日比谷での講座で、自分なりに勉強したことから日本の天文学に、遅ればせながら興味を持ちました。西洋の天文学と違って、地続きだから実際に「訪ねる」ことができる対象なので、星を見る意外の天文へのつきあい方に幅ができたと思っております。こんな楽しみを気づかせてもらった日比谷図文化館の職員Tさんに感謝です!
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関孝和(-1708) |
長久保赤水(1717-1801) |
堀田仁助(1745-1829) |
国友一貫斎(1778-1840) |
渋川春海(1639-1715) |
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映画(冲方丁原作『天地明察』)の主人公にも抜擢された渋川春海が、現代日本の天文学の礎を気づいたと言っても良いのではないでしょうか? (というか、個人的にはここから本格的なお話を組むようにしてます) |
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伊能忠敬(1745-1818) |
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あまり意識していませんでしたが、奇遇にも2018年は、伊能忠敬没後200年でした。彼は50歳を過ぎてから天文・暦を勉強。そして徒歩だけで日本の正確な地図を天測(星を観測すること)によって完成させた偉人。同じ千葉県人として誇らしく思うと同時に、今までほとんど関心を寄せていなかった自分もまた、50を過ぎてから日本人の天文学に関心を寄せるようになったのは、何か皮肉のようにも思います。 今からでも遅くはない(というのもご近所さんですからね)と、まずは伊能忠敬の足跡を訪ねるところから 始めようと思います。 |
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千葉は九十九里の小関。そういえば、昔から九十九里を見に行く時には決まって「伊能忠敬出生地」の看板を目にしていたことを思い出します。 私が訪れたのは暮れも暮れ、12/31ということもあり、全く人の姿はありませんでしたが、出生地とはいっても門前仲町にある住居跡同様、とくに史跡が残っている場所ではなく、現在は「伊能忠敬記念公園」として手入れの行き届いた公園に姿を変え、偉人を偲んでいました。そこには天測儀の横で天を指差す銅像が建立されています。 |
~ 伊能忠敬銅像 ~ (富岡八幡宮内) |
ちなみに、ここからほど遠からぬところには、伊能忠敬より測量を引き継いだ間宮林蔵(1780-1844)のお墓が安置されています(江東区平野)。 |
浅草天文台跡(台東区浅草橋3-20-12) 中央の茂み(工事現場の前) |
近くには「跡」だった旨の掲示が立っていました。遠目から眺めた感じでは、人が群がっていたので、「ずいぶん人気があるんだなぁ」と思っていたら、喫煙所でした。まさにそこが「天文台跡」だったのです。 ここ浅草の天文台(は、天文方高橋至時らが寛政の改暦に際して観測した天文台だったようです。その弟子が伊能忠敬であり、深川の自宅からここまでの方位と距離を測っていたようです。ただし、距離が近すぎたので緯度一分の長さを求めるにはあまりにも短すぎました。 |
伊能忠敬住居跡(江東区門前仲町1-18) |
高橋至時(1764-1804) |
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伊能忠敬にばかり気を取られて、師である高橋至時の存在には見向きもしていませんでした。また、至時に関しては人物像が掴みづらい(業績は取りざたされるものの、本人の性格などに関して記述がほとんどないために謎が多い、と思う)こともあって、見落としてしまった重要人物です。 |
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間宮林蔵(1780-1844) |
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長久保赤水(1717-1801) |
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直接天文学と関わっているわけではありませんでしたが、先の伊能忠敬よりも以前に日本の地形を正確に表した『日本輿地路程全図(にほんよちろていぜんず)』を完成させたとこで、(私の)知るところになりました。しかも驚くべきことに、この地図の製作が「測量することなく情報のみで作成された」ことではないでしょうか? そんな経歴を知ってしまっては、ぜひとも長久保赤水のことを知りたいと思い、それほど遠くはない茨城県高萩まで足を運んでみました… それにしても、私の場合は世の中とずいぶんとずれているようで、せっかく「おおっこんなことが!」と気づいた時には、時すでに遅くの場合がほとんどで、この長久保赤水に関しても、こんな展示が開催されていたようです。<いったい何者?江戸の地図男!長久保赤水展> |
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