千葉歳胤(1713-1789) 正徳三年- 宝暦八年 |
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助之進と称し陽生と号した。武州入間群の人で、本性は浅見で算学を中根元圭に受け元圭が没してのちは高弟幸田親盈についた。暦学をよくし中根元圭の「皇和通暦」についてその期間の蝕を算出した労作『皇倭通暦蝕考』を明和五年(1768)に刊行した。写本としてその続編もある。天文方とは名のみで暦学未熟のみで渋川図書を影で大いに助けた。『蝕算活法率』185巻の大著もその序によれば渋川図書のために表したものであった。『天文大成三条図解』(宝暦八年)では関孝和の『授時発明』の補訂検討を行なっている。他に『歳寿万代暦』『補授時暦経』『白山暦応編』他の著がある。寛政元年三月六日77歳で没したが、天文様と称され小祠に祀られている。 |
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|天文大成真遍三条図解(国会図書館)|
|皇倭通暦蝕考(早稲田大学)|
|飯能出身の天文学者 千葉歳胤(ちばとしたね)(埼玉県飯能市の広報紙より)|