星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

 マーラーに興味を持ったきっかけは「復活」というネーミングを持つ交響曲第2番からでしたが、実際に耳にしたのは、「巨人」というニックネームを持つ、無難(笑)にもロマン漂う交響曲第1番でした。そう言われて(書かれて)聴いてみると確かに聴きやすい曲でした。他と比べると確かに短い曲だったかもしれませんが、中学生だった私が1時間近くも聴く音楽としてはやはり長かった(笑)。当時はどうにかして「巨人」というタイトルを、自分なりに解釈して「このあたりが巨人かなぁ」などと思いながら慣れ親しもうとしたのですが、結局マーラーがインスピレーションを受けたというパウル・ベッカーのそれを想像してみたのですが、ダメでした。だからそれ以降私の中から標題を外してしまいました。作曲者本人も外したんだし。

 ということで、マーラーの中では声楽も入らず。とはいえ、歌曲集とは切っても切り離せない関係のある曲のため、随所に口ずさめるメロディが登場します。でも圧巻は最終楽章でしょう。ラストでは歌劇場指揮者であるマーラーの立体音響が現れます。レコードだけでは解りませんが、ステージではホルン奏者が起立して(起立できない場合は楽器を上に向け)演奏します。




とりあえずわたしの基本のCDはデジタル録音されたバーンスタイン(1987)とブーレーズ(1998)

アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(Concertgebouworkest Amsterdam)
指揮;レナード・バーンスタイン
Recorded on 1987.
シカゴ交響楽団
(Chicago Symphony Orchestra)
指揮;ピエール・ブーレーズ
Recorded on May 1998.




レナード・バーンスタイン(1967)
(Leonard Bernstein)
ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
(New York Philharmonic)
Recorded on 1967.

 最初におこずかいで買ったマーラーのレコード。クラシックといえば風景がとかのジャケット・イメージがあったのですが、バーンスタインのこのレコードからは、そうしたクラシックのイメージからは程遠く、それがかえって良かったのかもしれません。視覚的イメージから入る私には、作曲家のポートレイトとコラージュと、交響曲のタイトル《巨人》がイメージしやすかったかも。それまで冨田勲のシンセサイザーの原曲ぐらいしか聴くことのなかったクラシック音楽の、新しいジャンル進出には、まだタイトルが必要でした(笑)。そんなことがマーラーを聴くきっかけとなりました。他にショスタコーヴィッチの《革命》とか。いずれも日本ぐらいのタイトルばかり。
 たびたびSACDとして登場する本盤。マルチチャンネルとして仕上がったり、シングル・レイヤーとして最終型がリリースされたり。まぁ、名盤であるがゆえんでしょうね。





クラウディオ・アバド(1981/1992)

シカゴ交響楽団
(Chicago Symphony Orchestra)
Recorded on 1981.
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(Berliner Philharmoniker)
Recorded on May 1992.

 リリース当初は、アバドのマーラーシリーズでレイアウトされていた羽のモザイク。このジャケットに憧れて(というか、私はこうしたシリーズに弱い)、アバドの演奏を想像していました。実際音で聴いたのは、随分後のことになってしまい、それまでの間に多くの演奏を聴いてきました。そして、10年後に音楽監督となったベルリンフィル就任の模様を収めたライヴ盤もリリースされました。さらに時が経って、名演名盤がゾクゾクリリースされ、時と共に、その存在すら薄れてきてしまう。そんな中、立ち寄った図書館にあった当CD。久し振りに見たジャケットに、当時の思い出が頭の中を横切ったのは言うまでもありません。ドキドキしながら、最初のチューニングともおぼしき朝の光景が目の前に広がってくれる。しかし、ホールトーンをあまり感じないし、オケがデットの印象があります。バーンスタインや、その対極にあるブーレーズ。そして同じシカゴ響を振ったショルティとも違ったマーラー。どちらかといえばカラヤンに近い印象がありました。

 カラヤンの跡を継いでベルリン・フィルのシェフに「楽団員によって」選ばれたアバドが、初めて指揮台に立った時の模様をレコーディングしたアルバム。シカゴ響の時と同じく、優等生的なアバドです。カラヤンのベルリン・フィルとも違う、それまでのアバドのマーラーとも違う、つかみ所のない演奏というのでしょうか?名前を臥せて聞けばアバドとわからなかったかもしれません。2022年にエソテリックからSACD化されました(ライブだからいいかなぁ)。




ロリン・マゼール
(Lorin Maazel)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(Wiener Philharmoniker)
Recorded on 1982.
 ウィーンフィルとスタジオセッションで全集を完成させたマゼール。このウィーンフィルとの演奏は、オーケストラの弦の美しさが際立った演奏で、マゼールのねちっこい表情があまり目立たず、オーケストラ主体っていう感じでしょうか。マーラー嫌いで有名(カルショウ語る)だったオケですが、だからこそ全集を許せたのでしょうか(1982)

 そして20年後にはニューヨークフィルとの全集(こちらはライヴ)を作り上げました。すごい体力!さらにフィルハーモニー管弦楽団と三度目の全集(こちらもライヴ)を成し遂げたようです(まだCDかにはなっていないようですが)。

 残念ながら2014年7月14日にお亡くなりになりました。私がクラシックに興味を持ち始め、様々な指揮者でレコード(まだCDとかが普及する前)を聴きあさっていた頃、バリバリの現役だったマゼールの、とくにクリーブランドとのレコードは、どれを聴いても爆演という印象で、ド派手な演奏ならマゼールと思っていました。カタログの常連指揮者は、すでに故人がほとんどでしたが、このマゼールは現役中堅どころだったので、私にとっての同時代の演奏家の死は伝説の方々よりも、とても身近に感じられるので悲しい限りです。謹んでご冥福をお祈り致します。




ゲオルグ・ショルティ
(Georg Solti)
シカゴ交響楽団
(Chicago Symphony Orchestra)
Recorded on 1984.
 ブーレーズのように徹底して感情を排除したような響きと違って、音(特にリズム)に拘ったような演奏で、輪郭がキッチリしています。ショルティによく言われるところの男性的であり、筋肉質な演奏というのでしょうか。同じシカゴを振ったアバドともブーレーズとも違い、こうした違いを比べるのが楽しいクラシック(笑)。ロンドン交響楽団のゴリゴリとした演奏も良かったけれど、さすがにお互いを熟知しているため、何倍もの興奮をもたらせてくれるのはシカゴとのコンビ。




エリアフ・インバル
(Eliahu Inbal)
フランクフルト放送管弦楽団
(Frankfurt Radio Symphony)
Recorded on 1985.
 ワンポイント録音による優秀録音でもあります。骨太いマーラー。そう思ったのは、「ワンポイント」という形式によるレコーディングを軽んじてしまったから。「えー、大オーケストラなのにマイク一本で大丈夫なのかー?!」という、まさにヨーロッパの技術者が疑問に思ったことを、単純にその「言葉」だけで判断してしまったため。これがまた良い。すごい日本の技術、といったところでしょう。あとはSACDとして仕上げてくれれば良かったのですが、実らず。
 1991年以降客演している東京都交響楽団(Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra)と、エクストン(Octavia Exton)から交響曲全集をレコーディング中。すべてSACDでのリリースという超高音質マーラーを聴くことができますが、この交響曲第1番、5番、7番はチェコ・フィルと。




リッカルド・ムーティ
(Riccardo Muti)
フィラデルフィア管弦楽団
(The Philadelphia Orchestra)
Recorded on 1985.
 ムーティ唯一のマーラー。ライヴでは2番、4番を取り上げていますが、この第1番は名演。この曲の演奏ではもっとも肌にあった演奏です。特に第4楽章の最終場面での「タメ」。これがサイコー。
 このレコードが発売された時期、ウィーンフィルと来日していて、銀座山野楽器にてサイン会が行われました。ファンである私が足を運び、サインを頂いたのは言うまでもありません。




ガリー・ベルティーニ
(Gary Bertini)
ケルン放送交響楽団
(WDR Sinfonieorchester Köln)
Recorded on 1991.
 ベルティーニは1984年の交響曲第6番からマーラーのレコーディングを開始し、途中レーベルが変わるなどの事務的な移動があったものの、1991年のこの第1番で全集が完成しました。日本ではまだ輸入盤とかが気軽に買える時代になる前に、すでに全集完成に向けてレコーディング中だったようです。そのため、突如としてマーラー指揮者として脚光を浴びるようになったのはいきなりの全集(少なくとも私は)からでした(少なくとも私は)。ケルン放送交響楽団も、ベルティーニ共々初めて聴くサウンドとなりました。

 

クラウス・テンシュテット(1926-1998)
 テンシュテットの存在を知った時には、彼はすでに体調が思わしくなく、シカゴ交響楽団との演奏(1990年5月)の時も喉頭がんの治療後というもだたったようです。マーラー指揮者としてEMIがプッシュしていましたが、1977年に、すでに交響曲第1番を録音し、それを聴いたカラヤンがベルリンフィルの後継者として考えていた逸話も残されています。まだ健康だった時期と、ガンに蝕まれていた時期の演奏は、どちらも名演誉れ高く、特にシカゴ響とのライヴは、エソテリックでSACDにもなっているほどの人気盤。私も度々引っ張り出して来ては、最後の聴衆と同じように昂奮しきってしまいます。演奏が終わった後の拍手は、さすがアメリカ的!演奏もゆっくりと為があって、最後の解放感が快感です。シカゴ響という名集団とのライヴで繰り広げたこの演奏が記録されていたことに感謝したいと思います。


マイケル・ティルソン・トーマス(1944-)
 ヘルベルト・ケーゲルのベートーヴェン全集(マルチchのBD)と平行に順番に聴いていますが、同じ交響曲第1番と言っても、この両者の間には100年近くの隔たり(ベートーヴェン1800年、マーラー1896年)があって、演奏時間は倍、演奏人数も倍、音の広がりもぐんと広がっています。彼のオーケストレーションはオペラで培われた経験が、彼のペンに伝えられ、実に立体的なサウンドが設計され、トーマスのSACDというフォーマットに上手く反映されています。第三楽章のクラリネットの音色等、SPの枠を突き抜けて歌い出されてビックリしてしまいました。こんな体験が出来るのはSACDならではのことでしょう。まるで音を見ているようです。ただ、18分過ぎのためのあと、トランペットが立ち上がってファンファーレを高々と歌い出す箇所では、頭がつぶれ気味のように聴こえています。

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|2022年1月28日更新|