私はロマン派の音楽で、というよりはおそらくはすべての音楽で、控えめであろうことをすることを好まない。これが、あらゆる有能な指揮者たちの中でピエール・ブーレーズを最も退屈な存在だと個人的に思う理由である。(ジョン・カルショー)
ジョン・カルショー著の『レコードはまっすぐに』でのブーレーズへの一言です。彼が言っている「控えめ」というのは、「楽譜に忠実」ということを言っているのでしょうか。確かに対極に位置するバーンスタインとは同じ作曲家兼指揮者(ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を引き継いでいる。バーンスタインの後任としてブーレーズ)という立場でありながら、かたや「俺はマーラーだ」と思って演奏するバーンスタインに対し、このブーレーズの演奏は作曲家が意図し、譜面に書いた「それ」をそのまま音にした、という感じがしないでもありません。これは決して面白くないと言っているわけではなく、むしろ作曲者がスコアに書いた真意を客観的に演奏し、作曲者の頭の中で鳴り響いていた音楽を聴く、といえるのではないでしょうか。
当初はウィーン・フィルとの初セッションでスタートした交響曲第6番でした。もともと全集としての企画ではなく、器楽作のみというアナウンスでしたが、あれよあれよという間に器楽セッションが終わりました。室内楽的な美しさを称えた交響曲第4番、大地の歌をさりげなく登場させ、2001年に合唱が加わる巨大な交響曲第3番、2006年に交響曲第2番をレコーディングし、2007年のベルリンにて大作交響曲第8番を取り上げました。さらにさらに歌曲集、角笛、嘆きの歌(再録)ヘと及び、とうとう交響曲全集としてまとめられました。
ここではリリース順にレビューしたいと思います。
このシリーズは、ブーレーズの解釈は当然の事ながら、ジャケットが絵画で統一されて、結構気に入っていたのですが、第3番からポートレイトになり、ちょっとがっかりでした。また同曲異演のアルバムも、バーンスタイン盤と併せて紹介していきたいと思います。
ピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez, 1925-2016)
グラミー賞
ブーレーズは今回のマーラーセッションにおいて、シカゴ響と第9番(1998)、ウィーンフィルと第3番(2003)でグラミーを受賞しました。意外なのはアメリカびいきなのに、クリーブランド管とのセッションでは一つも受賞しませんでした(マーラー以外では受賞してますが) |