星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

高橋至時(1764-1804)
明和元年~享和四年(享年39歳)

 最初にお墓を訪ねた時、伊能忠敬にばかり気を取られて、その師である高橋至時の存在には見向きもしていませんでした。また、至時に関しては人物像が掴みづらい(業績は取りざたされるものの、本人の性格などに関して記述がほとんどないために謎が多い、と思う)こともあって、見落としてしまった重要人物です。
高橋至時の墓
(東京都台東区東上野「源空寺」東京都指定史跡)

 高橋至時のお墓は伊能忠敬と同じ源空寺にあります。麻田剛立間重富と共に近代天文学の礎となった彼の業績は多くの天文ファンに知るところです。そんな偉大な業績と比べると、人物像の方は知られていないため、どんな人物だったのか今イチつかみ所のない天文学者でした。
  最近読んだ太田俊明の『一身二心』の中で、初めて人物像が描かれているのを読みました(もしかしたら他の書籍に記されているのかもしれませんが、少なくとも私は初めて触れました)。とはいえ、小説ですので作者の創作であるのですが、なかなかの堅物として描かれています。そして、その描き方が物語の手法として「嫌な」人物像を読み手に与えておいて、ラストにどんでん返しの感動を用意してくれていました。最近、涙腺が弱くなっているので、こういう展開には涙無くして読むことができませんでした。
  また、息子の景保も父の隣にいましたが、シーボルト事件を起こしたためでしょう、史跡にも指定されていないからでしょう、こじんまりとした墓石でした。ここでも社会の授業で「もちっと、ちゃんと勉強しておけば良かった」と思うのでした。

参考書
☆日本思想体系65 洋学・下(岩波書店)
→ラランデ暦書管見(抄)(高橋至時/中山茂校注)
→高橋至時と気義時と「ラランデ暦書管見」(中山茂)
→洋学としての天文学 -その形成と展開-(広瀬秀雄)

☆伊能忠敬/大谷亮吉(大正六年、岩波書店)

☆高橋至時(昭和三十五年、天文月報52-2)
ニッポン天文意外史20「麻田剛立と高橋至時の師弟関係」(星の手帖 Vol.60)
☆一身二心 ~吉宗の遺言/太田俊明 (日本経済新聞社)

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