星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)
12月26日 「麻田剛立、間重富」

 今回の日食をどこで見ようかなぁと漠然と考えていた時に、フト思い浮かんだのが「麻田剛立のお墓参り」プラン。そうだ、それが一番だと思い、カメラと着替えだけ用意して計画もそこそこに新幹線へ乗り込みました(一人暮らしのいいトコロです)。
  朝もまだ早い時間に最寄り駅の始発快速に乗り、新幹線「のぞみ」でどこまで走っても、どんよりとした空を眺めながら大阪へ。列車は、最高速度300キロで新横浜から一気に名古屋へ飛ばします。途中、富士山が青空の中、白い冠を見せてくれましたが、あっという間に過ぎ去って行きました。今から200年前の江戸時代の人には想像もつかないスピードで。同じ風景を飛び越えて、自らの足で西へ東へと歩いた江戸時代の旅人に想いを馳せました。

 先ず最初に向かったのは、傘が必要なぐらいの雨脚となってしまった中での間重富のお墓参り。墓石も濡れ始めていましたが、立派なお墓です。大阪の地下鉄乗り放題券を入手していたので、このあとは名所巡りの地図を頼りに「天文観測の地」へ。それから、日食の時間に合わせて麻田剛立です。

 今年二度目の部分日食。1月の日食は、幸いなことに最大食の時間まで晴天(とはいい難かったが…)で見ることができましたが、今回の日食は雨。

 当然と言えば当然ですが、お墓参りに来る人は誰もおらず、暮れの慌ただしさとは無縁の時間と空間がここにはありました。どんよりとした空で、いつまで待っても欠けた太陽は顔を出すことがありません。腕を組んだまま空を見上げる剛立に「晴れませんねぇ」と声を掛けたものの、彼は身じろぎ一つせず、ただ雲の隙間から一筋の日彼が漏れることだけを期待しているようでした。
 そんな情景を想像しながら、自分自身も時々顔にパラパラと冷雨を受けながらじっと空を見つめていましたが、このまま待っていても日食は無理かなぁ、と思った瞬間、隣にいたはずの剛立の気配もなくなっていました。
 日本の天文学に興味を持ってここまでやってきました。まだまだ訪ねたい場所はたくさんありますが、わずか1年の間(去年の12月28日から始まった)に、日本の天文学の発展の中心になった渋川春海、高橋至時、伊能忠敬、間宮林蔵らの史跡を訪ね、とうとう麻田剛立にも会うことができました。しかも日食の日に来られたのは、日頃の行いが良かったんだろうなぁと、隣にいたはずの剛立に聞いてみたかったのですが、どこかに行ってしまったようです。

 


統国寺(大阪市天王寺区茶臼山町1ー31)



浄春寺(大阪市天王寺区夕陽丘町5-3)


---星空夜話(2019)
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