この場を借りて、このアルバムで演奏しているカルロス・クライバーのことをちょこっと書かせていただきます(ファンなので)。
大指揮者エーリッヒ・クライバーの息子として1930年7月3日に生まれ、父の反対を押し切って指揮者となりました。キャンセル魔として知られ、ヘルベルと・フォン・カラヤンは皮肉たっぷりに「冷蔵庫に食べ物がなくならないと指揮台に立たない」と言ったほど、実演回数とレコーディングの少ない指揮者です。ただし、ひとたび指揮台に挙がるというニュースが出ると、世界中のおっかけ(特に日本人は有名らしい)がついて行くばかりか、その楽団を引退したメンバーまでが、カルロスと共演する喜びを共に楽しみたいと、加わるようです。
それから、レパートリーがきわめて少ない指揮者です。そんなカルロスが残してくれたアルバムのうち、コスモスで印象的なシーンに使われたこの曲の超名演として記録されたことは、まさに奇跡としかいいようがありません。
2004年、秘密に包まれた隠居生活の末、死後1ヶ月経って世界に訃報が知れ渡り(7月13日)、世界中のファンを嘆かせました。私も1992年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のツアーに同行予定だった“クライバー来日チケット争奪戦”に踊らされた1人ですが、ようやく手に入れた公演も、直前にキャンセル(代役としてジュゼッペ・シノポリ)となり、生のクライバーを体験することはできませんでした。
曲もニュー・イヤーの曲目と、シューベルトの『未完成交響曲』を引っさげての予定でしたが、シノポリに替わり、曲もマーラーの交響曲第1番他、になりました。
シノポリとは1988年の東京芸術劇場の?(こけら)落としの際、フィルハーモニー管弦楽団とマーラーの全曲演奏会で、交響曲第8番を聴かせてもらい感動させてもらいましたが、「クライバー!」のつもりで購入した高額チケットの返金額には逆らえず、シノポリ/マーラーの組み合わせでもキャンセルしてしまいました(ショルティなら行ったかも)。
その後、キャンセルのために来日できなかったクライバーも、1994年10月にはウィーン国立歌劇場の公演の際、得意の『薔薇の騎士』を振り、元気な姿を見せてくれ、ファンを喜ばせてくれましたが、その後も隠居生活を続け、2004年7月13日にひっそりと息を引き取りました。生のクライバーは二度と実現することはなくなってしまったのは言うまでもありません。また、代役を務めたシノポリも2001年4月20日に、ベルリンでヴェルディの『アイーダ』公演中に倒れ、亡くなるというニュースが一般紙でも報じられ、音楽ファン以外の間でも話題になったのをご存知かもしれません。
さて、コスモスに使われた交響曲第7番の話題から外れてしまいましたので、軌道を元に戻しましょう。現在は同じくベートーヴェンの交響曲第5番とカップリングされて(こちらも稀代の名演)います。「クラシックは退屈で…」という人にもぜひお勧めしたいアルバムです(他の人の演奏だと、確かに眠くなるのかも…)
この曲の対極にあたるのがレナード・バーンスタインが 【最後の演奏会】 となったボストン交響楽団を振った演奏。こちらは聴いていて辛くなるほど、バーンスタインの疲労が、ボストン響の悲鳴となって鳴り響いているようです。そして重々しく引きずるような喘ぎ。確かに「最後のレコーディング」などと書かれてしまうと、どうしても構えて聴いてしまいがちですが、クライバーの演奏と比べると歴然です。
他の指揮者がふった演奏も聴いてみたいとは思いますが、クライバーの後ではどうも…。その代わりといっては何ですが、フランツ・リストがピアノに編曲したものや、弦楽五重奏、木管八重奏などの演奏は聴きました。(やはりクライバーがいいな、と改めて実感しました)
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