星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

「記念すべき」という表現をどうしても使ってしまいますが、私たち視聴者がセーガン博士に深遠なる宇宙旅行に誘われることになる導入部分、ヴァンゲリスの“天国と地獄パート1”が始まり、タイトルのシンボルでもあるクェーサー(オレンジ色の)が画面に映し出されるオープニングは、【STAR WARS】のオープニングに匹敵するほどの映像と音楽との調和(コスモス)と言えるでしょう。
ヴァンゲリスのページ



“現在、過去、未来のすべて、これが宇宙です”

 セーガン博士は、人類が宇宙という名の渚に出帆しようとしている、と言う例えから、オープニングに海岸を選び話を進めます。

 コスモスでは歴史の舞台となった世界中の遺跡などでロケを行い、実際に、セーガン博士が案内役として出演しています。今までの科学番組にはなかった新鮮な映像。まさにその出発点がこの博士のトレードマークとなっているジャケット姿と、その土地の風になびく髪。

 セーガン博士は宇宙旅行に誘う前にこう言います。

“想像力と懐疑心が大切であること”

 そして好奇心。空想と現実を見極めること。そして僕たちはタンポポの種の綿毛の宇宙船に乗り込んで、150億光年彼方の宇宙からふるさと地球を目指すたびを始めます。

 博士の手から離れたタンポポの綿は、やがて宇宙の果てを飛行し宇宙の旅へと旅に出ます。銀河と銀河の集まり。そしてその中に含まれるたくさんの恒星と無数の惑星たち。様々な天体をくぐり抜け、宇宙旅行に必要な尺度の話を聞きながら、知的生命への夢を打ち明けられるのです。

 この番組以降、地球外知的生命に関する話が登場する番組や書籍が増えたような気がします。つまりこの『コスモス』が先駆けとなりました。 実際にプロジェクト(The Search for Extraterrestrial Intelligence⇒SETI@homeのこと)に関わった博士の説得力のある話に惹きつけられ、いつしか同じ夢を共有するようになりました。

 150億光年の旅もセーガン博士の操る宇宙船では、約10分足らず。航海のテーマとして使われているのはマーラーと共に一時ブームとなったショスタコーヴィッチの交響曲第11番です。(ショスタコーヴィッチのページ

 セーガン博士、パルサーにぶつからないように宇宙船を操縦しています。これは科学番組ではなくスターウォーズ並みの番組構成と想像力ではないでしょうか? ときどき無茶な操縦を楽しむことをする博士。結構、自分の操縦(演技)に酔いしれているところも。。。

 銀河と銀河の集まり。そしてその中に含まれるたくさんの恒星と無数の惑星たち。様々な天体をくぐり抜け、宇宙旅行に必要な尺度の話を聞きながら、知的生命への夢を打ち明けられるのです。 もうひとつ、私がこの番組を見て思うのは、これはただの科学ドキュメンタリーではないということ。単に宇宙を扱ったものではなく、この母なる宇宙を理解し始めた人類への讃歌(エピソード13で、その想いは頂点に達します)であることを強く感じます。

 そしてその時に必ずB.G.M.として使われたのがベートーヴェンの交響曲第7番です。ワーグナーが“舞踏の祭典”と語ったように、様々な民族がオーバーラップします。まさに人類の祭典。第4楽章を聴くと、このシーンを思い出してしまいますが、ここで流れているのは第1楽章。 (ベートーヴェンのページ

 宇宙関連の番組で、ここまで人類の正も負もさらけ出すプログラムは見たことがありません。 当時セーガン博士が『コスモス』と平行して執筆していた科学小説『コンタクト』があります。主人公のエリー・アロウェイが、こと座のヴェガから届くメッセージの中に 「君たちは実に複雑な種だ、破壊的なことをすると同時に美しい夢も見る」と接触(コンタクト)してくるという物語(1996年にロバート・ゼメキス監督によって映画化、主演はジョディ・フォスター)。

  セーガン博士が言いたいことは、一般の人たちへ宇宙や科学をもっと親しみやすく理解してもらおうという啓蒙的なことにとどまらず、そのためにはまず世界が協力し、平和を保つことを訴えたかったのではないかと思います。 そして素晴らしいことに、その思いは地球上の多くの人々の心に届いたことではないでしょうか。

 地球に戻った私たちは、セーガン博士の案内で紀元前三世紀のアレキサンドリアへと連れて行かれます。宇宙番組で、こういった展開はまさにコスモスならでは。

 思うに、世の中のすべての出来事(ジャンル)は、すべて宇宙の誕生があったからこそ,存在しているけれど、そのビックバンから始めれば、どんなことでも話すことができると思っています。音楽でもスポーツでも政治でも。世の中のすべてを関連づけることが、この番組のコンセプトになって制作されたのでしょう。

  旅の出発点は、自分たちのことから知る、という意味で地球を計った男の話から始まります。その男はβ(ベータ)というニックネームを持つエラトステネス(B.C.272〜B.C.192)。
  セーガン博士は当時のアレキサンドリアを偲ぶために荒れ果てた遺跡に佇み、乾いた風の音を聞かせてくれます。私は、そうした風の音を聞くのが好きで、旅先でもよく経験します。古のときを感じさせてくれるので好きです。

  宇宙史の中では大発見とも思えるエピソード、たとえば…

・プトレマイオスの天動説(地球中心説の確立)
・ヨハネス・ケプラーの惑星運動の法則
・ガリレオ・ガリレイの望遠鏡観測
・アイザック・ニュートンの万有引力の法則
・アルベルト・アインシュタインの相対性理論
・エドヴィン・ハッブルの宇宙膨張説

 これらは、比較的良く知られたエピソードですが、博士が最初に取り上げてくれたエラトステネスのエピソードは、この番組で始めて知ったものです。考えてみれば、大した道具も思考も必要としない、とても単純な実験で驚きのエピソードを紹介してくれたのです。私にとって、このあとに続く番組のわかりやすさと魅力を知った瞬間でした。これならついていける!(笑)

 導入エピソードとしては、これ以上シンプルな話はないかもしれません。つまり宇宙を知る入り口で、自分たちの地球のことを扱ったエピソードからわかりやすく入り、この番組に惹きつけられるという効果。道具のまったくなかった時代に、これは大発見でしょう(このエピソードは、私の観察会の中で何度も使わせてもらっています)しかも、その実験をアレキサンドリアという渇いた土地で実際に行っています。


古代アレキサンドリア図書館の遺跡に来たセーガン博士。扉の前に落ちていた缶を思わず蹴っとばしています。世界的重要文化財(地域)とかじゃないのかなぁ、と心配してみたりしています。


宇宙カレンダー
1年=150億年
1ヶ月=12億5千万年
1日=4千万年
1秒=500年

 これが時間の単位です。詳細は後のエピソードでふれますので、ここでは割愛します。セーガン博士は、今(20年前の話になりますが、いわゆる20世紀のこと)の時間を最後の1秒として、来年の最初の1秒が一体どういう瞬間になるのか、と問い掛けてきます。つまり明日はどうなっているかということであり、私たちの世代にその答えが待っているということ。

 上の単位では、私たちの時代はほんの瞬き程度。その中に500年も含まれています。宇宙カレンダーができて多ところででこの章は終わります。これは次のエピソードへの橋渡しになっています。

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