宇宙に存在する惑星に生物はいるのか?オープニングでセーガン博士は自問します。そして宇宙は同じ物質を持つ有機物に満ちあふれている、という希望に満ちた言葉を投げかけてくるのです。そう、エピソード1で、目の前のロウソクの火と、何十億光年の銀河をスペクトルで分光すると同じスペクトルが現れる実験を見せてくれたことを思い出さなければなりません。 「私たちは一体何なのか?」炭素原子が中心になって進化した地球上の生命。この生命だけを研究してきた生物学。果たして宇宙には、人間が研究している生命だけの世界で、他の原子が創り出す生命は存在しないのでしょうか? セーガン博士はそうした生命の種類を音楽のメロディにたとえ、宇宙には様々なメロディに満ちあふれていると語りかけてきます。まだ地球上の生命しか知らない人類は、一つのメロディにしか耳を傾けていない。しかし宇宙には様々なメロディに満ちあふれている。そのメロディに耳を傾ける為には、自分自身を知る必要があるといって、なんと宇宙を扱う科学番組としては異例の生物学の世界へと連れ出します。そしてその場所が、なんと日本のとある海岸でした。 |
日本の壇ノ浦でロケ
(エンディング・クレジットには赤間神宮や下関漁業組合の名前が記されてます)
この番組が放送されたとき、私はまだ中学生。天文学に興味を持ちだした矢先の番組だったので、夜遅い番組でしたが食い入るようにカセットテープを回しつつ、ブラウン管に釘付けになりました。そして横内正さんのセーガン博士の言葉を一字一句聞き漏らさないように見入ったものです。それも内容が宇宙だから。それがなんとエピソード2にして生物学の世界に突入したのです。しかもその題材に選んだのが日本の壇ノ浦で伝説となっている平家ガニのエピソードだから驚きは何倍にもふくれあがりました。「一体どういう番組なのだ!?」
今でこそ、宇宙や天文の番組にはこうした分野の違うシーンは当然のように、なんの違和感もなく受け入れることができましたが、当時はそうした風潮もなかったので、最初はなんのことかさっぱりわかりませんでした。 “人間がこれまで営々と織り上げてきた知識という貴重な織物のことが語られ、その織物の重要な一部として科学が提示されていた。向上心に燃える物理学者が、プラトンやアリストテレス、バッハ、シェイクスピア、ギボン、マリノフスキー、フロイトもしらないのは、とんでもないこととされていたのだ”(新潮出版『カール・セーガン科学と悪霊を語る』青木薫訳) シカゴ大学で受けた一般教育プログラムでセーガン博士の方向は決まったのかもしれません。そしてそれがコスモスへと導いたのでしょう。この番組があらゆる人々に受け入れられ、感動を与えたのは、そうした一つのアプローチだけではなく、さまざまな分野を織り交ぜて初めて、本当のコスモス(宇宙)が見えてくるのです。 |
なんて恐ろしい形相の平家ガニ
宇宙カレンダーを歩くセーガン博士
宇宙カレンダー 1年=150億年 1ヶ月=12億5千万年 1日=4千万年 1秒=500年 9月14日;地球の誕生、分子レベルでの生命の誕生、DNAの誕生。 「どんなに長く栄えても永遠の保証はない」 「来るべき宇宙カレンダーの1月1日は私たちの行いに掛かっている」 |
今の技術なら簡単なことでも、この当時左の映像から一筆書きで人間へと進化する過程のCGには圧倒されました。(Michael Jacksonの「Black And White」を初めて見たときにも同じような衝撃を受けました)コスモスの中でこれほど話題になったシーンは他にはありません。一筆書きのように、単細胞生物から始まった進化の過程が、まるで音楽に合わせてダンスを踊っているかのように描かれました。 |
セーガン博士のナレーション入りではバッハの『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ』が、「40億年を40秒」に縮めたダイジェストではヴィヴァルディの『マンドリン協奏曲』が使われています。どちらの映像も音楽に合わせて踊っているかのようです。もしかすると、ディズニー映画『ファンタジア』のオマージュなのかもしれません(考えすぎ?) |
(私も同感)
CGによって単純な細胞から人間へと進化した地球上の生命の系譜。最終的に大木の枝分かれした姿によって象徴的な過程が提示されますが、その木のモデルとなった木が生える博物館へと我々を誘い、生命と植物の関係を教えてくれます。そして、どちらも遠く輝く太陽に依存し、共存しているということを。人間と木は似ている所もあれば、まったく異なる部分もあり、それでいて分子レベルでは本質的には同じなのだと。さらに深く追求するために、とある場所へと誘い出す博士。 |
『コスモス』で唯一モーツァルトの曲が使われたシーン。クラリネット協奏曲の第2楽章。田園的なのどかな風景の中を歩くセーガン博士。そして、上の台詞を語ります。(モーツァルトのページへ) |
DNAという言葉を初めて知りました
そんな話題から、なんと宇宙の番組なのに、博士の胎内へと入っていくことになります。まさに映画『ミクロの決死圏』の世界。マクロの宇宙からミクロの世界へ。DNAという言葉や、生命を形成する細胞に関する話しがこれほど深遠なこととは思いませんでした。まさに初めて聴く単語ばかり。しかし、考えてみれば人間は「宇宙という胎内」の中に存在しているのだから、きわめて自然なことなのかもしれません。 人間一人のなかの細胞の中にあるDNAの総数は、全宇宙の電子の数を上回ると言います。その組み合わせが様々な生命を生み出していったのだと。そして「新しい型の人間」「標準以上の人間」「望みの人間を作ることができる」という話しを持ち出しましたが「さいわい まだ方法は不明です」と不安げに、そして完全に拭いきれていないのか神妙な顔つきです。「不安な未来 深刻な問題です」と。もしかしたらフランケンシュタイン博士のような人物が出現してしまうのでしょうか。 |
宇宙には生命の元になる物質が豊富にあったからこそ、様々な環境の条件をクリアして地球上に生命が誕生した。そう考えるなら、そうした物質を混ぜ合わせることによって単純に生命は誕生するのでは? 1960年代、そう考えた科学者が紹介されました。 |
『コスモス』の最初の放送ではそれほどでもなかったマーラー・ブームでしたが、しっかりユーレー博士の実験のときに交響曲第2番第5楽章の一部が登場しました。私が気づいたのはずい分経ってからです。番組の再放送にあたり、かなりアップデートされましたが、その時は『コスモス・スペシャル』として全13話が編集された構成になっていました。その際、マーラーがふんだんに使用されましたが、最初の版でなれてしまったため、かなりの違和感が芽生えてしまいました。 |
実験の結果、今のところ、フラスコの中から生命が這い出してきたという現象は起きていません。しかし、宇宙のいたるところに存在する物質同士が組み合わさって、人間の想像には及ばない生命が必ず存在するに違いないと考えています。そんな生命の形の一つとして、木星にいるかもしれないという生命を紹介してくれました(フローターやシンカーとハンター)。この姿は、科学的な検証を元に博士が想像した生命体。私たちも同じような夢を見ることができるでしょうか? 「全く新しい生命を考えてみて下さい」と言われて私たちが想像できるのは、あくまでも地球上にいる生命、ひいては見たことのある生命を変形させたものしか思い浮かびません。だから地球にやって来ていると、一部の人たちが目撃、あるいは信じている宇宙人は、どれもみな人間に似ていたり、何か別の動物の面影があったり… まったく違う環境で生まれた生命なのに、地球の影響から逃れることができません。それを思えば、セーガン博士の想像している木星の生命は非常にユニークです。 そして博士は生命を音楽のメロディになぞらえ締めくくります。宇宙には様々な生命のメロディに充ちあふれているのに、人間はまだ「地球上の生命」という1本のメロディしか聞き分けることができていません。宇宙全体は巨大なハーモニーという大合唱を奏でていると言うのに! |