クラウディオ・アバド(1933~2014)を知ったのは、マーラー・ブームが過熱した1980年初頭で、交響曲第2番が、かの『レコード芸術』誌にてアルバム・ランキングで第1位に推薦されていたことでした。
動くアバドの初体験はNHK教育テレビで放送された「ミラノ・スカラ座管弦楽団・特別演奏会」において、ヴェルディの『レクイエム』でした。私はアバドよりも、そのほんのちょっと前に放送されたリッカルド・ムーティ(フィラデルフィア管弦楽団演奏会だった)の方が、派手なパフォーマンスで好きでしたが、ライバル視されている、同じイタリア出身のアバドも早くから好きになった指揮者の一人です。
1980年代前半は、というよりもベルリン・フィルの音楽監督に就任する前々ではウィーン・フィルとの相性も良く、レコーディングに、コンサートにと指揮台の常連でしたが、ベルリンとの関係が決定的になってからというもののウィーンへの足が遠ざかりました。あまり気にしていませんでしたが、どうもウィーン側から「有名になって勉強をしなくなったから」呼ばなくなったとのこと(中野雄著「指揮者の役割」より)。同書にはレヴァインとウィーン・フィルに関することも記載されていますが、結構怖い世界です、クラシックは。
レクイエム(1980)
ジャケットの美しさにも惹かれ、大曲・宗教曲でありながら初めて2枚組というCDを買ったのがこの『レクイエム』でした。2015年には待望のSACD(エソテリック) 化され、テレビで見たアバドの繊細な棒(タクト)さばきと息づかいが聴き取れるようです。
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