星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

  交響曲第9番のジンクスに悩んだマーラーはあえて番号をつけないでこの曲を作曲しました。しかし、その形式たるや交響曲の枠をはみ出て(第8番でも実践済み)、なんと6楽章にも及ぶ歌曲群として誕生することになります。

 この曲の聴きどころは、なんといってもオープニングのファンファーレに始まって、テノールが被さってくるところの勢いではないでしょうか?私なんぞは、バーンスタイン/VPOでノックアウトされて以来、すっかりこの曲にはまってしまいましたが、今のところバーンスタイン盤を超える演奏には巡り会っていません。このレコード(正確にはラジオ)を最初に聞いたのは、おそらく1983年のこと。レコーディング自体は、その時点から17年も前。私が生まれる前の録音ということになります。ジェームズ・キングの脂の乗った発声、バーンスタインのこれでもかとVPOを煽るかのようなキレのすさまじいこと!

テノール;ジェームズ・キング
バリトン;ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮;レナード・バーンスタイン
Recoeded on 1966
メッゾ・ソプラノ;ヴィオレッタ・ウルマーナ
テノール;ミヒャエル・シャーデ
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮;ピエール・ブーレーズ
Recoeded on Jun 1999
 バーンスタインはこの曲を1966年と1974年の2回レコーディングしています。66年はそれまでレーベル契約のなかったデッカ(カルショウのプロデュース)と男声2名という異色な組み合わせ(ただし、マーラーはこの組み合わせでも演奏可能としている)。この当時はオーケストラがレーベルと契約を結んでいたので、ウィーン・フィルを振るにはレーベルがデッカでなければなりませんでした。1974年はイスラエル・フィルと通常の男声(テノール)と女声(アルト)でレコーディングしています。世の評価は断然前者の方が高く、後者はレコーディング風景が映像で残されているので、どんな感じでバーンスタインが解釈するかを垣間見ることができます。クリスタ・ルードヴィッヒとのやりとり(言い争い?)は必見かもしれません(笑)。
 ブーレーズがまさか「大地の歌」をレコーディングするとは思っても見ませんでしたが、ウィーン・フィルの優しいサポートを得て非常に美しい減の響きを堪能することができます。この時期にマーラー・チクルスを遂行していますが、シカゴ響あたりでレコーディングしてもらいたかったぁ、と思っています。




オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団(1964)
 多くのレコード解説者が、この曲を一番に上げていると思います。私もバーンスタインを選べないのであれば、クレンペラーのこのアルバムをチョイスします。この頃のEMI録音は良かった。オーケストラも器楽曲も。


♪大地の歌のツボ「オープニングとエンディング」♪
フリッツ・ブンダーリッヒ(テノール)
 
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
 






 マーラーのような巨大な編成の作品にワンポイントレコーディングという方法でチクルスを完成させたインバル。最後にこの曲に挑みました。今回のチクルスの、どの交響曲でもそうですが、日本のシステムの素晴らしさをこの録音でうかがい知ることができます(インバルがチョイスしただけのことはある)。


♪大地の歌のツボ「オープニングとエンディング」♪
ペーター・シュライヤー(テノール)
 シュライヤーがマーラーとは異色だなぁ、と思いますが、おそらく彼がマーラーを歌っているのは大地の歌以外にはないのではないかと思います。なので、しっかりと美声を聞きたいところです。
ヤルド・ヴァン・ネス(メゾ・ソプラノ)
 この世の別れを惜しむように… 永遠に… 永遠に…



 
大地の歌/ピアノ伴奏
 1987年に、この曲のピアノ伴奏の楽譜が見つかったニュースは、たいそう衝撃的な驚きを持って受け止められたような気がします。まだ、マーラーを聴きはじめてから時間も経っていなかったので、その大きさたるや理解できませんでしたが、テレビで本邦初演が日本で行われる、というニュースには驚きました。その時の伴奏者はウォルフガング・サバリッシュという人選(この人、マーラーなんて演るの?って)が、そもそも私にとっての驚きだったのです。
「えー、指揮者なのに!」って感じで。ヴォーカルの2名は、アバドの第九(1986)で揃って歌ってましたね。

初演:1989年5月15日
場所:国立音楽大学講堂(東京)
テノール:エスタ・ヴィンベルイ
メゾ・ソプラノ:マリャーナ・リポフシェク
ピアノ:ウォルフガング・サバリッシュでした。

 さて、この版が初めてレコーディングされたのは、ベートーヴェン/リスト編曲の交響曲ピアノ版でマニアックなファン以外にも名が知られるようになったシプリアン・カツァリスが伴奏を務めたアルバムでした(海外版は声楽の2名がジャケットになってます)。その後も幾つかのレコーディングは存在するようですが、私の知る限りでは、どういうわけか日本人の演奏ばかり。平松英子(ソプラノ)と野平一郎(ピアノ)の二人による演奏で、ソプラノが独唱する変わり種のレコード(テノールのカウマンの先駆けですね)と西松甫味子(ソプラノ)と伊達英二(テノール)と古川泰子(ピアノ) という正統派(?)の2枚。

 そして久々にピアノ版でリリースされたのが、なんと男声2名のレコードです。




 


 

 ~ 以下に、通常はアルト(女声)のパートをバリトンでレコーディングしたディスクを紹介します ~

 

パウル・クレツキ/フィルハーモニア管弦楽団(1959)
 男声2名による『大地の歌』の最初のレコーディングはバーンスタインだと思っていたら、もっと昔にレコーディングが行われていたんですね。音源は更に古くなっていくので、純粋に音楽に没頭するのであれば、もっと新しいレコーディングが良いのではないでしょうか。私のような古い音源に天文現象と重ね合わせて、別の楽しみ方をする向きには、この程度の音は「音が良すぎる(最近の音すぎる)!」などと天の邪鬼発言を言ってしまいそうです。


♪大地の歌のツボ「オープニングとエンディング」♪
マレイ・ディッキー(テノール)
 
ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ(バリトン)
 







ヨーゼフ・クリップス/ウィーン交響楽団(1964)
 マーラー没後100年に併せて、発掘された「1964年ウィーン芸術週間ライヴ」での音源。 ディースカウ40歳の歌声。ヴンダーリヒはこの音楽祭の時は34歳。2年後に事故死で亡くなってしまいました。両雄絶頂期の歌声は聞き応えあり。

♪大地の歌のツボ「オープニングとエンディング」♪
フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール)
 
ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ(バリトン)
 







サイモン・ラトル/バーミンガム市交響楽団(1996)
 ラトルは早くからマーラーの、しかもあまり演奏されない演目に着目していました。交響曲第10番や、カンタータ「嘆きの歌」など。そしてこの「大地の歌」も通常男声、女声で演奏することが多いのですが、バーンスタイン以来の男声パートのみでレコーディングしています。しかもバリトンがハンプソンというのがいいです。

 ラトルは、このあとベルリン・フィルの音楽監督になりますが、2011年に「大地の歌」を取り上げています。まだCD化はされていませんが、歌手陣はテノールは同じくザイフェルト、アルトのパートにはハンプソンではなくメゾ・ソプラノのアンネ・ゾフィー・フォン・オッターでした(アバドの時にも歌ってましたね)。また、2013年にはベルリン・フィルとではなく、ウィーン・フィルと。テノールにミヒャエル・シャーデ、メゾ・ソプラノに奥様のマグダレナ・コジェナーをソリストに演奏しています。


♪大地の歌のツボ「オープニングとエンディング」♪
ペーター・ザイフェルト(テノール)
 
トーマス・ハンプソン(バリトン)
 







 サロネンのマーラーは他に第3番があり、そちらも通常とは違う構成を用いていました(いかにも若者?)。エンディングのティンパニをバスドラに変更してます。この大地の歌では久々の男声で固められていて(ラトル盤以来)、しかもテノールにプラシド・ドミンゴです。ちょっとびっくり。


♪大地の歌のツボ「オープニングとエンディング」♪
プラシド・ドミンゴ(テノール)
 ドミンゴのマーラーってどんなだ?というミーハー的な理由から手を出してしまいましたが、オペラてぃっくな過少になかなかついていけません。たとえて言うなら五木ひろしが第九を歌ったのを聴いたような感じと同じでしょうか?ちょっと異色なアルバムです。
ボー・スコウフス(バリトン)
 







マイケル・ティルソン・トーマス/サンフランシスコ交響楽団
 バラ売りのジャケットは正直、「グっ」と来るものが無く、なんだかつまらなさそうな、教科書的な「大地の歌」が収められているのではないかといぶかしく思ってしまいそうな手のかかっていないデザイン(笑)。私はSACDマルチのボックスで購入したのでこのジャケットではありませんが(右)、ジャケットと内容のギャップがあり過ぎのような気がします。これではバラで購入する人がどれぐらいいるんだろうと、余計な心配までしてしまいましたが、この巨大なマーラーを体験するにはこれ以上ないと思えます。
  このマルチチャンネルは、最初に奏でられるホルンの音の前に、聴衆のざわめき(空気)に緊張がみなぎっていて、私まで、そのピンと張りつめた緊張感に触れ、思わず身構えてしまった程。臨場感がこの上なく、瑞々しい弦の音が自然とリアスピーカーに抜けて行くのですが、まるで身体の中を通り抜けて行く清水のようで実に清々しいです。マーラーはマルチチャンネルがぴったり(これも予言していた!?)


♪大地の歌のツボ「オープニングとエンディング」♪
スチュアート・スケルトン(テノール)
   テノールのスケルトン(中央やや右寄り)の鬼気迫る歌唱もすごいのですが、ライヴ独特のノリから来るのでしょうか?そういう空気もこのフォーマットは伝えて来るのです。
トーマス・ハンプソン(バリトン)
 ハンプソン(中央左寄り)はマーラー大好き人間で、古くはラトルのバリトンを歌っていたし。彼の声は、豊潤といった表現がぴったり。この声質は、このホールの音場再生の賜物でしょう。歌に寄り添う楽器のソロも美しい。







 以前、シャルル・デュトワがモントリオールとホルストの「惑星」をレコーディングしたアルバムを聴いたとき、なんて弦の音が瑞々しいんだろう!と驚かされた記憶がありますが、この「大地の歌」も同じような感じがしました。バーンスタインのような危機感というったものがみじんも感じられない演奏と言ったらよいのでしょうか?声楽パートも男声2名という編成です(ナガノ氏は異色作品がすきだなぁ)。


♪大地の歌のツボ「オープニングとエンディング」♪
クラウス・フローリアン・フォクト(テノール)
 オーケストラの切迫感とテノールの発声がかみ合っていないような感じ。なんだかとても歯がゆい気分になってしまいます。一緒にレコーディングしているとは思えないようなテンションの差。これはちょっときついかも… しかも宝塚のようにしか聞こえてこないのは気のせいでしょうか?寂しい水墨画を思わせるような情景でも、本人の回りにだけバラが咲き誇っていて、彼等に語りかけているような… (残念ながらテノールの表現が私には合いません)
クリスティアン・ゲルハーヘル(バリトン)
 それと比べるとオケの弦が艶やかな演奏の中にあって、ぐっと渋みのある楽章になっています。







 交響曲全集を終えて、この曲をあえてその中に入れなかったのには、もしかしたらこの『大地の歌』を交響曲とは考えなかったのかもしれません(アバドもそうなのかな?)。このレコードのちょっと前に話題となったのが、ウィーン・フィルを振った同曲で、初めてテノール独唱によるレコーディングが行なわれました。そのレコードのリリース直後にアナウンスされたのが、このアルバム。同曲を同じ指揮者で2種というのはレコード会社による販売戦争か?などと思ったりしますが、売れたのはテノール独唱版の放らしく、正統(?)なこちらはSACDにも関わらず、話題負けしてしまった感があります。かなりがっちりと音、硬派な感じで好きですけどね。


♪大地の歌のツボ「オープニングとエンディング」♪
ロベルト・サッカ(テノール)
 
スティーヴン・ガット(バリトン)
 







ケネス・スロウィック/スミソニアン・チェンバー・プレイヤーズ、サンタ・フェ・プロ・ムジカ
 シェーンベルグが手がけつつも未完に終わった編曲を、現代作曲家ライナー・リーンが1983年に完成させた室内版での演奏。


♪大地の歌のツボ「オープニングとエンディング」♪
ジョン・エルウィス(テノール)
 
ラッセル・ブラウン(バリトン)
 







シュテファン・マティアス・ラーデマン
 ピアノ伴奏による男声版。


♪大地の歌のツボ「オープニングとエンディング」♪
ロバート・ディーン・スミス(テノール)
 
イヴァーン・パレイ(バリトン)
 







ケン・セルデン/マーティンゲール・アンサンブル
 シェーンベルクが「音楽私的演奏協会」での演奏をするために編曲したものの、結局未完に終わり、それをリーンが完成させた室内楽版。カタログを見渡せば2017年現在、結構レコーディングされていました。


♪大地の歌のツボ「オープニングとエンディング」♪
ロバート・ブロー(テノール)
 
リチャード・ツェラー(バリトン)
 







ヘンク・グイタルト/グルッポ・モンテベロ
 シェーンベルクが「音楽私的演奏協会」での演奏をするために編曲したもののレコーディングだと思っていたら、それは『さすらう若者の歌』だけで、『大地の歌』は、このアンサンブルのリーダー、ヘンク・グイタルトの編曲というきわめて珍しい版。ただ、興味深いことにヴォーカルはアルトではなくバリトンを起用していることでしょう。


♪大地の歌のツボ「オープニングとエンディング」♪
マルセル・ライヤンス(テノール)
 
ヴィレム・デ・フリース(バリトン)

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|2021年12月11日更新|