im Turm)
10. トランペットが美しくひびくところ(Wo die schönen Trompeten blasen)
11. 高き知性をたたえて(Lob des hohen Verstandes)
12. 少年鼓手(Der Tamboursg'sell)

Magdalena Kožená ; 2, 4, 5, 8, 10, 11
Christian Gerhaher ; 1, 3, 6, 7, 9, 12

13. 交響曲第10番から アダージョ

 今回のプロジェクトでレコーディングされたバーンスタインの歌曲集は2枚あります。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の伴奏で、ルチア・ポップ(ソプラノ)とアンドレアス・シュミット(テノール)を迎えて『子供の不思議な角笛』を、次いでトーマス・ハンプソン(バリトン)とは『さすらう若人の歌』『亡き子をしのぶ歌』『リュッケルトの詩による5つの歌曲』を3つをウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とレコーディングしています。

 ブーレーズは順番こそ逆になりましたが2010年に追い付きました(笑)。最初はハンプソン盤とまったく同じ選曲を3人の歌手を起用しています。トーマス・クヴァストホフ(バス・バリトン)に『さすらう若人の歌』、大地の歌で起用したヴィオレッタ・ウルマーナ(メッゾ・ソプラノ)に『リュッケルトの詩による5つの歌曲』、そして交響曲第3番のソロでも共演しているアンネ・ソフィー・フォン・オッター(メッゾ・ソプラノ)に『亡き子をしのぶ歌』をウィーン・フィルハーモニー管弦楽団でレコーディングしています。そして2010年に私のお気に入りコジェナー(メッゾ・ソプラノ)と『子供の不思議な角笛』を未完となった交響曲第10番とカップリングしてレコーディング。

 両者の聴きどころは、ブーレーズがハンプソン盤とまったく同じ選曲を、男声、女声の3人の歌手を起用していますから、雰囲気の違いが楽しめるということでしょう。かつてディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウが、ダニエル・バレンボイムのピアノ伴奏(EMI)でなかば全集をレコーディングする際、『亡き子をしのぶ歌』だけがリストから外されたことがありましたが、(レコードの時代だったから)中途半端な時間になるので省いた、などと説明していたことがありました。

 ちなみにバーンスタインは、クリスタ・ルードヴィッヒ&ヴァルター・ベリー、そしてディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウの3人を迎え、1968年にピアノ伴奏で歌曲集を録音をしています。そこには『こどもの不思議な角笛』を(交響曲第2番第4楽章の“原光”を含む)13曲、そして『若き日の歌』を11曲含む、他では聴くことの出来ないプログラムが組まれ、マーラーファンには必聴の作品集となっています。そしてバーンスタインの卓越したピアノ演奏も楽しむことが出来ます。

 





 マーラーの音楽は、歌曲に集約されていると言ってもいいのかもしれません。交響曲の中に歌曲のメロディが歌われ、歌曲の中に交響曲のメロディが顔を出し… それぞれが相互的関係にあり、長大な交響曲の中で歌曲のメロディを見つけたとき、その逆もまた、マーラーの音楽の愉しみなのです(えっらく時間が掛かる…)。

 バリトンのトーマス・ハンプソンは大のマーラー・フリーク(クラシック界で、こういう表現はあまりしないなぁ)としてしられていますが、マーラーの記念年にあたる2011年にも興味深いアルバムをリリースしていました。しかし、それ以前にも「フリーク」と呼べるような面白いアルバムをリリースしているのです(こちら)。
バリトン;トーマス・ハンプソン
(Thomas Hampson)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(Wiener Philharmoniker)
指揮;レナード・バーンスタイン
Recorded on 1988.

『さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)』
恋人の婚礼の時(Wenn mein Schatz Hochzeit macht)
朝の野を歩けば(Ging heut' morgens übers Feld)
僕の胸の中には燃える剣が(Ich hab' ein glühend Messer)
恋人の青い目(Die zwei blauen Augen)

『亡き子を偲ぶ歌(Kindertotenlieder)』
いま晴れやかに陽が昇る(Nun will die Sonn' so hell aufgeh'n)
いま私はわかった なぜそんな暗い炎を(Nun seh' ich wohl, warum so dunkle Flammen)
おまえたちのおかあさんが戸口から歩み入るとき(Wenn dein Mütterlein)
よく私は子供らはただ散歩に出かけただけだと考える(Oft denk' ich, sie sind nur ausgegangen)
こんな嵐のような天候の中で(In diesem Wetter!)

『リュッケルトの詩による5つ歌曲(Rückert-Lieder)』
美しさゆえに愛するのなら(Liebst du um Schönheit)
私の歌を覗き見しないで(Blicke mir nicht in die Lieder!)
私は仄かな香りを吸い込んだ(Ich atmet' einen linden Duft)
真夜中に(Um Mitternacht)
私はこの世に捨てられて(Ich bin der Welt abhanden gekommen)





バス・バリトン;トーマス・クヴァストホフ
(Thomas Quasthoff)
メッゾ・ソプラノ;ヴィオレッタ・ウルマーナ
(Violeta Urmana)
メッゾ・ソプラノ;アンネ・ソフィー・フォン・オッター
(Anne Sofie von Otter)
指揮;ピエール・ブーレーズ
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(Wiener Philharmoniker)
Recoeded on Jun 2003.


『さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)』
恋人の婚礼の時(Wenn mein Schatz Hochzeit macht)
朝の野を歩けば(Ging heut' morgens übers Feld)
僕の胸の中には燃える剣が(Ich hab' ein glühend Messer)
恋人の青い目(Die zwei blauen Augen)
Thomas Quasthoff

『リュッケルトの詩による5つ歌曲(Rückert-Lieder)』
私の歌を覗き見しないで(Blicke mir nicht in die Lieder!)
私は仄かな香りを吸い込んだ(Ich atmet' einen linden Duft)
美しさゆえに愛するのなら(Liebst du um Schönheit)
私はこの世に捨てられて(Ich bin der Welt abhanden gekommen)
真夜中に(Um Mitternacht)
Violeta Urmana

『亡き子を偲ぶ歌(Kindertotenlieder)』
いま晴れやかに陽が昇る(Nun will die Sonn' so hell aufgeh'n)
いま私はわかった なぜそんな暗い炎を(Nun seh' ich wohl, warum so dunkle Flammen)
おまえたちのおかあさんが戸口から歩み入るとき(Wenn dein Mütterlein)
よく私は子供らはただ散歩に出かけただけだと考える(Oft denk' ich, sie sind nur ausgegangen)
こんな嵐のような天候の中で(In diesem Wetter!)
Anne Sofie von Otter

 このアルバムでは、バーンスタインもブーレーズも同じ曲集を収め、順番が異なる他に、バーンスタインはバリトン一本! ブーレーズは豪華に3人のソリストを迎えています。

その他の演奏




リリース順は以下のとおり
1.交響曲第9番/CA(Jun/1985)
2.交響曲第7番/NPO(Nov/Dec/1985)
3.交響曲第2番/NPO(Apr/1987)
4.交響曲第4番/CA(Jun/1987)
5.交響曲第5番/VPO(Sep/1987)
6.交響曲第1番/CA(Feb/1987)
7.交響曲第3番/NPO(Nov/1987)
8.交響曲第6番/VPO(Sep/1988)
9.交響曲第2番/VPO(Jun/2005)
10.交響曲第8番/BNR(Apr/2007)
1.交響曲第6番/VPO(May/1994)
2.交響曲第7番/CO(Nov/1994)
3.交響曲第5番/VPO(Mar/1996)
4.交響曲第9番/CSO(Dec/1995)
5.交響曲第1番/CSO(May/1998)
6.交響曲第4番/CO(Apr/1998)
7.大地の歌/VPO(Oct/1999)
8.交響曲第3番/VPO(Oct/2001)
9.交響曲第2番/VPO(Jun/2005)
10.交響曲第8番/SB(Apr/2007)




バーンスタインとブーレーズ
 対照的な二人でも、マーラーに懸ける情熱は同じようなものなのでしょう。マーラーと同じユダヤの血が流れるバーンスタイン。バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、マーラー、ウェーベルン、シェーンベルグ、そしてブーレーズへと流れる音楽の源流の中にいるブーレーズ。)また、この二人はNPOの音楽監督を受け継ぐ形で接触をしています。

 1958年にバーンスタインを音楽監督に迎え入れましたが、1969年、ヨーロッパ征服を切望していたバーンスタインは、マーラーの没後記念日にポストを辞任、その後任としてブーレーズが音楽監督に迎えられました。この二人の接触はここから始まりました。ブーレーズの就任に際し、その手助けをしたのが、推薦者のジョージ・セルとオットー・クレンペラーという、当代きっての頑固者二人。クレンペラー曰く「抜群の指揮者であり、抜群のミュージシャンでもある、この世代の中では最適な人」だそうです。

 当時、「ブーレーズは百音のコードの中のただ一つの間違ったイントネーションも聞き分けられる耳を持っている」と尊敬され、バーンスタインの後任として指揮台に上がるや、くもの巣を払うかのように、NYPは濁りのない澄んだ音を出すようになりました。

 この二人の性格の違いを物語るエピソードを読むと、確かに性格の全く違った二人が浮かび上がってきます。ブーレーズ就任後、ニューヨークタイムズは面白い記事を掲載しています。
汗まみれで包容するバーンスタインの後に、誰にもキスしない、超然として距離をおく、禿げかかっているブーレーズを迎えることになった。『氷人指揮したり』」これはユージン・オニールの戯曲『氷人来る』もじって書かれました。

 官能主義で社交的、冗舌で激しく、大きな音で派手に鳴らし身体全体で指揮をするバーンスタイン。ブーレーズはそれを「ノスタルジア」と批判し、自身は禁欲的で厳格、寡黙で冷静、指先で指揮をする。「指揮棒を持つと凍りつくようなんです」。また、両者の相違点を見つけるにはスコアを見れば充分明らかで、バーンスタインはスコア一面に大きな文字で急いで書き込んだり消したりしていますが、ブーレーズは五線の間に小さな文字できちんと丁寧に書き込む、といった具合。

 ブーレーズは好んで「名曲を指揮するときに、何が重要かというと、汚れを落とすことだ」と語っていましたが、彼の演奏を聴くと、どれも見通しの良い、今まで聞こえなかった音までもがクリアにスピーカーから聞こえて(残念ながら実演の体験はありません)くるので、まさに「蜘蛛の巣をはらった」ような演奏と言えるでしょう。
参考書『巨匠神話』(ノーマン・ブレヒト著)
『レコードはまっすぐに』(ジョン・カルショウ著)
『名盤鑑定百科』(吉井亜彦)



マーラー全集を成し遂げた指揮者たち(2010年まで)
♪モーリス・アブラヴァネル&ユタ交響楽団(1963-1974)
 (Maurice Abravanel/Uta Symphony)
♪ベルナルト・ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1966~1972)
 (Bernard Herman Haitink/Concertgebouworkest Amsterdam)
♪ラファエル・クーベリック/バイエルン放送交響楽団(1967~1971)
 (Rafael Kubelík/Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks)
♪ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団(1970~1983)
 (Georg Solti/Chicago Symphony Orchestra)
♪ヴァーツラフ・ノイマン/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(1976-1982)
 (Václav Neumann/Českáfilharmonie)
 90年代に二度目の全集録音を始めましたが、巨匠1995年に倒れ、かないませんでした。
♪クラウス・テンシュテット/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1977~1986)
 (Klaus Tennstedt/London Philharmonic Orchestra)
♪クラウディオ・アバド/シカゴ交響楽団ほか
 (Claudio Abbado)
♪ロリン・マゼール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1982-1989)
 マゼールだから出来た(完成)と言わざるを得ないウィーン・フィルによる全集。
♪エリアフ・インバル/フランクフルト放送交響楽団(1985-1992)
 2010年現在、東京都交響楽団と二度目の全集をレコーディング中
♪ガリー・ベルティーニ/ケルン放送交響楽団(1984-1991)
♪サイモン・ラトル/ボーンマス交響楽団、バーミンガム交響楽団(1980-2004)
♪リッカルド・シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ベルリン放送交響楽団(1986-2004)
♪ジュゼッペ・シノポリ/フィルハーモニー管弦楽団(1985-1994)
 (Giuseppe Sinopoli/The Philharmonia Orchestra)
♪ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツ放送交響楽団(1988-2003)
♪若杉弘/東京都交響楽団(1988-1991)
♪エフゲニー・スヴェトラーノフ/ロシア国立管弦楽団(1990-1996)
 (Yevgeny Svetlanov/The State Academic Symphony Orchestra of Russia)
♪ロリン・マゼール/ニューヨークフィルハーモニー管弦楽団(2003-2009)
 二度目の全集は音楽監督を務めたNYPとのライヴレコーディング。
 作曲者が音楽監督を務めた二つのポストを指揮したことになります
♪マイケル・ティルトン・トーマス/サンフランシスコ交響楽団(2003-2009)
♪デイヴィッド・ジンマン&チューリヒ・トーンハレ管(2005-2014)
♪ジョナサン・ノット&バンベルク交響楽(2003-2011)
 (Jonathan Nott/Bamberger Symphoniker)
♪マルクス・シュテンツ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団(2009-2014)
 (Markus Stenz/Gürzenich-Orchester Köln)
♪パーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団(2007-2013)
 (Paavo Järvi/Radio-Sinfonie-Orchester Frankfurt)
♪ワレリー・ゲルギエフ&ロンドン交響楽団(2007-2011)
 (Valery Gergiev/London Symphony Orchestra)


 私にはマーラーの交響曲を全曲、生で体験したいという夢があります。今のところシノポリが東京芸術劇場のこけら落としで行った全曲演奏会の中の交響曲第8番と、アバドがサントリーホールで行った第2番。なかなか実演では取り上げられない大物ばかり(笑)。どちらも音の洪水に圧倒されました。

マーラーの活躍していた頃の天文学史・音楽史

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