星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)


5月13日 佐倉の田毎の月
 田毎の月といえば歌川広重で有名な千曲の方。 段々畑の田んぼ一枚一枚に月が反射している浮世絵… 何十年も前に行った時の記念スタンプも全部の田んぼに月が写ってました(笑) 絵師も想像で描いたと言われていますが、 広重の絵を最初に見た時には「あっ、これ、見たい」って思いました。 そしてしばらく想像してみて

「へぇぇっ・・・ん? えっ? アレッ?」

「そんなことってあり得るの?」と。

ありえません。
田んぼの水面がそれぞれ角度がついていれば別ですが、 自然の状態では、何枚あっても水面は平行だから 目の前の一枚だけに月が写っているはずです(というか、写りません)。 (想像で)目の前にある棚田の畦を全て取っ払って一枚で考えると すぐにわかるのではないでしょうか? そんな現実的なことを考えると夢も何もなくなってしまうので、 松尾芭蕉の「天の川の句」同様 そんな姿を想像で描いた絵師は、やっぱりすごいと思います。 実際にはみて書いてないのがバレバレですが 今日は満月でした。

  地元もお米をやっている農家さんが多く、 家の周辺の水田からはこの時期カエルがペキペキ鳴く声が朝まで続きます。 本日は水を張ってから最初の満月ということもあり、 段々畑ではありませんが地元の「田毎の月」を愛でてきました。 どこに移動しようと幾つもの田んぼに御身を泳がせながら、 月は私のあとを追いかけてきます。

まさに「田毎の月」

- - - 星空夜話(2025)
 



5月13日「おくのほそみち・3」
  名残惜しげに映る山々も、とうとうトンネルに入ってしまったために別れなければならなかった。短いトンネルだったにもかかわらず、文字通り“トンネルを抜けると…”そこは別世界だった。
 山も川も、空気までも童話の世界、宮沢賢治のはぐくんだ世界が広がっている。国道を逸れ田舎道に入り込んで車のエンジンを切ると、サムトの婆とはまったく違う、のどかな(しかもポカポカしている)雰囲気に満ちあふれていた。

 この差は文学的なイメージから来る差なんだろうけど、車を降りて「う〜ん」と体を伸ばしてみて気がついたことがある。それは、遠野では四方を神々の住む山々に取り囲まれていたが、ここではこの空気を閉ざすような山もなく、遠く花巻まで見通すことができたのだ。

 閉ざされた陰の世界が遠野で、解放された陽の世界が賢治の童話の世界…。生活、風俗をまとめあげた柳田国男の民話と、おとぎ話を創作した童話の違いもあるだろうが、その2つの世界が隣り合わせになり、山を隔ててトンネル一本で結ばれているというのも不思議な気がする。

 いつだったか、藤井旭氏の写真集の中にイギリス海岸から見た夜景の写真を見たことがあった。そこには「街灯がまぶしくて…」、だったか「曇っていて…」だったかで、星の写真が撮れなかったようなことが書いてあったと記憶している。賢治記念館の図書室であがた森魚さんが朗読している『よだかの星』を聞きながら、窓の外をぼんやり眺めていたらそのことをフト思い出した。「イギリス海岸で星空を見たい」

 大川内宿に行くつもりもなかったし、それを思えば時間はたっぷりあるしで、「星野写真は無理だけど宵の明星ならどうかしらん?」と思い、さっそく記念館を後にするとイギリス海岸と西の空がファインダーにうまく収まる場所探しだ。

 市街地に入り込むと一方通行やら、駐車禁止やらでうまく車を止めることができず、賢治の墓参りを済ませた後夕食をとり、以前撮った場所へと車を移動させる。懐かしい場所ではあるが、そこからだと対岸は東の空になってしまった。

 どうにかして反対側に回り込むと、ここからは花巻市街のネオンと宵の明星が収まりそうだ。川面にも空が映ってくれるのでイギリス海岸の雰囲気を収めることができた。およそ銀河鉄道とはかけ離れてはいるものの、それでも何十年もの時を隔てて仰ぎ見る星空や夜景に賢治の思い描いた世界の中に入り込めたような気がする。
対岸のネオンが川面に鮮やかな彩色をにじませ流れてゆく。

---一番星のなる木(1999)
 


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