正直に白状すると、最近までベートーヴェン(1770-1827)は苦手でした。交響曲第7番以外は。特に嫌いだったわけでもなく、いわゆる「食わず嫌い」の類で、たぶん学校での退屈な音楽の授業が影響していたと思います。学校の授業が悪いのではなく、「音楽の授業とは何をするところなのだ」という漠然とした疑問があり、歌うところなのか演奏するところなのか、はたまた教科書に掲載されている「名曲」というやつを無理やり聞かされて、想像もできない感想を書くところなのか・・・ そうした体験がクラシック御三家(たぶんバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン)を退けていたのかもしれません。それが徐々に変わり始めたのは、やはり自分から興味を持って「聞く理由」を見つけたからかもしれません。
私の「ベートーヴェン観」をぐらつかせたのはカール・セーガンの『コスモス』で、そののち『のだめカンタービレ』で同曲が使われるようになってポピュラーになってしまい、時々「あっ、この曲、のだめで使ってた曲だ」といわれるのが恥ずかしくなってしまいましたが、まあ、それはともかく。 このページのタイトルにあるように、ベートーヴェンは宇宙や星空に興味を持っていました。たとえばそれは、彼の本棚に当時発見されたボーデの法則に関する書物や、ラズモフスキーの作曲時のインスピレーション、そして第九のシラーの歌詞に要約される「星空」への呼びかけ。とはいえ、この詩はベートーヴェンによる作詞ではないので、彼の思惑とはかけ離れているのかもしれませんが、もち違うのであれば使用しないでしょう。そしてこの時代の宇宙観というのが良く現れていると思うのです。 すなわち・・・ ♪もろびとよ、ひれ付しているか? 人の世よ、かの創造主を予感するか? 天空のはるかかなたに、求めるがよい 星辰のかなたに、主はおられるはず♪
ベートーヴェンの時代の宇宙観はすでに天動説ではなく、地動説を受け入れ始めつつありました。ただし、未だに確たる証拠(年周視差)が得られないままに、神学者やアリストテレス学派たちによる「最後の」悪あがきをした時代のさなかでした。ベートーヴェンにとっての宇宙観はいかがなものだったのでしょうか?
政治にも関心のあった彼は、当然世界、というよりもっと大きな視野にたって自分の住む地球、宇宙というものに関心を寄せていたのは当然の成り行きだったのではないでしょうか。 |
「第九といったら」なにはともあれフルトヴェングラーのバイロイトライヴでしょうか。楽曲とあいまって、この曲を超えることができないように、この演奏を超えることができないのかもしれません。それほどの金字塔といえるのではないでしょうか。このSACDを手にするまでに、リマスターごとに何度同じ音源を交わされたことでしょうか。これでやっと最高の演奏を最高の音質で味わうことができるようになったと安心しています。
とはいえ、これほどの千載一遇な名演ですから、「普段から良く聴く」ディスクからはずしてあります。ここぞというか、暮れに一回だけの付き合いです。「第九といったら」の名演を超えられない現代人にとってはあまりに酷なので、そうした聴き方をしています。 |
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