SACDの体験は、これを経験した人でなければわからない(当たり前ですが…)衝撃的な音場を体験させてくれます。これを体験してしまうと「もう普通のcdには戻れない!」と思ってしまうほどなのです。
 マルチ・チャンネルを考えず、ステレオ(2ch)で良ければSACDを再生できるプレイヤーだけで、今までにない音楽で体験できるのです。というか、これが本来のレコーディングされた音?

 「しかし!」マーラーのような立体的な音場をライブ会場で施すような作曲家の作品は、まさにマルチチャンネルでこそ味わいたいものです。

 ここでは私の好きな作曲家であるグスタフ・マーラーのSACDを第1番から順番に、お気に入りのディスクを紹介します。 たとえステレオでも通常のCDなんかより、グッと奥行きの広がるフォーマットなので、今後も増えてくるのではないでしょうか。


 オープニングのオーケストラチューニングを思わせるような始まりが、徐々にカッコーの鳴き声を加えることによって朝もやの森を思わせる広がりへと広がっていく… 交響曲全体が、他の作品と比べると短いということもあって、彼の交響曲の中ではもっとも(一般リスナーにとって)人気のある曲でしょう。コンサートでもラストにはホルン奏者が立ち上がって声高らかに咆哮させるシーンはまさに圧巻!
 マーラーの作品は、彼の本職が劇場指揮者だったこともあり、ハーモニーを、実際のホールで鳴るときの具体的な音場を想像しながら作曲していたようです。

 こうした効果こそ、このSACDのフォーマットで聴くにはうってつけの曲。派手に鳴らしても(第4楽章の冒頭!)耳がつかれず、音の洪水が体にしみこんでくるようです。、
 
クラウス・テンシュテット/シカゴ交響楽団
 特に評判の高いテンシュテット/シカゴ交響楽団とのマーラー。もう晩年に迫っているためスタジオセッションではなく一期一会のライヴレコーディングです。演奏が終わった後の拍手は、さすがアメリカ的!演奏もゆっくりと為があって、最後の解放感が快感です。
 わずか1時間の曲であってもマーラーのハーモニーは、時としてぐったりとした疲労感を覚えることもあるのですが(バーンスタインとか)、
やはりこのフォーマットのいいところは、トゥッティになっても溺れない音響ではないでしょうか。第4楽章でそのことを強く強く感じます。

第1番に関していえば、私はムーティ盤が好きなのですが、いつかなって欲しいなぁ
 マーラーの左でにっこりと笑う若者。彼こそが、この曲をピアノ・デュオに編曲を施した指揮者ブルーノ・ワルターです。ピアノのマルチ・チャンネルは、そこそこリアに残響が回る程度なのですが、このフォーマットの凄いところは、その臨場感ではないでしょうか?音が生まれ出る瞬間の直前のピーンと張りつめた空気というものまでもが手に取るほどわかる、そんな緊張までも記録してしまう、そんな感じです。

 オーケストラ作品をシンプルにピアノにアレンジした場合、その音の少なさに物足りなさを感じてしまいますが、このフォーマットだと、その臨場感がリアルで、まさに目の前で聴いているような感覚になります。
 このアルバムのチームのひとりエヴェリンデ・トレンクナーは、シルヴィア・ツェンカーとのチームで交響曲第6番、第7番のレコーディングも行ってくれていました(でも普通のCD)。レーベルは同じですが、今回は相手をシュパイデルに変えてのレコーディング。このマーラーの他にもブルックナーの交響曲第3番(マーラー編曲)もレコーディングしています。こちらも編曲好きのリスナーには食指の伸びる一枚(笑)。
  まぁ、ピアノのSACDなので、ホールトーンが味わえる程度です(それでもちっぽけな自分の部屋の奥行きがドーンと広がるとともに、音の洪水で溺れることのない音場で疲れない)。

 私がマーラーにはまったきっかけは、この曲から。「復活」というニックネームでも知られている大編成の曲で、途中ソロや合唱、バンダ(楽屋裏に控えているバンドで、遠くから聞こえてくる軍楽隊という想定)がこのフォーマットを更に面白くしてくれます。演奏者がどういう意図でこの曲を構築するかによって、コンサートホール的な響きから、リアスピーカーに音を振り分ける仕掛けを用意してくれるディスクもあります。特に私が好むマーラーは、大規模な編成であることはもちろんのこと、この曲のように合唱が加わるものが特にお気に入りです。
 
 「基礎はアバドが築いた」とラトルが2011年秋に来日した際、インタビューに答えていたそうです。ここで聞かれるラトルのマーラーは、アバド譲りの音作りなのでしょうか? 冒頭の弦のトレモロ、もっともっと前にエッジを聴かせた音を出してほしかったのですが、どうもこのフォーマットでも迫力がない?

 アバド/ベルリンは、残念ながらレコーディングは行われませんでしたが、1996年10月17日の来日公演で、大きな感銘を受けました。その時の感動は、CDごときで同じ感覚になることはないでしょうが、このフォーマットなら、と思うのです。しかし、ラトルの、というよりEMIのレコーディングはどうして音を細くしてしまうのでしょうか

 聴く前に、「炎のコバケン」というイメージから、メラメラを通り越して「ゴーッ」という勢いで、熱く燃え上がる演奏を想像していました。 しかも見ているだけでも暑苦しい男が、凄いことになるんだろうなと(笑)!聞き終わった瞬間にこちらも「ゼーゼー」いってそうな演奏だろうと。それがSACDになったことで、なんと余裕のある音なんだろうと、(良い意味で)拍子抜けさせられてしまいました。もっと音量を上げて聴いても良かったのかも。


 このディスクを手にした当初は、再生側の、つまり私の方のシステムがマルチチャンネルを再生できずに、思ったような効果(サラウンド)が体験できずにがっかりしたものです。その後、(今の)安価なマルチシステムを構築し、ようやく念願のサラウンドを体験することが出来ました!

 「ピュアトーン」と話題になったノン・ヴィブラート(極力抑えた)によるサウンドは、確かに今まで過剰なまでの演奏が多かったマーラーの新鮮な軽さを感じることが出来ました。
 ただ、この企画も途中で頓挫してしまったため、全曲をこのトーンで聴くことが出来ずに残念です。レコーディングされたのは1、2、4、5、9番のみ。時々脂ぎったマーラーに飽き飽きした時に聴くにはいいかも(マルチでね)。 

クラウディオ・アバド/シカゴ交響楽団

 2015年にエソテリックがSACD化。交響曲第4番と併せてくれているので、収録時間の関係から、第2番が後半扱いになっています。ジャケットがこちらの2番なんで主役は主役(笑)。

 むかーし、ジュリーニ/ベルリン・フィルの最新録音の『大地の歌』がお茶の間のCMに使われたころ『レコード芸術』誌で、マーラー特集をしていました。
 この曲の推薦盤として第1位に選出されていたのがアバド盤でした。2枚組ということもあり、聴いたことのない曲であったこともあり、ジャケットが印象的(シリーズの鳥の羽)だったので、長らく垂涎のレコードになっていました。それが30年前のハナシ…


 冒頭のホルン・ソロの歌は、それこそマーラーがワルター語ったように「(シュタインバッハの岩山の風景を)もう眺めるにはおよばないよ。あれは全部曲にしてしまったからね」という言葉通り、まさに目前に巨大な山がそびえているようです。
 


 交響曲第1番と並んで、マーラーの交響曲の中でも比較的短い。第2番から始まった「角笛」シリーズの最終章で、第3番との共通点も多い。冒頭のカウベルも面白い効果があり、この雰囲気が全体の雰囲気も語ってしまっているかもしれません。第4楽章にはソプラノ・ソロ。非常に牧歌的な雰囲気がありますが、その内容は「無邪気」を通り越しています。ディスクによってはソロの立ち位置が異なるので、ディスクの聴き比べではそのあたりにも注目すると面白いです。
 
クラウディオ・アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 この曲を最初に聴いたのは、このアバド盤。嬉しいことにユニバーサルのSHMシリーズとエソテリックから2種のSACDがあります。。

 なんでも交響曲にニックネームのついていない曲で、日本では唯一「タイトルなし」でも集客のある曲なんだとか。やはり第4楽章:アダージェットのセンチメンタルなメロディと知名度(映画『ヴェニスに死す』)でしょうか?
 
ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団
 この曲の私のベスト1はショルティがシカゴを振ったレコーディング。その昔、ロンドン(デッカ)が、サンプラー的な内容で45回転LPをリリースした中に、わずかアダージェットのみの収録(B面は「ツァラトゥストラ冒頭」だったかな?)されたレコードを聴いたノア始まりでした。
  ショルティの強引な表現力に弦も擦り切れんばかりにむせび泣き、それでも45回転レコードが張り合って、しっかりと再現してくれたのには驚きをもって聴いて感触が、まだ残っています。それを見事に再現してくれたユニバーサルからのSACD、重心がかなり低いです。そして2017年秋には、タワーレコードの企画でショルティのアナログ時代のシカゴ響とのマーラーセッションがSACD化(没後20周年として企画)され、彼のマーラー感がひしひしと伝わってきます。
 このページの下の方、『大地の歌』のバーンスタインのレビューの中で「次はショルティの8番でしょ?」と希望を書いていたら、とうとう実現する見通しとなりました。現段階では(2017年9月)予告だけですが、ショルティがシカゴ交響楽団と70年代にレコーディングした5、6、7、8、大地の歌の5曲のSACD化がアナウンスされました。ありがとう!タワー! 没後20年という節目に当たるシリーズにするのだそうです。理由はどうであれ、まってました。
  今回は第一弾として5〜7番までの純器楽としての交響曲。どれもこれもゴリゴリとした感触がすかっとさせてくれる名演でしたが、どう響くでしょうか?きっと、これまでは豪球一直線に聞こえた音が、もっと生々しく身体に溶け込むように鳴り響くのではないでしょうか?
 

 マーラーの交響曲の特徴というか、私の好きなタイプは声楽つきの交響曲です。聴きはじめの頃は第6番、第7番がもっとも聴く機会が無かった曲です(「機会」と書いてしまいましたが、自分から近づかなかっただけ)特にこの第6番など純器楽曲はなかなか聴く気にならず。
 それがNHKの番組で、バーンスタインの愛弟子佐渡氏が解説してくれたおかげでこの曲への取り組む(笑)素材というものが見つかったような気がします。それは何かというと、最終楽章に登場するハンマーです。

さて、SACDではどう聞こえるか?というのが最大の楽しみです。

第4楽章のハンマー

 
 ニックネームが『夜の歌』とすると、この曲の手引きになるのではないか、と思えるほど夜の持つ雰囲気を表現しているようです。マーラーの描くアニミズム的な夜の危うさも、SACDならではの臨場感たっぷりに、余裕で再現されています。

デヴィッド・ジンマン/トーン・ハレ管弦楽団

 2000年以降でレコーディングされたマーラーの交響曲は、ほとんどが「全曲」を目標にしています。そして、嬉しいことにSACDマルチ、という時代に合わせたフォーマット。作曲家が頭の中で、そして実演で描き出した音像が、小さな家庭のリスニングルームでも味わうことができる時代になってきました。
 実演に接することが(お財布的にも)なかなか難しいリスナーにとっては、ここ数年の「マーラー全曲SACDマルチ録音ボックスセット」は願ってもない企画です。

 SACDながら価格も比較的求めやすい値段に設定されているジンマンの国内盤。「新時代のマーラー」なんてこと書かれていたので、どんなものかなと、以前から気にはなっていました。マーラーはオーケストレーションを、現代のオーディオを見据えたような配置等、工夫を凝らした作品を多く残して いるので、古い録音より、こうしたSACDなどの、特にマルチチャンネルに施されたディスクがマーラーの意図した音響に限りなく近い体験が出来るのではないかと思います。
 ジンマンも作曲家没後100周年の企画でレコーディングされ、短期間に全曲録音を行っているので、音や解釈に斑が無く、すっきりとした美音が楽しめます。
 まぁ、バーンスタイン、テンシュテットといった感情移入させたマーラーと違って、カラヤン的なマーラー美学を徹底的に録音に残そうという感じの演奏だと思います。特に第5番、第6番、第7番の声楽を伴わないトリオはあっさりと(第5番のアダージェットがそう)。SACDでは自然なリア音が、マーラーの奥深さを実感させてくれます。

 さて、我が家の安価に揃えたマルチディスク再生機(DBP-1611UDK)と、アンプは(同じくDENONのAVR-1612K)でも、オーケストラの豊かな広がりが部屋いっぱい に広がり、SACD体験では当然のスピーカーがなっているのではなく、部屋全体が鳴り響いているような、音の洪水に包まれまるのは毎度のこと感動。特にこの曲は、マーラーの器楽交響曲としては様々な趣向が凝らされた一品として評価も高く、オーケストラの名人芸が堪能できるピースなのではないでしょうか。私 のように声楽付の作品が好きなリスナーにとっては、ちょっとばかり退屈してしまいがちですが、それは表面だけに気をとられてしまう場合でしょう。曲の解説 書等をよく読んでみると「1分15秒は抑制の中に深い諦観の年を秘め、そこにクラリネット、ファゴット、ヴィオラが透かし彫りのごとく・・・」などと書かれ、私のような素人にも興味が湧いてきます。
 そんな解説で興味深かったのは、「ホルンの第1奏者が指揮者の脇に出て来て「ソリスト位置」で演奏する。というくだり。このディスク、特にマルチチャン ネルではそれがはっきりと位置がつかめるという具合。おお、まるでコンサート気分です。このディスクにもホルン・ソロ奏者としてミーシャ・グロイエルと別 格にクレジットされています。まさにフォーマットとしても聴かせどころ(笑)。

 
 
 SACDのマーラーで、真っ先に聞きたかったのがこの曲。オープニングのオルガンや合唱に、どれぐらいのスケールで取り囲まれるのだろう!
ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団

 まちにまったこの曲のSACD盤!かつてBD-Audioではリリースされていましたが、わが家ではこのディスクでの再生は映画システムだったので、ピュア・オーディオの再生を重視していませんでした。だから、高音質盤だとわかっていたものの、いまいちのような気がしていました。
  また、マーラーでBDは所持していなかったというところから、なかなか聴く機会がない曲となってしまったのです。それがようやく、待っていたSACDとなってリリースされ、他の
ディスクと並べられるし(笑)、なにより精神的に解放された、と言ったところでしょうか。

 

 ホルンの咆哮、それに対抗すべくテノールの雄叫び。6楽章すべてにソロパートの声楽を伴う異色の交響曲。大管弦楽を施しながらも、時折現れる室内楽的なハーモニーの対比。
 

オットー・クレンペラー/フィルハーモニー管弦楽団
 「大地の歌」と言ったら、私にはバーンスタインがウィーン・フィルを振った演奏が一番だったから、このクレンペラー盤が名盤ガイドブックでバーンスタインと人気を二分するということが書かれていても見向きもしませんでした。それがEMIのリマスター盤がリリースされたのをきっかけにチョイスしてみると、なんともふくよかな音に驚きました。「そうだ、ボールトの4回目の惑星と同時期の録音だ」と思い直してみると、この演奏(録音)も、非常にお気に入りの一枚になったのです。そうしてバーンスタイン盤と争うように(あくまで私がね)聞きまくったタイミングで、エソテリックの初マーラーに選ばれたなんて奇遇でした。最初のホルンの方向からして、今まで聴いていたディスクとは、明らかに違っていて、こちらにつきぬけてくる感じがしたものでした。それと当時のアコースティックな響きもパッケージされている感じと言ったらよいでしょうか(これはSACD特有の音?雰囲気?です)。
レナード・バーンスタイン/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

バーンスタインの『大地の歌』は2種ともSACDになっています。

♪1966年テノール;ジェームズ・キング/バリトン;ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ
♪1972年
テノール;ルネ・コロ/アルト;クリスタ・ルードヴィッヒ

 長らく私のベストとして愛聴しているウィーンフィル盤は、タワー・レコード・オリジナル「ヴィンテージ・コレクション」として2016年12月にリリースされました。

  この企画に限らずSACD化は、それまではなんら不満すら感じなかった音にさえ(避けて通れない「聞き比べ」をすると)、今までの音源に「こんな音に満足していたのか!」と思い知らされます。
  今回のタワー企画「
いいぞタワー!」この調子で番号を逆走して(最初にマラ9はジュリーニだった)、1番に向かってSACD化を続けて欲しいですね。だから次の第8番はショルティ/シカゴでしょ!?

 

 

ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団

 この曲のレコーディングの中にあって、もっともインパクトのある国内盤アナログ。米国のデッカ盤のジャケットは、クラシックらしからぬジャケットに思えます。

 

 ベートーヴェンの第九との兼ね合いから引き合いに出される「第九のジンクス」。もろ影響を受けたマーラーの第九ほど、それから逃れ、安らぎを得たいと思わせる楽想は非常に美しく感じさせてくれます。
 
レナード・バーンスタイン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 1979年、バーンスタインの一期一会の演奏(会)の実況放送のCD化。この年のベルリン・フィルはマーラーの名演を残してくれていて、メイン・シェフであるカラヤンの、バーンスタインと同じく第九、そしてショルティが乗り込んでの交響曲第二番(海賊盤で聴くことができます)。バーンスタインのこれは、さすがにFMで放送されたときはまだ小学生だったので、知る由もなかったのですが、正規のCDでリリースされたときは心ときめきました(笑)。そして聞き終わったときの脱力感と言ったら!同じ時期にカラヤンのセッション、そして2年後のライヴによるアルバムと対極をなす演奏です。出だしはどちらも美しい。でもその美しさも「生と死」の美しさ。当然カラヤンのは「生」である輝かしい美。バーンスタインのは 「死」に対する美学… それは演奏が進むにつれて両者の違いがはっきり出てきます。そして最終楽章のエンディング。どちらも美しい。そして悲しい結末。

 2014年にエソテリック盤がリリースされた翌年、今度はシングルレイヤー盤がリリースされました。音源を所有しているだけあって、ほとんど修正されていない音源のSACD化のようです(初出のCDとも、OBPとも違う)。
ラジオ放送されたときの雰囲気をそのまま出してきた、といった感じで、SACDならライヴでもいいや、という私も満足。


カルロ・マリア・ジュリーニ/シカゴ交響楽団

 タワー・レコード・オリジナル「ヴィンテージ・コレクション」の1枚。私にとっての第九は、まさにジュリーニのこのアルバムでした。それは今でも変わらず。出だしのむせび泣く弦の響きが、この世のものとは思えないような安らかな気持ちにさせてくれます。同じ曲なのに、どうして演奏家が変わっただけで、それを実感できたりできなかったりするのでしょうか?そこがクラシック音楽の面白いところで、それが様々な解釈を生み出すのでしょう。仮に、このジュリーニの第九でない演奏を選ぶのなら、カラヤン/ベルリン・フィルのライヴ盤を チョイスします。

 
 

 この曲を初めて聴いた時は、その表示の番号(第10番)にも慣れていなかったこともあり、それまでのマーラーとは違う世界の音楽のように聞こえました。それも、いろいろな指揮者のレコーディングを聴くようになって(ラトルの影響かな)、だんだん第10番の悲しいほどに美しい響きに惹かれるようになりました。たった1楽章しか完成できなかったというエピソードも、聴く上では心理的な影響を与えてくれたようで、後半の不協和音の恐ろしいまでの響き。その響きが、SACDで聴く場合、強烈なまでに皮膚を通じて体の芯に入り込んでくるかのようです。
 
マイケル・ティスソン・トーマス/サンフランシスコ交響楽団
 あまりこの曲を聴くことはないのですが、ラトルがベルリンと、ハーディングがウィーンと競演するかのようなディスクが出て来てから、なんとなく「そうだ、トーマスにSACDがあった」と思いだし(忘れてた)、こころを落ち着けて聴いてみました。ライヴ特有の緊張感というか、この曲想にぴったりの臨場感というか… 「ライヴ聞くならSACDだな」と再確認した感がありました。 これならラトルやハーディングのディスクもSACDにならないかな、などと思ってみましたが、未完だったこれだけだから良いのかもしれません。

 

 

 

 

 輸入盤なので日本語解説が帯だけというのはちょっと寂しい気がしますが、これだけの内容のものがこの価格でと考えるならば良しとしましょう。それに解説といったって、どうせ代わり映えのしない曲目解説ぐらいでしょうから。できることならば、これはオーケストラの自主制作盤なので、そのあたりの苦労物語なんかの制作秘話とかあると嬉しいですね。(レビュー


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元「http://www.catv296.ne.jp/~tupichan/Review_SACD-Mahler.html」です。