天文にまつわる江戸時代の人のはなし

 夏休みがあっという間に終わってしまいました。中学校生活での生きがい(笑)だった部活動も、今月初めに行われる体育祭での演奏で引退となってしまいます。だから、引退までの残り少ない時間を、楽しみたいと思います。

 今月15日、天文ファンのみなさんはもうご存知かもしれませんが『天地明察』という、映画が公開されます。そこで、今回は江戸時代の天文学にまつわる人を2人紹介したいと思います。

 1人目は『天地明察』の主人公でもある、渋川晴海(しぶかわはるみ)です。江戸時代前期、800年にわたって日本で使われていた唐(中国)の暦が、ずれを生じるようになってしまいました。そこで、徳川家綱の後見人だった会津藩主・保科正之(ほしなまさゆき)に命じられた渋川は、新しい暦を作ります。彼が完成させた暦は『貞享暦(じょうきょうれき)』と名付けられ、1685年から70年間使われました。

 2人目は、千葉県佐原出身の伊能忠敬です。ご存じのとおり、日本中を歩いて測量し、ほぼ正確な日本地図を作り上げた有名な人です。忠敬は測量のときに、天文学の知識も生かしたのですが、その勉強を始めたのは、なんと51歳だそうです。しかも、忠敬が弟子入りをしたのは、高橋至時(たかはしよしとき)という32歳の若者。江戸時代の人々は、年上の者が年下の者に頭を下げるということを嫌っていました。そんな中で、プライドを捨ててまで天文学を学びたいという意気込みが、私は素晴らしいと思いました。

さて、突然ですが、『みふみ通信』は、今回をもって、しばらく休載とさせていただきます。

短い間でしたが、ありがとうございました!またいつか、お会いしましょう。(みふみ)


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