1983年8月14日に、ラジオ短波から生中継されたイベント。星空への招待。 兄の持つラジオが短波放送が受信できると知り、この日をワクワクしながら待ちました。私の頭上も会場と同じく、当日の空はあいにくの曇り空。思いを福島に馳せて、ラジオとにらめっこ(多分、流しながら何かやっていたと思います)。 東京にあるラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)オープンスタジオと福島県浄土平(会場である浄土平側を特設会場と称して)を、中継で結ぶという、今までに体験したことの無い星空番組でした。 放送局にはパーソナリティうすいひろこさん、ゲストに科学評論家と紹介された草加英明さん、歌手の久保田早紀さん、音楽にはキーボード16台を持ち込み、生演奏で盛り上げてくれたコスモスの3人。中継先の浄土平の会場には、産休明けのタレントのケイ・アンナさん(今でいう天然ボケみたいな感じ)、白河天体観測所の面々(藤井旭さん、大野雄二さん、岡田弘明さん。そして東北大学名誉教授の吉田正太郎先生。遅れて落語家の柳家小ゑん師匠(番組の途中でケイ・アンナさんが、吉田正太郎先生に対して関係者をハラハラさせる発言してくれましたねぇ~)。 ペルセウス座流星群の母天体となっているスイフト・タットル彗星(109P/Swift-Tuttle)が120年ぶりの回帰ということもあって開かれた『第9回 星空への招待』。白河天体観測所の面々が出演。それまで、本の中でしか会うことのなかった方々の肉声を聴くことができて、個人的にとても興奮していたことを思い出します。リスナーの中には、そんな同じ思いをしていた天文ファンも多かったのではないかと思います。 番組中は、あいにくの空模様で、場所によっては雨がパラついていたかもしれません。雨が降っていたということもあって、部屋に閉じこもってラジオに耳を傾けていましたが、ラジオ電波と同じく空を漂って会場にいるような感覚で聞いていました。 それにしても我が家にあった短波ラジオは携帯だったから、チューニングの乱れること!ところどころで要所要所で電波が乱れ「今、何て言ってたんだ?」というシーンが多々ありました(笑)。 それはともかく、 柳家小ゑんさんなどの出演後、会場(というよりケイ・アンナさんが、かな?)は一気に大いに盛り上がりました。 この番組のハイライトそしては、浄土平からの生中継以上に、俳優である熊倉和生さんの朗読による『犬の天文台長~チロの物語』だったかもしれません。このドラマのために書き下ろされたわけではありませんが、COSMOSの演奏する楽曲が大いにドラマも盛り立ててくれました。 ちなみにゲストの久保田早紀さんは、その後ラジオ短波の『Viva! スカイウォッチング』の初代パーソナリティを務めることになり、私もラジオが使える日はしばらくは聴いていました。その次が国立天文台の磯部秀三先生、そして大野裕明さんに引き継がれました。 この日の番組は、短波を聞くことの出来な友人に聞かせるつもりで、カセットテープに録音してあったので、今でも思い出したように、そして星空を眺める時には、星々の輝きを眺めながら「タイムマシン」的な雰囲気を味わいつつ当時を思い出すことができます。耳を傾けるたびに、今でも昨日のことのように思えます。特に星空を眺めながら聴いていると… ところで、今の『スターウィーク』につながる事件が起こりました。この生中継の時に大野さんが「今日のこの日を記念して、8/13を星の日にしました」という発言。これが、のちの大論争を巻き起こすことになります(笑)。番組中、草加さんも「なんか簡単に決まっちゃいましたが… まぁ、いいでしょう」などと発言していました。 なお、番組中にケイ・アンナさんが大野さんに10回でも20回でも続けて下さいね、という要望を聞き入れて(実際は10回目を一区切りにする計画が当初からあった)翌年も引き続き、8月2~4日まで最後の「星空への招待」が行なわれました。その最終日の夜には、久保田早紀さんがパーソナリティーを務める「ビバ!スカイウオッチング」の放送局が設置され、公開生放送が行なわれました。会場での司会は久保田早紀さんが駆けつけてくれました。 |
『星の手帖 VOL.22』より |
久保田早紀 |
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「夢がたり」 |
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「天界」 (1980) |
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COSMOS
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「BOURBON SUITE」 |
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ラジオドラマ「12の星座の物語」のテーマとしても使用されていた曲を含む2ndアルバム。 (1982) |
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「MUSITOPIA」 (1983) |
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「Spiral Dream」
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「夢想都市」 (1984) |
(復刻CDが製作されています)