グスタフ・マーラー(1860-1911) |
アバドのマーラーを知るきっかけは、『レコード芸術』のマーラー特集。そこで交響曲別のディスコグラフィーがランキング形式で掲載されていて、交響曲第2番が第1位に推薦されていたことがきっかけでした。元々は、その頃新譜として告知されていたゲオルグ・ショルティの同曲の情報を知りたくて手にした雑誌でした。まだショルティ盤はレビューなどもなかったので、そのランキングにすら登場していませんでした(広告は出ていた)。目に留まった理由は、鳥の羽(クジャク)をあしらった統一感のあるジャケット。ドイツ・グラモフォンはジャケットセンスが本当に高かった。 |
交響曲 |
オーケストラ(録音) |
交響曲 第2番 ハ短調 |
シカゴ交響楽団(1976) |
交響曲 第6番 イ短調 |
シカゴ交響楽団(1979) |
交響曲 第5番 嬰ハ短調 |
シカゴ交響楽団(1980) |
交響曲 第1番 ニ長調 |
シカゴ交響楽団(1982) |
交響曲 第7番 ホ短調 |
シカゴ交響楽団(1984) |
交響曲 第2番(1976)
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先にも書きましたが、マーラーの交響曲で最初に気になったのがこの曲。タイトルに惹かれたのがきっかけでした。交響曲別ランキングで、当時の最新レコーディングという話題性もあってか1位でした。対抗馬は盟友のズビン・メータのウィーンフィル盤。 |
交響曲 第6番(1979)
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ショルティに鍛え抜かれたシカゴ交響楽団の硬質なオケの響きは、アバド盤でも現代音楽寄りなアプローチでマーラーを聴かせてくれるオケだったのに、ここではなんとやわらかい音がすることか! 交響曲の世界では、あまり登場することのない楽器の目立つことで有名。で、肝心のハンマーと言えば「えっ!?鳴った?」という感じで、シカゴには妥当なハンマーが無いのか?などと思ってしまいました。 |
交響曲 第5番(1980)
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ギリギリのアナログ・レコーディング。以降は、いよいよデジタルの時代へと突入することになります。このレコードでの最大の興味は、同じシカゴ響を振ったショルティの演奏との比較でした。(弦が擦り切れるんじゃないかと思ったぐらいの)極限までの引っ張りによる透明感が、現代音楽的なアプローチを見せていたアバドがどんな表現をするのだろう、というあたり。もしかしたら、ショルティよりも客観的な無感情的な演奏になるのかなーと思っていました。思ったほど引っ張ることもしなかったし、デッカとグラモフォンの違いなのか、ショルティと比べると、おとなしめの感じがしました。どちらかというとカラヤンよりかなと… |
交響曲 第1番(1982)
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アバドのマーラーもいよいよデジタル時代に突入し、当時はまだ聞くことができなかったとはいえ、さらにマーラーの解釈が現代音楽(無機質)に向かうなー、と思った一枚でした。ジャケットも羽シリーズが踏破されていて、いい感じ。「巨人」という副題も「復活」に続けて目に留まった表題でした。 |
交響曲 第7番(1984)
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今にして思えば、この時代までアバドがシカゴとの共同作業が行われていたことが面白く、この後ウィーンに乗り込んでベートーヴェンの全集を手がけるようになりました。この年は、コロンビアとチャイコフスキーセッションがシカゴと始まり、第2番を手始めに行われます。 ディスコグラフィーを眺めていて意外に思ったのが、この曲がデジタル時代に録音されていたこと。マーラーの交響曲器楽三部作(5、6、7番)を一気に行わず、アバドがお気に入りだった「夜」がテーマの曲だけに、温存していたのかなぁと。 |
〜おまけ〜 |
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アバドはマーラーの交響曲を度々ライヴ、レコーディングと取り上げてくれました。私もベルリン・フィルと来日した際の「復活」を体験することができたのは至上の喜びでした。第5楽章の合唱以降の感動は、涙無くして聞くことができませんでした。 さて、アバドは何度か全曲を試みていますが、残念ながら統一したオケでの機会には恵まれず、最初で最後の全集もシカゴ(1、2、5、6、7)、ウィーン(4、9、10)、ベルリン(8)でバラバラ。まー、仕方ないか… そして二度目に挑んだのはアバドの元に集まった世界中のオケの精鋭たちによるルツェルン祝祭管弦楽団によるシリーズで、こちらは志なかばで精魂尽き果て8番を残し、旅立ちました。残念でなりません… ただ、こちらは幸い無ことに、第8番を除き映像残され、名演を体験することができます。なお、レコーディングされることはなかった第8番は、アバドの意志を次いで、リッカルド・シャイーがアバドの、ルツェルンの全集を完成させるべく取り上げ、「ルツェルン祝祭管弦楽団によるマーラー全集」を完成させてくれました。 |
交響曲 第1番(1991) |
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)後の、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任(楽団員による選挙で選出された)したアバドが最初に選んだのが交響曲第1番。シカゴ響、ウィーン・フィルと完成をめざしていた(?はず)ところへ来て、ベルリン・フィルとの再録。個人的にはライヴ盤は自分が行っていない演奏会のものは極めてN.G.なだけに、映像であるなら見たいと思う。 |
交響曲 第5番(1993) |
続けてポピュラーな第5番も再録。 |
交響曲 第8番(1995) |
プロダクションが変更した(?)のか、先行した2枚(第1番、第5番)とも異なるデザインで、なんか宙ぶらりんな感じが否めない第8番。しかし、ベルリン・フィルによる第8番である。ライヴである。仕方ないのだろう、大掛かりだし。そこはよくやった、グラモフォン!である(笑)これこそ宇宙が鳴り響く様を映像で見たいと思う、SACDで聞きたいと思う(夢のまた夢?)。 |
交響曲 第9番(2001) |
この第9番からはプロダクションの方向性も決定したらしく、アルバムデザインのコンセプトが統一されるようになりました。味も素っ気もないシンプルなデザインは、いかにもモダンな感じがしますが、せっかくの名演をパッケージ化するのだから、もっと芸術性の高いものにしてもらいたいものです(グチ)。いわゆるレコード芸術(2023年に廃刊になった雑誌のタイトルではありません)は、ジャケットも含めたもの、という考えが、もはや作り手に無くなってきたのではないでしょうか… |
交響曲 第7番(2002) |
先にも書きましたが、マーラーの交響曲で最初に気になったのがこの曲。タイトルに惹かれたのがきっかけでした。交響曲別ランキングで、当時の最新レコーディングという話題性もあってか1位でした。対抗馬は盟友のズビン・メータのウィーンフィル盤。 |
交響曲 3番(2002) |
声楽入りの交響曲。そうなると気になるのがソリストHA誰が務めているのか、というところではないでしょうか? 今回はアンナ・ラーション(Anna Larsson)。この巨大な交響曲の中にあってリリカルな小品。登山中に出くわした高山植物のような「可憐な声」を期待してしまいますが、実際には山からの呼び声とでもいうのでしょうか? 人間をじっと見守る神の如くの落ち着いたアルトで、登山道で例えるならば、高鳴る鼓動を落ち着かせてくれるようです。高山植物の例えでいうならば、続く第4楽章での少年合唱団の声につきます。メロディラインは、この曲の構想中には第7楽章に含まれるはずだった交響曲第4番と同じメロディを奏で、それぞれの交響曲に繋がりを感じさせます。 デジタル時代に突入した直後にジェシー・ノーマン(Jessye Norman)を迎えてレコーディングされたウィーン・フィルとレコーディングした方がより深みと、自然への畏敬の念を感じます。ノーマンだからこその名演だったのではないでしょうか? ちなみにエソテリックのSACDではベルリンとのレコーディングが採用されました。 |
交響曲 第6番(2005) |
2004年の録音。期待するは「ハンマー」がどれだけ炸裂するか? です(笑) いやいや、これは凄い! 担当も力の限りブッ叩いているって感じ。この叩き方は尋常じゃない(笑)。1979年のシカゴ響とは見違えるほど! バーンスタイン盤よりも強烈! あまりに強烈すぎて、叩き台が床から飛び跳ねてしまったような音まで聞こえます(特に一発目)。そして次の二発目の威力も変わらず。エンディングはビックリシンフォニーという感じ。 アバドの演奏は、シカゴ響とも、ベルリンフィルとも、そして2007年のルツェルンとも第二、三楽章を入れ替えて演奏します。。 |
交響曲 第4番(2005) |
ソリストにレネ・フレミング(Renee Fleming)を迎えたリリカルな作品。ウィーン・フィルとではフレデリカ・フォン・シュターデ(Frederica von Stade)というチャーミングな歌声を起用していましたが、今回の人選も同じく相応しい歌声。このままで行ったら第2番の二人は誰を起用したのかなぁ、と考えると楽しくなります。 |