星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

お城のプラネタリウム
 中高校のとき、毎月プログラムが変わるたびに、友人と足を運んだ思い出の場所である千葉市郷土博物館のプラネタリウム。いつの頃から呼ばれていたのかわかりませんが、通称「お城のプラネタリウム」で知られている。僕自身はそんな名前で呼んだ覚えはないと思う。

 そのプラネタリウムが2007年7月31日をもって終了すると言う。案内にはプラネタリウムと天文事業を共に千葉市立科学館が引き継ぐとあった。いつもの入り口から入場する。隣にいるのは友人ではなく7歳の息子だ。
 エレベーターもあるけれど、なにも先を急ぐこともあるまい。友だちと過ごしたひとときが、階段一段一段上り詰めるたびに色濃くよみがえってくる。

 それにしても時代は変わるもので、今にして思えば千葉城にある投影機は時代もののクラシックな姿をしていると思う。でも、当時はこれが普通だったし、プラネタリウムと言ったらこれしかない。
  思い出多いプラネタリウムとは、25年近く遠ざかっていたが、僕が星のソムリエを受講したも、千葉城のプラネタリウムがルーツだったと言っていい。当時、プラネタリウムと言えば渋谷にある五島プラネタリウムが王道だったかもしれないが、僕にとっては、ここお城のプラネタリウムだ。丸天井の下で座席に座って、ぐるりと周りを眺めていくと、懐かしい思い出が映し出される星空の日周運動のように通り過ぎてゆく。



 そんなプラネタリウムが今月で終了すると言う情報を知ったのは、なんと昨日のこと。大樹が千葉文化会館でコンサートの帰りにもらってきてくれたチラシに書いてあった。

時間がない。


 土曜日に予定していたことは全てキャンセルし、さよならの挨拶をしに行くしかあるまい。大樹も行く、というので二人して『ちびっこアワー』に合わせて千葉城へ向かった。
大樹はおとといも来ていることもあり、千葉城が財産として所有している古今東西の貴重な古星図展示を案内してくれる。

「あっちに…」「こっちに…」(自分のさそり座ばかりを自慢げに指差す姿に、思わず笑みがこぼれてしまう。当時、星を見上げることが多かったから、まさか、今の自分が、息子を連れてプラネタリウムに来ているなんて想像もできなかったからだ。

  懐かしい匂いがそこにはあった。じっくりと感慨に浸ることなく、自慢げに「こっち、こっち!」と手を引っ張られるたびに現在に連れ戻されるような気分だった。25年も昔の記憶と、目の前にしている光景が重なり合い、時間を埋め合わせてくれているようである。


 最後に訪れたのがいつだったのか、はっきりと憶えていないが、昔から入館料は60円のままだ。丸天井も投影機も、星空を指し示す矢印も昔のままだ。変わったのは人だけのようである。ガイド役のお姉さんも

「実は私も今日が最後で…」と説明が入る。

 まさか最後に訪れた日から、長らく遠ざかるとは思ってもみなかったし、まして大樹を連れて再訪するなんて思ってもみないことだった。


 45分という短いプログラムで一晩を過ごし、終了時にガイド役を務めてくれたお姉さんに「おつかれさまでした」と声を掛ける。最後の一人が出ていくのを待ってくれていたようだったけど、目頭が真っ赤だったのを、あわてて笑顔に戻して照れ隠ししている。25年から30年も前の話、もしかしたらガイドをしてくれた方も、まだ生まれていなかったかもしれない。
 最終日のガイドは、僕が通っていた頃の多賀さんが特別講演するという話を嬉しく聞きながら、薄暗い室内を後にした。振り返ると4日後に現役を引退する投影機が、シルエットになって部屋の真ん中で立っている姿が見える。なんだかエンニオ・モリコーネの『ニュー・シネマ・パラダイス』のメロディが頭の中に聞こえたような気がして、まさにそうなんじゃないかと思う。

 帰り道も、当時友だちと辿ったように、お昼を近くのラーメン屋に立ち寄った。ここもまた、当時と同じ面影を残してくれていて、お店のおじちゃんとおばちゃんに、その頃の様子を聞かせてあげ、傍らでは大樹が一生懸命ラーメンをすすっている。

 ★  ★  ★

追伸;その後、多賀さんとは千葉市科学館のプラネタリウムで再会しましたが、全く当時とお変わりなくお元気そうでした。なお、2007年から年から毎月観望会のお手伝いしている国立科学博物館の洞口先生は「昔っからああだったの?」と意味ありげにニヤニヤしております。
 

千葉市郷土博物館

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