「年内は雪が降らないから、そんなに雪の心配をしなくても大丈夫ですよ」という、今日明日お世話になる民宿“曲り家”のおばさんの言葉を思い出した。いつ頃から眠ってしまったのか覚えていないが、目が覚めてみると、新幹線の車窓に映る白一色の景色が僕の目の中に飛び込んできた。
 新花巻で釜石線を待っているうちに、チラチラと小雪が舞い出し始め、寒さがいっそういたくなり「雪が降らない」という言葉だけで判断し、東北だという事を少々甘くみすぎたかもしれないと思った。
 釜石線は単線二両の気動車で、花巻と釜石を結んでいるが、この釜石線に乗りこんでから、ようやく遠野物語の持つ雰囲気に触れたような気がした。東北新幹線では、いくら山の中や田園地帯の広がる中を走り抜けていても、乗客はスーツを着たビジネスマンばかりだったので、どこまでも都会的な雰囲気がしたからだった。でも、この釜石線に乗り込んでくる乗客たちは地元の人たちらしく、頭にタオルを巻いたままのおじさんや、泥だらけのもんぺ姿のおばさんたちばかりで、素朴で着飾らない田舎の生活の一部を見る事ができたからである。驚いたことに、乗り込んでくる人たちはみんな知り合いなのか、車内のあちこちで挨拶が
交わされていた。隣りの家へ回覧を回すのに何キロも歩くという所なんだろうか?まぁ、そこまでオーバーじゃないだろうけど。
 本当だったら、ごとごとと列車に揺られながら、車窓に広がる風景をみて楽しむところなんだろうけど、何しろ今朝まで夜勤だったのを、そのまま新幹線に乗り込んだわけだから眠たくないはずがなく、地面を白く染めてしまった雪の白さも手伝って、ついウトウトしてしまった。だから、ハッと気がついたときには、あと十分たらずで遠野に着くことを時計が知らせてくれた。
 釜石線を降りてみて少し残念だったのは、ここにつくまでの間でもっとも駅の施設とその周辺が整っていたのが、遠野駅だったこと(ウトウトしていたわりにはよく見ている…)。
 「遠野なんて何もない所なのに、よく行く気になったねェ」などと、出発前に散々言われてきたから、無人駅っぽいところを通過するたびに「さぞかし凄い所なんだろうなぁ」って期待しすぎたからだった。しかし、遠野物語の世界に触れようと、多くの人が訪れる観光地として考えてみると、本当に何もない所だと思う。そこがまた遠野の魅力なんだろう。
 駅に降り立って、まずは【とおの】と書かれた駅の看板をカメラに収めたかったから、改札口へ向かう人たちとは反対の方向へと歩いていった。二十分ぐらい停車するという列車の乗客が、時間を持て余しているのと物珍しさもあってか、僕の事を車内からジロジロと見守ってくれていた。さすがに改札口とは反対方向だから雪の上には足跡などなく、僕は童心に帰ったような気分で雪の上を歩き回った。
 カメラで覗くファインダー越しの風景は、僕にいろいろなことを語り掛け、様々なインスピレーションを与えてくれる。【とおの】という看板の向こうに見える青空が、ここを優しく包み込むように、どこか日本らしさを大切に守ってくれているように見えた。そして「この青空の下のどこかに、民話の語り継がれていおる場所があるよ」って、教えてくれているような気がしたから、改札口に誰か知り合いでも待ってくれているわけでもないのに、急ぎ足で改札口へと向かった。
 ガイドブックには遠野めぐりは自転車で回るのが一番いい、と書いてあったから、駅前に並んでいるレンタサイクルを使うことにした。車だと移動が便利で短時間のうちにいろいろな所を見て回ることができるけど、駐車する場所や車に気を取られすぎるから「ちょっとだけ寄って、ちょっと見て」といった感じで、大まかで表面的なものしか感じ取れないような気がする。だから僕は、遠野に限らず自転車で見て回るというのに賛成である。自分にあったペースで動けるし、その土地の空気や人々の息吹を直接肌で感じることができるからだ。
 僕は旅に出ると地元の人となるべく会話をしようと心がけている。何よりも土地柄がわかるし、楽しみというよりは異郷の地にいるという孤独感と、心の緊張がほぐれるからだ。だから、早くリラックスするためにも地元の人の声が聞きたかったから、自転車を貸してくれるお店で、受付をしているおばさんに話し掛けてみた。
 「年内は雪が降らないって聞いていたんですけど、この雪はいつ頃から降り出したんですか?」
おばさんは湯のみにお茶を注ぎながら、
 「昨日の夜からなんですよ。いつもだったら、この時期に雪なんて降らないんですけどねぇ」
そして、お茶の手を休めて湯のみの温かさを両手で確認した後、地図を持って外へ出てきてくれた。
 「ここの夕暮れは早いからねぇ。それと、まだあちこちに雪が残っているみたいだから、なるべく雪のある道は避けて、気をつけて行ってらっしゃい」と、親切に雪道でのアドバイスとコースや名所などの史跡を教えてくれた。
 僕はおばさんの見送ってくれる声を後に、ちょっと自転車を漕いでみたら、あまりの軽装さにブルッときたので、こんなんじゃ風ひくな、って思った。だから手袋だけでもと思って、二〜三ヵ月ぐらい前にオープンしたばかりというショッピング・センターに寄ることにした。
 地元の人たちは便利になった反面で憤慨しているらしいが、遠野物語に憧れてここを訪れる人たちは、不安な気持ちにかられるのではないだろうか。実際、僕もこの建物を見たとたん「やっぱり遠野物語に触れることなんて無理だったんだろうなぁ…」って思ったほどなんだから。
 開発の波が例外なくこの遠野あたりにも押し寄せて、民話の古里なんて人の心の中にしか存在しないんだろう」ということを自分に言い聞かせて訪れたとはいうものの、どこか心の隅では「きっと町のどこかの片隅に何かが残っているに違いない」と思ってきたから、地元の人以上にショックが大きかった。でも、地元の人たちの素朴が何よりも遠野らしいんだから、目に映る物よりも心に残る何かがあると思いたい。
 僕はそれを確かめるために、もう一度カメラを遠くの山々の峰に向けて、その向こうに広がる青い空を見てみた。すると町を取り囲むように聳えている早池峰、六角牛、石上(石神)の山々が「早く探してごらん」とでも言ってくれているような気がしたから、自転車のペダルを強く踏んだ。頬を切る冷たい風が、僕の心の中にあった不安を吹き飛ばしてくれたのはそのときだった。
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