翌朝、太陽も青空も、そして茅葺き屋根の残雪もまぶしいぐらいによい天気になってくれた。その茅葺き屋根に積もっている白い雪の塊は、春の日の雪解けのように音を立てて地面にこぼれ落ちている。平澤君との待ち合わには、まだ時間がたっぷりあったから、僕は一緒に泊まっていた人たちに五百羅漢岩を薦め、案内役を買ってでた。
 五百羅漢岩を見たあと、遠野駅まで送ってもらって、残りの時間を駅前の喫茶店でつぶすことにして、列車の到着後分ぐらい前までくつろごうと思った。本当はくつろぐつもりで入ったんだけど、注文したアイスコーヒーを一口飲むたびに、時計を気にしては時間を確認したり、外の様子を窺ったり、とにかくそわそわしてしまった。旅先で友人と待ち合わせることなんて初めてだったから、多少の緊張があったんだと思う。結局くつろぐ暇もなく、僕は遠野駅に向かった。
 僕が駅に着いたときにはすでに花巻からの列車は到着していて、改札口に行くと列車から降りてきた乗客たちが改札を済ませ、次々と僕の横を通り過ぎていった。僕はその中かから平澤君をいち早く見つけだしてやろうと、通り過ぎていく人たちの顔をひとりひとり見てみたけど、とうとう最後のひとりになっても彼の見慣れた表情を見つけだすことができなかった。まだ駅構内に残っているかもしれないと思って、改札口から身を乗り出してキョロキョロしていたら、後ろから肩をポンポンと叩かれた。僕があわてて振り向くと、そこにはにこにことした表情の平澤君がいた。
 僕らはヤァヤァと挨拶を交わしたあと、昨日自転車を借りた店で再び自転車を借りて、昨日は足を延ばさなかった、というよりは平澤君と二人で回ってみたいと思っていた、もっとも遠野らしさが残っているという山口の山里へと自転車を走らせた。
 市街地をほんの少し走っただけで、道の周りは建造物から山や森に移り変わり、車の数もめっきり少なくなってきた。そして、僕らはどんどん山里の中へと入っていき、今はもう人々の心の中にしか存在しないような景色の中へ入っていくのを感じた。
 田圃のあちこちに点在する茅葺き屋根の曲り家、今にもカッパが出てきそうな小烏瀬川やカッパ淵、水の流れとともに回り続ける水車のゴトゴトという音。風の渡る音や川のせせらぎ、葉擦れのざわめき、鳥や獣たちの鳴き声。
 ここにはありとあらゆるものが自然界に支配されていた頃の、紛れもない遠野物語の風景だと思う。そして、森や川や水車は、昔から姿を変えずに存在し続けることで、人々の生活の中から、徐々に忘れ去られていく伝説や伝承を代弁してくれているかのようだった。

 何の変哲もないところとはいっても、さすがは遠野物語を生んだ山里だけに、人目につかないような所にまで、しっかりとしたプレートで作られた案内板が置かれていた。それはそれで、とても親切なガイドをしてくれていると思うけど、僕としては「なにもそんなあちこちに案内板を置いて自然の興趣を壊さなくたって、道路脇にある道しるべ(追分けの碑)や道祖神、草むらの中に見え隠れしている山神の石碑だけで十分じゃないか」って思う。
 木槌街道の入り口や、追分けの碑などが置かれた分岐点などから、山の中へと延びる道を眺めながら「今までにどれくらいの人たちが、この道標を頼りに道祖神に祈りながら山越えをしていったんだろう」と考えるだけで、遠野物語の風景に出会うことができるはずだ。そして山神の石碑などは“そこに山神が出没した”という昔の案内板なんだから、苔生したその石碑に「何かが宿っているのかもしれない」と考えるだけで、昔の人たちが抱いていた畏怖の念を、僕らも感じることができるのではないだろうか?
 遠野を巡る旅は、自分の心の中に描いていた遠野像を見つけだすことが目的だから心の旅なのかもしれない。だから、自然保護や観光整備という名目で、あまり手を加えて自然の興趣を損なわないでほしいと思った。
 僕らは冷たい風を受け、時々すれ違う地元の人たちに「こんにちわ」と、挨拶を送ってもらいながら、昔の遠野の生活を体験できる『伝承園』や、昔は遠野の大通りだったという早池峰古道跡を通り過ぎて、舗装された道が延びてはいるものの、滅多に車が通らない山口集落の山里深いところまで来た。
 耳を澄ませてみても、車の音や機械なんかの音なんか聞こえてこなかった。ただ遠くの方で、川のせせらぐ音に合わせて水車のゴトゴト回る音だけが、この静寂の中に繰り返し響き渡っているぐらいだ。
 そんなまっただ中に、遠野物語の素材を柳田国男に提供した佐々木喜善の生家があり、その家の前に佇んでいるだけで、遠野物語の世界へ入っていく入り口の前に立っているような気分になれる。しかし、そんなのどかな風景とは裏腹に、この辺は遠野の歴史の中で、もっとも陰鬱なところかもしれない。
 僕たちは、畑の向こうの雑木林の中に案内板を見つけたので、畦道を伝って近づいてみた。一見すると、山口集落を一望できる小高い丘にしか見えないけど、ここは囚人の首を切り落とすための刑場に使われていたダンノハナだという。そして、枯れ木が周囲を遮っていたから、その場に人間の欲や怨念が渦巻き、カッパやザシキワラシのイタズラとはほど遠い雰囲気を漂わせていた。さらにそこからは、昔の習慣でお年寄りを捨てていたという姥捨て山のデンデラ野が、重そうな灰色の空の下に見えていた。
「きっと、幼い日の喜善の心の目にも、今の僕と同じ風景が写っていたに違いない」
 そんなことを考えていたら、まだ読み終えていないはずの遠野物語の全文を、すべて読んでしまったような、喜善の口からは決して語られることのなかった、彼の心の中に宿っている畏怖の念に触れたような気がした。
 道がアスファルトになり、電柱が立ち並んだ以外は、昔からなにも変わっていないように見える山口集落に、近代開発の波がそれほど影響を与えているようには思えないが、人々の心の中には風が吹いたようだ。
 僕らが水車小屋を物珍しげに眺めていたら、背を丸めたおばあさんがニコニコとした表情で近づいてきた。おばあさんは、僕らが東京と千葉から来たということを知ると、皺だらけの顔をもっとクシャクシャにして「それは遠いところからよく来てくれたね」と言って喜んでくれた。最初はこんな山奥に住んでいたら東京とか、千葉なんて言われてもわからないんじゃないかと思ったけど「うちの息子も今では東京で暮らしているんだよ」と言う。


 だから、デンデラ野と呼ばれていた姥捨て山の習慣も廃れてしまい、僕らが訪れたときには荒涼とした原野が遠く山間に入りくんでいるだけだった。そして、かつては捨てられた老人たちが共同で暮らしていたという小屋もなく、ただその跡には一本の朽ち果てた柱と、そこに刺された風車だけが残されていた。
 もしかしたら、遠野にいる間ずっと僕の心の中に語りかけてくれていたのは、この風車だったんじゃないだろうか。そんな気がする。
 その風車は、風が吹くと、時の過ぎ去った早さを知らせるように、カラカラと急いで回りだした。