簡単なプロフィール
1950年5月9日、フランスのポージェ県エピナル生まれ。
パリ音楽院で、ピエール・サンカン、イヴォンヌ・ロリオに師事。
1959年、ナンシーのコンセルヴァトアールに入学
1960年、母が父に贈ったクリスマスプレゼント、メシアンの【みどり児イエズスに注ぐ20のまなざし】の楽譜とレコードに夢中になる。
1961年、暗譜で【…20のまなざし】、バルトークの【ブルガリアのリズム】を作曲者オリヴィエ・メシアンの前で披露。
1966年、メシアンの奨めでピエール・カンサンの弟子となり、パリのコンセルヴァトアールに入学。
1967年、第1回メシアン国際コンクールで優勝。若干17歳!
1970年、パリのシャンゼリゼ劇場で【みどり児イエズスに注ぐ20のまなざし】を演奏して話題となる。
1970年、ドビュッシーの【前奏曲集】を録音、1980年に掛けて全集を完成。
1972年、初来日
1980年代中頃に右手の故障。ピアノを離れ指揮活動に専念。友人のマルタ・アルゲリッチからクラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団のセッションに招かれ、ラヴェルの【左手のためのピアノ協奏曲】のソリストを務めるよう説得される(「ミシェル、あなたが弾きなさいよ!」)。これが、後の復活劇の引き金となる。
1989年、パリ国立音楽院教授
1994年、二度目のドビュッシーピアノ作品全集のレコーディングを開始1997年に完成。
1994年、フライブルク音楽大学教授
1995年、ロンドンにてブーレーズ・フェスティバルにマウリツィオ・ポリーニの代役で登場。右手故障後、久々の演奏会。
1996年、1998年来日(行きましたっ!)
|