星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

星座とギリシア神話の出会い

  私が星空に興味を持ち始めたのは小学3年生の頃。星空の明るさは… おそらく今よりは若干暗かったような気がします。千葉の京葉工業地帯から10キロ以上離れてはいましたが、その影響が大きかったのを覚えています。

 初心者の宇宙ファンが最初にとって「星座の世界」は最良の入り口ではないでしょうか? 御多分に洩れず私も肉眼で、自宅の庭から楽しめる星座の世界へと誘われました。

  夜毎、自宅の頭上に架かる星座とはなんでしょう? その頃は図鑑などで説明されている通り、昔の人々が、自分たちと関わりのある神話のキャラクターを星空に描いた「絵」だと思っていました。その姿が実際の星空に描かれていると…当然のことながら、そのような夢は、星空を見に行った初日に打ち砕かれたのはいうまでもありません(笑)。 まぁ、「アレッ?」と疑問に思うこともなかったですけど…

 だんだん深掘りをするようになると、その起源とかに興味が向くようになりました。図書館や本屋で立ち読みなどするようになると知識も豊かになります。近くには「お城のプラネタリウム」もあり、毎月テーマが変わることからも、毎月足しげに通って星空への愛着を深めていきました。
(その頃、お城のプラネタリウムで解説員をされていた方が多賀治恵さんでした(ご結婚される前でしたので旧姓でしたが)。

  昭和50年代という、たかだか40年ぐらい前でしかありませんが、多くの情報が今とは異なりました。星座に関する情報もほとんどのツールで「今から6000年前のメソポタミア地方のカルデア人が作った」と書かれており、「羊飼いが夜毎焚き火を囲みながら思い描いた星座絵図が、6000千年も前から色褪せずに見えているなんて、なんとすごいことか」と思いました。

 しかし発掘、研究が進んだ今ではそれは誤りとされています(実際には野尻抱影が学んでいた時代には)。時が経てば新たな発掘や、研究成果としての新説が発表され、その都度アップデートされていくのは当然のことです。

  今では「(星座の起源は)紀元前三千年頃から古代メソポタミア地域で徐々に発生した」ことが定説になっていますが、当時はまだ野尻抱影氏が執筆した「6000年前のカルデア人が作った」内容を受け継いだ書籍が蔓延(今も校訂などされずに重版されている様子)し、次世代の天文家たちの書籍に「星座はカルデア人が作った」と受け継がれてきたために、私はずっと「星座はカルデア人が作った」と思っていました。

 しかし「カルデア人」が歴史に登場するのは紀元前6世紀ごろからで、すでに星座の原型としては受け継がれていたのです。今では「カルデア人」は「占星術師」を指す言葉として受け入れられています(カルデア人という人種が存在するのではない)。

 そんな謎多い星座の誕生秘話に流されることなく、星座に添えられた伝説、いわゆる星座神話と星座のキャラクターたちが結びついたのは、一体いつ頃のことでしょうか。また星座が誕生してから神話が語られたのでしょうか。それとも神話が語られてから星座が星空の中にかけられたのでしょうか。



 星座の誕生は、太陽の通り道である黄道付近に作られた星座が最初ではないかと考えられています。紀元前14世紀ごろではないかと考えられています。

 無秩序に並んでいるような
星の並びをうまく結びつけ、身近な動物たち、すなわち羊(おひつじ座)や牛(おうし座)、ライオン(しし座)、毒虫(さそり座)などを描き出し他のではないでしょうか?

 それはいったいなぜでしょう? 当時の人々の生活の中には、 時や季節を計るものは何もありません。季節を知る、時間(?)を知るということは、当時の生活の生死を分けるほどの重要な要素の一つでした。
 つまり、季節による作物の出来不出きに左右し、獲物となる動物たちの移動、などを知ることで生活していたからです。
 この黄道に沿った位置に架けられた星座が太陽の動きの目安として12の区分にわけ(しかも正確に30度という角度)、天球をぐるりと1周する帯に見立て、黄道帯としました。占星術で使用されるようになる黄道十二星座、獣帯として占星術として機能するようになったのはペルシア支配下の紀元前五世紀ぐらいです。

 また、地中海沿岸に住んでいたフェニキア人は、航海の方法として、規則的な星の動きを重要視し、メソポタミアに起こった星座を受け継ぐかたちで、彼らの貿易の中で徐々に広まっていくようになりました。
 フェニキア人は、レバノン杉の巨木で建造した外洋船を走らせて地中海貿易を盛んに行っていた海洋民族です。

 そしてフェニキア人との貿易を行ったギリシア人たちが、船員たちから聞かされる星座の動きや形を、自分たちの間で信仰していた神話や伝説に登場する人物や獣たちと結びつけることによって、自国の中で広まりました。それが他の世界の人々に受け継がれていきました。


星座とは

 星座の大目的は、記憶を補助することにありました。つまり時(季節)や方位を計測するための、空に見える方角や目印をはっきりさせることにあったのです。星の集合が熊や女神、英雄に似ているかどうかは大して重要ではありませんでした。何より大切なのはその型であり、そして空は彼らによって良く知られた、崇拝の対象となるようなイメージを当てはめることで、最も良く固定でき、受け継がれていったのです。



 今から6000年前にメソポタミアあたりが発祥とされる星座は、その地方に住む動物などのイメージが空に描かれました。たとえば蠍や獅子(ライオン)などは、砂漠で出会うもっとも危険な動物として、いつの世代にも警戒心を養うために教育していたはずです。これらが何世代にも渡り用いられ続けた結果、それは不動の存在となりました

 ギリシア人やアラブ人によって行われてきた記憶補助のイメージ、つまりギリシア神話などの中に登場する品物や獣を星座に当てはめることは、エジプト人の間でも続けられ、ルネッサンス期のヨーロッパで、星図の本質的特徴として再び開花しました(バイエル、ヘヴェリウス、フラムスティード、ボーデなど)。
 そうしたイメージと結びつける役割を演じたのは、読み物として普及したギリシア神話であり、占星術だったのです。








星座と占星術

 古代の人々が空の観測を続ける最も強い動機のひとつは、自然界や人生における将来の出来事を知りたい、警告を得たいという思い、それが暦と占星術を生むきっかけとなりました。



 星はあらゆる古代文化において観測され、その周期的な規則性が認識されました。何世紀にも渡る裸眼のみの忍耐強い観測を通じて、熟練の観測者たちは、自分たちが住む世界よりもずっと詳しく天を知ることになるのです。

 しかし、この規則正しさが観測されることと並び、空にはもう一つ、まったく別の要素がることに気付きました。神秘感という感情の芽生えです。

 人類は非常に早い時期から、人生に影響を及ぼし得るのは神の存在だと信じていました。天体に「人格」があると信じることは、後の占星術となる考え方の本質的な出発点でした。しかし、惑星の位置から人事を予言する際の基礎となるのは天の正確な知識です。

 そうした知識が蓄積されてくると、逆説的なことに、天には神が存在しているのだろうかという疑問が生じたのです。つまり星の動きには規則性があり、決まった季節の決まった時間には同じ星がめぐってくることの発見です。それが神の仕業か、それとも別な力が働いているのか…。
 確かなことは、「神の考え(行い)は人間的で、決して予測がつくようなことはしない」ということでした。つまり、星々の動きは規則正しく、周期性があって、予測が付けられる事象として、神々を住ませることせず、自分たちと同じ地上の世界に住まわせました。わかりやすく言うと、天候は予想がつかないが、星の動きは予想がつく。だから天には神は住んでいない、ということです。

 そういった考えが、特にギリシアのイオニアという地方で、多くの哲学者が挑んだ問題でした。しかし、観測などによる周期性の発見などから考えられるようになった宇宙体系も、プラトン以下、ピタゴラス派の哲学者たちの唱える神秘主義によって、およそ1500年近くも抹殺されてしまったのです。

 この規則的に繰り返される天体の動きを発見した観測眼と、「天には神々や聖霊が住み、人間の生を左右する神秘的な力を行使している」という宗教観の二元性は、彼らが、その両方に対して畏怖の念を抱いたということであり、私たちが初期の天文学の歴史を顧みるとき、二重に魅力あるものにしているのではないでしょうか。






ギリシア神話

 さて、ギリシア神話のほうといえば、それこそ人類の誕生と共に生まれた各地の神話などが基になり、地元で崇拝していた神(ゼウスなど)を当てはめることによって、その基礎が作られていきます。つまり星座の誕生よりも遥かに昔といえます。世界各地に残る最初の神話は、自然界への畏敬とも畏怖ともいえる感情から誕生したに違いありません。
 当時の彼らにはまだ科学といった考え方が存在せず、その代わりに芽生えていったのが“神”の存在です。古代ギリシア人が、自然現象を説明する方法として選んだのが「神々の仕業」というやり方でした。つまりそれが神話になったのです。それこそが彼らにとっての科学の始まりでした。そんな彼らの宗教観も、まったく正反対の考え方、つまり哲学を生むようになったのですから、なかなか興味深いものがあります。
 神話の歴史を考えてみると、発祥など知るすべはまったくと言っていいほど残っていません。つまり神話の誕生は、「いつ、どこで、だれが」ということがわからないのです。
口承によって人から人へ伝わっていったものであり、(伝言ゲームでも経験がおありでしょうが)人から人へ伝わる間に、さまざまな変化が生じていくものです。そして、各地の神話がブレンドされ(特にホメロスの『オデッセイア』など良い例といえるでしょう)現在の形を取ったといえるかもしれません。

星座神話

 “星座神話”と聞くと、誰しも“ギリシア神話”と思いがちですが、実は星座にまつわる神話はギリシア神話だけではありません。また、ギリシア神話が星座神話なのではありません。ギリシア神話の一部が星座神話になっているのにすぎないのです。他にもエジプトや、他の国の神話も星座神話として残っています。つまりは特に多いのがギリシア神話ということになります。

 そのギリシア神話さえひもといてみれば、その多くが星座との結びつきは少なく、物語の中で「星座になった」という記述はあまり見当たりません。そのほとんどが星座の基になったモデルの物語です。つまり物語(神話)が先にあって、その登場人物の形に似ているイメージを星空の間に当てはめた、というのが星座と神話の関係なのです。
 先にも述べたとおり“
星の集合が熊や女神、英雄に似ているかどうかは大して重要ではなく、何より大切なのはその型であり、そして良く知られた、崇拝の対象となるようなイメージを当てはめることで、記憶に残り受け継がれていった”ということ。星座を作る際に「あの並びはあの神話に出てくる獅子に似ている」というような流れからしし座(に限らず)が誕生していったのです。

神話に描かれれない星座

 神話に描かれた星座はほとんどありません。神話の中に星空を描写したシーンは無く、天体のそれ自体が神話の中でそれほど重要な役割を果たしていないということです。太陽にはヘリオス、月にはセレネという神々がついていたとはいうものの、オリンポスの中でもその地位は低かったのです。つまり彼らは神々と人間のための照明役でしかありませんでした。

 星座の中にはギリシア神話の登場人物で溢れかえっているというのに、これは一体どういうことでしょうか?それは星や天体たちの動きに問題があったのです。

 あまりに規則的であれば、宗教的に見ても、人間の祈りに答えてくれそうになかったと考えました。神は自分たちの身近に存在し、人間の生活や生命に密接な関係を持つ者ほど重要な神格に位置づけられていったのです。手に触れることのできる身近なところに聖なる物は存在し、運動や作用が不規則で、懇意的なものほど重要な神として扱われる傾向がありました。

 それに対して太陽や天体は、運動が規則的である(ことを発見してしまった!)ために、当然自明の存在として見なされ、軽んじられていきます。懇意的なものほど生命的な存在と見なされたから、神は何よりもまず生命溢れる存在でなければなりませんでした。

 このことからも惑星のみに神々の名前が付けられたのも頷けるのではないでしょうか。つまり規則的な動きをするべき星座の動きの中を予想もつかない動きをしていたため、肉眼で見ることのできた5つの惑星にのみ神々の名前が付けられたのです。
 事象の出来事を神の諸行にしようと観察を始めた結果が皮肉なことにも、のちの科学を生み出してしまったわけです。

~参考文献~
【星座の神話】(原恵/恒星社厚生閣)
【天球図の歴史】(ピーター・ウィットフィールド/ミュージアム図書)
【ギリシア神話の世界観】(藤縄謙三/新潮選書)
月刊星ナビ2010年6月号(アストロアーツ)


home(一番星のなる木)