星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)


 マーラーに興味を持ったきっかけがこの曲からで、まず「復活」というネーミングに惹かれました。中学生のときに従兄弟の家で見たレコード雑誌(確か音楽全般の…)の広告に衝撃を受けました。たぶん「交響曲第2番」というだけだったら、素通りしていたかもしれません。とにかく「カッコイイタイトルだなぁ」がきっかけでした。

  昔はレコードの帯って「ジャケットをむちゃくちゃ邪魔してんじゃん」って邪険に扱っていたのですが、今になって、今にして思えば、私が『復活』に惹かれたのも帯のお陰だったんですね(「天は声を発する」なんて、まさに私が追い求めている「天界の音楽」に通じている風にも思えます。マーラーはその後、第8番で惑星の運動を音にしていますしね)。改めて反省しています。だから、レコード棚を見ていると何枚かの帯なしに、今更ながら後悔させられています。

 かつてテレビ朝日の番組「題名のない音楽会」で、視聴者参加の「なりきり指揮者」のコーナーが人気を博していましたが、もしも私が出るなら(出ないけど)この曲で指揮台に立ちたいと思っています。マーラーの楽曲の中ではもっとも好きな交響曲です。

 ブーレーズのレコードがリリースされる情報が入ったときは、これまで以上に期待をしていたのに、いざ聴いてみると「なんじゃろうか?」という疑問ばかりが浮かんできました。ブーレーズの演奏には、がっかり以外の何も感じられませんでした。も~う~ なんだよぉーという気分。シカゴ響との交響詩「葬送」が良かっただけに。
 これは何が良くなかったのか?ウィーンフィルの甘い砂糖菓子のコーティング漬けをブーレーズが溶かしきれなかったのか? しかも(グチしかでてこない!)同じウィーンフィルとの6番や5番はブーレーズの真骨頂だったのに !!少々不燃焼気味。ブーレーズのこれまでを追っていているから、ある程度の、こういったアプローチは予想できたが、これはちょっと…

 いろいろ考えた挙げ句、辿り着いたのがレコーディングスタッフ陣の音の作り方。なんか全体的に丸い音に感じてしまうのは、演奏のせいでもホールのせいでもない(まぁ、残響処理の如何によっては左右されるのだけれど)。でもコレは違う。なんか演奏自体から覇気が感じられないのです。指揮からもオケからも。これじゃー劇的な復活劇も半減だよーぐらいの。頑張ってくれたのは声楽陣。だって、同じウィーンフィルでもメータやマゼール、ハイティンク、アバドの演奏からは、そんなモヤモヤとした気持ちにはならなかったんだから。ということで、これはオーケストラとプロデューサーの仕業。などと、意地悪な見方をしましょう。

 そういえば、ジョン・カルショウの『レコードはまっすぐに』の中で、「ウィーン・フィルは現代曲が嫌い」といった事が書かれていたことを思い出してしまいます。片やマーラーを追い出したウィーンフィル、片やボヘミアンとなったマーラーを受け入れた新世界アメリカのニューヨーク。これはニューヨークがバリバリ張り切る気持ちも分かります。ウィーンは消極的。そう自分の中でドラマを作って納得させています。ちなみに、ブーレーズは2007年に第8番をベルリン国立歌劇場管弦楽団とレコーディングを行い、一連のセッションを終了させましたが、そのちょっと前に、この第2番をベルリン国立歌劇場管弦楽団とライブレコーディングしたDVDがリリースされました。未聴ですが、そこには私が期待している演奏があるのかもしれません。


 特にこの曲が大好きな理由は、やはりエンディング付近の盛り上がりの合唱と、そのメロディにあります。特に神秘の合唱が始まる前の静まりかえる辺りは、今書いたブーレーズへのグチがアホらしく思える瞬間です。ここから先は、涙なくして耳を傾けられません。だまって聴け!と。
 この曲の映像を初めて見たのは、小澤征爾とボストン交響楽団の日本公演。ソリストにはジェシー・ノーマンの人間とは思えぬ体格(失礼!)と低音パートに驚愕したことを覚えています。生での初体験はアバドとベルリン・フィルの来日コンサートです。

 カール・セーガンの『コスモス』では、第2話の「宇宙の音楽」の中で第5楽章が効果的に使われています。バーンスタイン盤なら8分40秒付近と10分45秒付近、ブーレーズ盤なら7分56秒付近と10分00秒付近のパート。ハロルド・ユーレー博士のしかめっつらと、プラズマ放電による実験シーンで効果的に使われています。それとは別にレニーの11分52秒付近かブーレーズの10分58秒付近のザクザクとした感じの弦の音が好きですねぇぇ。






 そんなわけで、マーラーの中では異演を多数所有するに至ったわけですが、バーンスタインとブーレーズ盤が決して好きな演奏ではなく、実は他の指揮者の演奏の方がお気に入りです。最初にこの曲を知ったのが、ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団の広告。デカデカと「復活」という文字に、朝焼けと思われるオレンジ色のジャケット。ただし、このジャケットはアナログのみで、CDではボックスセットのイラスト(ショルティとマーラーが顔を向き合わせている横顔)のジャケットに統一され、いささかゲンナリ。

 最近になって、この曲のレコーディングの前に、カラヤンの庭、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と、同曲のライブが、非常に名演というコメントを読み聴いてみました。録音こそシカゴ響との正規盤(ベルリン盤は海賊盤)に軍配が上がるものの、ライブでの緊張感や、「カラヤンのベルリン」でショルティが振ったという稀演が新鮮で、そちらも愛聴しております。

 他には『レコード芸術』誌で長らくこの曲のベスト1に君臨していた1976年のクラウディオ・アバド/シカゴ交響楽団盤は、1999年に紙ジャケット化されてから購入し、「憧れ」の一枚とようやくのご対面でした。しかし、期待値が尋常でなかったために、実はあまりのあっさりさにガッカリしてしまいました。それに引き替え、レコード会社の都合や、アバドの同朋でありライバルでもある1975年のズビン・メータ/ウィーンフィル盤は、私の理想に近い高揚感をもたらしてくれる演奏でした。しかもウィーンフィルをショルティのゴリゴリ感で演ってくれてます。これは凄い。

 最近の演奏では、シノポリ盤とノリントン/SWR盤が良かったか。シノポリは、フィルハーモニー管弦楽団とマーラーチクルスを完成させ、日本でも東京芸術劇場のこけら落としで全曲演奏をしました(第8番を聴きに行きました)。英国のフィルハーモニー管弦楽団を、よくぞここまでドライブさせたな、という演奏が繰り広げられています。かなりワイルド。ノリントンは古楽のスペシャリストですが、最近はロマン派もレパートリーにしていますが、面白いのがモダン楽器を使っての古楽演奏。つまりノンヴィブラート。非常に明るく艶やかな演奏です。どうも全曲録音するそうなので、今まで聴いたことのないマーラー像が浮かび上がってくるようで期待大のシリーズです。






 最近の演奏では、シノポリ盤とノリントン/SWR盤が良かったか。シノポリは、フィルハーモニー管弦楽団とマーラーチクルスを完成させ、日本でも東京芸術劇場のこけら落としで全曲演奏をしました(第8番を聴きに行きました)。英国のフィルハーモニー管弦楽団を、よくぞここまでドライブさせたな、という演奏が繰り広げられています。かなりワイルド。ノリントンは古楽のスペシャリストですが、最近はロマン派もレパートリーにしていますが、面白いのがモダン楽器を使っての古楽演奏。つまりノンヴィブラート。非常に明るく艶やかな演奏です。どうも全曲録音するそうなので、今まで聴いたことのないマーラー像が浮かび上がってくるようで期待大のシリーズです。

 それから、私以上にこの曲に惚れ込んで、世界的にも「復活のスペシャリスト」とあだ名の付いているギルバート・キャプランは、ロンドン交響楽団とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の両方とレコーディングをしています。こちらは未蝶ですが、いずれ手を出すことでしょう(笑)。マーラー嫌いで有名なウィーン・フィルハーモニー管弦楽団からこの曲の校訂を依頼されるほどの「復活」のスペシャリスト。また、熱さの点でいえば、バーンスタインの1963年盤も熱いです。


ソプラノ;バーバラ・ヘンドリックス
アルト;クリスタ・ルードヴィッヒ
ウェストミンスター合唱団
ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
指揮;レナード・バーンスタイン
Recoeded on 1987.
ソプラノ;クリスティーネ・シェーファー
メッゾ・ソプラノ;ミシェル・デ・ヤング
ウィーン楽友協会合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮;ピエール・ブーレーズ
Recoeded on Jun 2005.
 1987年にレコーディングされたバーンスタイン盤では、相変わらず「私はマーラーなのだ」と、冒頭からぶち切れた演奏で、オケも何でもありみたいな、吹っ切れたところがあり、ライヴ録りということもあり、かなりワイルドでラフな演奏が再現されています。特にエンディングは何者かが乗り移った様な鬼気迫る形相を見せ、圧倒されます。この曲はこうでなきゃ! それに引き換え、期待していたほどの感動が得られぬまま終楽章を迎えてしまい、少々不燃焼気味。ブーレーズのこれまでを追っていているから、ある程度の、こういったアプローチは予想できたが、これはちょっと… ということで、これはオーケストラとプロデューサーの仕業。などと、意地悪な見方をしましょう。




サイモン・ラトル/バーミンガム市交響楽団(1986)
 まだレコード会社から(笑)俊英といわれていた頃の録音で、音の端々から、そうした絵寝る義手名雰囲気がほとばしっています。意外にもEMIにしては録音が良い感じで、最近のフラットな音にはなっていません。弦が瑞々しく感じるのは、その録音のせいではないでしょうか。私の好きな高音のヌケが良いです。それでも時々モノラルラジオで聴いているようなチープな音に聞こえたりもします。かなり速めのテンポですが、第5楽章、神秘の合唱以降はたっぷりと歌を聴かせるように遅くなります。

バーミンガム市交響楽団合唱団/
アーリーン・オジェー(S)/ジャネット・ベイカー(MS)


サイモン・ラトル/ベルリン・フィルハーモニー楽団(2011)
 デジタルが主流になってからのEMI、しかもライヴレコーディングときたら聴くに堪えない酷い音!まだラジオの方がマシ!と声を大にして叫びたいほど!(ということもあってラトル/ベルリンフィルの「惑星」以来聴いてませんが、最近はどうなんでしょ?) しかーし!お気に入りのコジェナーが、旦那様のタクトの元で美声を聴かせているとあっては聴かなくてはなりませぬ!
 それにしてもラトルはバーミンガム響との全集に引き続き、手兵となったベルリン・フィルとの全曲レコーディングを企てていますが、ライヴはヤメテ~ EMIはヤメテ~(笑)

ベルリン放送合唱団/
ケイト・ロイヤル(S)/マグダレーナ・コジェナー(MS)





若杉弘/東京都交響楽団(1990)
 第1楽章に通常の「Allegro maestoso」ではなく、交響曲第1番のあとに作曲された若書きの交響詩「葬礼」を配した演奏です。似たような仕様に、リッカルド・シャイーが、全曲のオマケに「葬礼」を入れるというサービスをしてくれましたが、この若杉は入れ替えという通常では考えられない演奏でした。
 1988年から1992年という短い期間に、マーラーの交響曲全曲演奏会を決行し、その時のライヴ・レコーディングです。この第2番は1990年3月30日の記録。

晋友会合唱団 /
佐藤しのぶ(S)/伊原直子(Ms)





ベルナルト・ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1968)
 バーンスタインと共に、ブームになる以前から全集を完成させていたハイティンク。そして現在はシカゴ交響楽団と三度目の全集に向けて突っ走っていますが、これは最初の「第2番」です。

オランダ放送合唱団
エリー・アメリング(S)/アーフェ・ヘイニス(MS)


ベルナルト・ハイティンク/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 解説書によれば、ベルリン・フィルにとって初のセッションによる録音だったそうです。「へー、そうだったのかー」という感じですが、この曲の初演はマーラー指揮によるベルリン・フィルだったし、海賊盤ながらショルティが振ったレコードも出回っているので、意外な発見でした。そんなこんなで、CDをセットして、最初の弦が鳴り出すまでは緊張の面持ちで聴かせてもらいました(笑)。さすがはベルリンフィルです。隙がありません。また、二度目の(かなわぬ)全集をベルリン・フィルと進めていただけに、レコード会社の事情で中断してしまったのは残念でなりません。シルヴィアの声、素敵です。

エルンスト・ゼンフ合唱団
シルヴィア・マクネアー(S)/ヤルト・ヴァン・ネス(MS)


ベルナルト・ハイティンク/シカゴ交響楽団(2009)
 ハイティンク三度目の「復活」はシカゴ交響楽団(CDは楽団の自主制作による)。ベルリンフィルとの全集が叶わなかったので、パワーのあるシカゴを選んだのは正解かもしれません。ここでいう「パワー」というのは、オケの技量を言っているのではなく「自主制作」が出来ると言う意味です。「CSO RESOUND」はライヴのみをレコーディングするシリーズのようです。余談ですが、自主制作のジャケットって魅力ないですねぇ(笑)。SACDでの制作は大歓迎ですが。
 2009年から音楽監督に、私の好きなムーティが着任しているので、そちらも気になるところ。

シカゴ交響合唱団
ミア・パーション(S)/クリスティアーネ・ストーティン(MS)





クラウディオ・アバド/シカゴ交響楽団(1976)
 1980年頃、『レコード芸術』誌上で特集されていたマーラー特集では、全作品のランキングが発表されていて(縦に開いて見るという特殊な体裁だった)、アバドの交響曲第2番が堂々の1位にランクされ、評論家各氏からも非の打ち所のないようなレビューをもらっていました。ただ、当時はレコードの2枚組という商品は、中学生だった私にはなかなか手を出す事が出来ず、「聴きたい」と想い続け何年も過ぎてしまいました。初めて聴いたとき、その時は下のウィーンフィルとの再録音や、ベルリンフィルとの実演を接してしまった後だったので、当時思い描いていた期待以上の印象が得られずにがっかりしてしまいました。ただ、やはり時代の流れで考えれば、1970年代にこの演奏は、ちょっと異色だったかもしれません。解説書では「ウィーンフィルと録ってくれれば・・・」などとありましたが、シカゴ響だったから得られた「美」だと思います。そう、ここで聴かれるアバドの演奏は現代音楽風の「美」が備わっています。

シカゴ交響合唱団
キャロル・ネブレット(S)/マリリン・ホーン(MS)


クラウディオ・アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1992)
 私の「復活」体験は、年に来日したアバド指揮のベルリン・フィルでした。場所はサントリー・ホール。アバドはベルリンと、この曲のレコーディングはしていませんが、やはりライヴ(生)の体験に匹敵するレコードは存在しません。しかし、このウィーン・フィルを振った演奏は、そうした私の考えを覆してくれるほど、体が震えてしまう経験を与えてくれました。特に第5楽章の神秘の合唱以降、これを越えると思える演奏に出会っていません(先のサントリーホールは除く)

アルノルト・シェーンベルク合唱団
シェリル・ステューダー(S)/ヴァルトラウト・マイアー(MS)


クラウディオ・アバド/ルツェルン祝祭管弦楽団(2004)
 アバド三度目の「復活」。2003年の音楽祭からの演奏会の記録で、この曲のリリースとしては珍しくカップリングにドビュッシーの「海」が併録されています。1992年のウィーンフィルに続き二度目のライヴレコーディング。何やらアバドはルツェルン(映像も残している)と、ベルリンとを使い分けて二度目のマーラー全集に取り組んでいる模様(ベルリンフィルとはラトルに先を越されそうですが)。

オルフェオン・ドノスティアラ/
エテリ・グヴァザヴァ(S)/アンナ・ラーション(MS)





朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団(1995)
 氏のブルックナーはちょっと遅めで重たくて苦手でしたが、この曲に関してはそんな不安はありませんでした。最終楽章の盛り上がり方も、オーソドックスですが感動のうちに締めくくられます。合唱、オケのブレンドも良く、どちらかの音量が片寄ることもありません。ソロも埋もれることなく絶唱がわかります。オルガンや鐘の音も適音でかき消されることはありません。

武蔵野合唱団 /
井岡潤子(S)/竹本節子(Ms)





小澤征爾/ボストン交響楽団(1986)
 1986年に音楽監督を務めていたボストンとのレコーディング。交響曲第8番のすばらしい録音があっただけに、今回の録音はちょっと肩すかしを食らった感じがしました。再録音にあたるサイトウ・キネン盤のほうが数段上に感じられます。

タングルウッド祝祭記念合唱団 /
キリ・テ・カナワ(S)/マリリン・ホーン(Ms)


小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ(2000)
 1986年のボストン響も名演誉れ高い演奏(小澤の「復活」は、ジェシー・ノーマンが「原光」を歌っているのをNHKで見ましたが、はっきりいって人間の声には聞こえない、超越した響きだったのを覚えています)でしたが、今回は相性抜群のサイトウ・キネンを指揮しての二度目のレコーディングです。特に第4楽章「原光」ソロでのナタリー・シュトゥツマンの存在ではないでしょうか?

晋友会合唱団 /
菅 英三子(S)/ナタリー・シュトゥツマン(Ms)





 古くからのボニーファンの私にとって、待ちに待ったレコーディングでした。しかもテラークは録音の優秀さも手伝って、この手(金管がハデとか)の曲のレコーディングではオーディオファイルが手を出したくなってしまう曲を数多くリリースしています。かつてのロバート・ショウあたりのディスクは優秀録音として名高いレコードばかり。カップリングとして未完成に終わった交響曲第10番アダージョが収録されています。 とにかく私の聴きどころはボニーの声。シャイーとの第4番子供の不思議な角笛はボニーの声を前面に聴くことは出来ますが、この曲では曲の中に埋もれてしまっているという感じ(誰が歌ってもそうだけど)。やっぱりライヴで彼女の歌う姿を確認しつつ聴きたいです。

アトランタ交響合唱団/
バーバラ・ボニー(S)/マリー・フィリップス(MS)





小林研一郎/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(2004)
 2002年に日本フィル(ソプラノ;菅英三子、アルト;竹本節子)を振ったアルバムに引き続き、今度は(といっても実際のレコーディングは1997年)チェコフィルを振ったアルバムの登場。しかも今回はライヴではなくスタジオセッション、そしてSACDでのリリース。それだけで私の期待は盛り上がります(笑)。それに応えての大熱演でした。やはりこのテの曲は、それなりに吹っ切れた演奏を期待しますが、SACDは見事に再現してくれました。まるで演奏会場の特等席で聴いているかのような臨場感です。私はあまり日本人演奏家のCDを手にする事はない(特にオケもの)のですが、これは見事に期待を裏切ってくれました。

プラハ・フィルハーモニック合唱団 /
リヴィア・アゴヴァ(S)/マルタ・ヴェニャチコヴァー(Ms)





 この曲だけをレパートリーにする素人指揮者。とはいえ、ウィーンフィルからこの曲の校訂をまかされ(自筆譜を購入したとか)、それがクリティカル・エディションとして正式に認められるという大の「復活」フリークというプロフィールの持ち主です。すでに1987年にロンドン交響楽団とレコーディングを行っているので、今回で二度目になりますが、さすがに世界中で振って、経験を積んでいるだけあってしっかりと聞かせてくれます。

ウィーン楽友協会合唱団/
ラトーニア・ムーア(S)/ナージャ・ミヒャエル(MS)





 最近のクラシック界は、このネーメ・ヤルヴィの息子パーヴォ・ヤルヴィを大プッシュなのでしょうか。昨年も私はホルストの「惑星」を取り上げましたが、こんどはマーラーです。しかも一番好きな2番を取り上げてくれています。私が気に入っている点は、ライヴ録音ではないと言うところです。昨今のクラシック界は、なかなかスタジオセッションに時間を割くことが無く、ライヴレコーディングが流行っていますが、「惑星」しかり、ヤルヴィはスタジオ録音によるディスコ・グラフィを増やしています。 さて、このアルバムですが、ソリストにナタリー・デセイ(ソプラノ)とアリス・クート(メゾ・ソプラノ)を起用、オーケストラはエリアフ・インバルが全集を完成させたフランクフルト放送交響楽団です。どことなくインバルのブルックナーシリーズを思わせるジャケットです。

オルフェオン・ドノスティアラ/
ナタリー・デセイ(S)/アリス・クート(MS)





ダニエラ・ベヒリー(S)/イリス・フェルミリオン(MS)
ハルフェステフーデ室内合唱団
ピアノ;クリスティアーネ・ベーン、マティアス・ヴェーバー
指揮;クラウス・バンツァー
 交響曲第2番の完成にあたり、師であるハンス・フォン・ビューローに「これは音楽じゃない!」と拒絶されてしまった逸話のある曲のピアノ版。ワルターは2台ピアノとして、オーケストラスコアだけをアレンジしましたが、このヘルマン・ビーン(1859-1927)版はそれにヴォーカルスコアも残してくれました。
当ディスクはマーラー生誕150年に合わせてライヴレコーディングされたもので、合唱団つきで聴けるようになりました。この曲のファンである私は垂涎の一品ではないでしょうか(笑)。

ピアノを弾いているクリスティアーネは、この曲を編曲したヘルマンの孫。 




ピアノ;エヴェリンデ・トレンクナー
ピアノ;ゾントラウド・シュパイデル
 このピアノデュオの一人であるトレンクナーは、これまでにもマーラーの交響曲第6番、第7番をツェムリンスキーが演奏してきたつわものです。ここでは、パートナーをツェンカーからシュパイデルにかえ、マーラーの弟子のひとりだったブルーノ・ワルターのアレンジした4手連弾のための交響曲第1番、第2番をレコーディングしてくれました。私にとって、何といっても興味深いのは、その使用楽器です。1901年製のスタインウェイを使っており、マーラー存命中の音、というわけです。また、SACDというフォーマットが歴史的な音をストレスなしに体験させてくれるのでいいですね! 

 この曲のピアノヴァージョンのレコード(CD)は4種。所有していないのはNAXOSからリリースされているワルターが連弾のために編曲した版(上のトレンクナー&シュパイデルと同一)。ピアノはMaasa Nakazawa(中澤真麻 )とSuhrud Athavale。




交響曲第2番 ボックレット編(2014)
ピアノ;ブライアリー・カッティング & アンジェラ・ターナー
ピアノ;スティーヴン・エマーソン、スチュワート・ケリー
 連弾が2台のピアノで。つまり4人のピアニストによるピアノ版です。ワルターが連弾版を編曲した同じ年に、この作曲家であるハインリヒ・フォン・ボックレット(1850-1926)も2台ピアノ8手版を編曲しました。できることならSACDで迫力あるサウンドを聴きたかったなぁ、というのはないものねだりというものでしょうか。2台ピアノという点ではこれまでレコーディングされているものと変わりはありませんが、その1台に2名を要する連弾が2台というアレンジは想像を絶する複雑さと迫力。

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|2022年1月28日更新|