冬の夕暮れは早く、夕方の六時で遠野の町は夜の帳が降りてしまった。そのため、市街からはずれたところにある曲り家へは、街灯のない真っ暗な国道を歩いていかなければならなかった。
「しばらく歩いて行くとね、大きな看板が立っているからすぐにわかるよ。でも、あまりはじっこを歩いていくと危ないから、なるべく道路よりに歩いていった方がいいよ」と、教えてくれたバスの運転士さんの言葉だけが頼りだった。
 のどかなところに住んでいる人の「しばらく」と、狭い範囲に雑多なものがひしめき合うところに住んでいる人が考える「しばらく」には、かなりの差があって、なかなか見つからない看板と、姿こそ見えないものの、下の方から聞こえてくる川の音が、僕を心細くさせたのはいうまでもない。
 ようやく見つかった看板に従って歩いていくと、道は畑の中へと続き、どんどん山の方へと向かって吸い込まれていくようだった。しかもアスファルトで舗装されていない道だったから、雪解け水のおかげでぐちゃぐちゃしている。それでも、ようやくここまで来て裸電球の街灯が点るようになり、それがこの先に見える一軒家の明かりまで並んでいた。
 風が吹くたびにユラユラする街灯の明かりで、道を確かめながら下を向いて歩いていると、周りの木々が大波のように揺れて、僕の行く手を阻む勇気のように道ばたへ幾筋もの影を落としてきた。このまま先へ進んでもいいのだろうか?
 その人家が曲り家だとわかると今までの疲れと不安が一気に吹き飛び、急ぎ足で玄関に駆け込んだ。そのとき、すでに7時を回っていた。
 旅先での楽しみは、なんといっても宿でのひとときではないだろうか。いろんな所から集まった人との交流はあるし、その土地でで寝泊まりをすると、そこで生活をしている錯覚さえ起こるからだ。
「こんばんわ。遅くなってすいません」と言って、しばらく玄関の前で待っていると、一匹の猫がやってきて僕を出迎えてくれた。その猫は僕の存在を認めると、元来た隙間へと戻っていった。
 居間に通されると、囲炉裏が静かな音を立てて部屋全体を紅に染めている。そして、その上から見下ろしている釜男の鋭い形相が、僕を遠野物語の世界へとタイムスリップさせてくれた。
「ウチにはカッパやザシキワラシが住んでいるから、夜中になったらみなさんの部屋へいたずらしに行くかもしれませんよ」親父さん(常連とおぼしきおばさんたちは「おとうさん」と呼んでいた)の説得力のある話を交えて、板張りの居間でみんなと一緒に食事をした。その日の宿泊客は僕を含めて7人しかいなかったからか、誰かが何か一言いいだせば、みんなで「ああだ、こうだ」と、まるで家族と団欒でもしているみたいに、話がどんどん膨らんでいった。しばらくすると、語り部のおばあさんがやって来て、子供の頃に大人たちから聞かされたという、遠野に伝わっている民話や伝説を話してくれた。

 おばあさんは、ただ単に子供の頃の思い出話を話してくれているだけなのに、その言葉のひとつひとつが何十年もの歳月を遡って、おばあさんがこれらの話を聞かされた頃まで連れて行かれるようだった。僕が子供の頃のおばあさんにでもなったような気分だ。囲炉裏の火を見ながら静かにおばあさんの話に耳を傾けているとそんな気持ちになる。
「むかしあったづもな…」
話が進むにつれ、遠野の夜は深まっていく。


 おばあさんが帰ったあと、みんなは自分たちの部屋へ戻っていったけど、僕は一人で囲炉裏に残り、静かにその火を眺めていた。さっき聴いた話が、残り火の中に見えたような気がする。
 残り火が灰になったところで、僕も自分の部屋へ戻った。この空間にだけは畳と蛍光灯があって、わずかに近代的(当然テレビもラジオもない)な名残はとどめていたけど、それらも今となってはかなり古そうなものばかりだった。
 僕は方までコタツの中に潜り込んで、外の風の音に耳を傾けていた。ガタガタとうるさいぐらいに戸が音を立てている。はじめのうちは何気なく聞いていたのだが、よくよく聞いてみると、誰かが戸にしがみついてわざと揺すっているみたいで、その不自然な揺れ方に「ザシキワラシのヤツめ‥」と思って聞いていた。
 しばらく天井を見つめて、考え事をしながらその揺れる音を聞いていたら、「あれは絶対に風のしわざだ」ということを確認したくなって、動くたびにギシギシという部屋から廊下に出てみた。廊下のカーテン越しに外を覗くと、奥深く続く暗闇の中に何かが潜んでいて、こちらの様子をじっと伺っているような気配を感じた。風の神か、山の神か。それともイタズラ好きのザシキワラシなのか。とにかく、この廊下の窓が、そんな神々の潜む世界と僕のいる世界とを分ける境界線の役割を果たしてくれているようだ。
 いつまでも眺めていると、その暗闇の中へ吸い込まれていきそうだったから、いいかげん寒くもなってきたし、部屋に戻ってコタツの中に潜った。不思議なことに、廊下で聞くと風の音にしか聞こえなかった音が、部屋に戻ってみると「あれはザシキワラシが‥」などと疑いたくなるような音に聞こえてくる。
 ここは飾らない自然なままの遠野物語が生きている。僕はそれが発見できてとても嬉しくなってしまった。だから、ザシキワラシのいたずらさえも子守歌代わりにして床につくことができた。

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