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星はあらゆる古代文化において観測され、その周期的な規則性が認識されました。何世紀にも渡る裸眼のみの忍耐強い観測を通じて、熟練の観測者たちは、自分たちが住む世界よりもずっと詳しく天を知ることになるのです。
しかし、この規則正しさが観測されることと並び、空にはもう一つ、まったく別の要素がることに気付きました。神秘感という感情の芽生えです。
人類は非常に早い時期から、人生に影響を及ぼし得るのは神の存在だと信じていました。天体に「人格」があると信じることは、後の占星術となる考え方の本質的な出発点でした。しかし、惑星の位置から人事を予言する際の基礎となるのは天の正確な知識です。
そうした知識が蓄積されてくると、逆説的なことに、天には神が存在しているのだろうかという疑問が生じたのです。つまり星の動きには規則性があり、決まった季節の決まった時間には同じ星がめぐってくることの発見です。それが神の仕業か、それとも別な力が働いているのか…。
確かなことは、「神の考え(行い)は人間的で、決して予測がつくようなことはしない」ということでした。つまり、星々の動きは規則正しく、周期性があって、予測が付けられる事象として、神々を住ませることせず、自分たちと同じ地上の世界に住まわせました。わかりやすく言うと、天候は予想がつかないが、星の動きは予想がつく。だから天には神は住んでいない、ということです。
そういった考えが、特にギリシアのイオニアという地方で、多くの哲学者が挑んだ問題でした。しかし、観測などによる周期性の発見などから考えられるようになった宇宙体系も、プラトン以下、ピタゴラス派の哲学者たちの唱える神秘主義によって、およそ1500年近くも抹殺されてしまったのです。
この規則的に繰り返される天体の動きを発見した観測眼と、「天には神々や聖霊が住み、人間の生を左右する神秘的な力を行使している」という宗教観の二元性は、彼らが、その両方に対して畏怖の念を抱いたということであり、私たちが初期の天文学の歴史を顧みるとき、二重に魅力あるものにしているのではないでしょうか。
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