星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

 

 フランス人だとばかり思っていたセザール・フランク(1822-1890)は、ベルギーの作曲家です。彼の代名詞と言ったらオルガン作品ではないでしょうか。また、たった1曲だけで何枚ものカタログを埋めている「交響曲ニ短調」の方が上かもしれません。彼の作品に目を向けてみると、ギリシア神話を題材に取った交響詩が多いことに気づかされ、ファンにとっては非常に興味が湧く作曲家ではないでしょうか。



Photo by Toshiharu Minagawa

交響詩「プシュケ」(1888)
 この曲で描かれているプシュケを無理やり星座神話と関連させるなら、夏の小さな星座として古代から知られているトレミーの48星座にも登録されている「や座」でしょう。写真では右上の星の集まりです(カーソルを乗せるとSgeと表示される並びが や座 です)。 無理矢理というのは、この矢の持ち主や、矢の用途によって話の内容や登場人物が変わってきてしまうからです。たとえばプロメテウスが山の頂上で苦しんでいるのを止めた矢(ヘラクレスが放った)であるとか、エロスの金と鉛の矢だとか。ここではエロスが母であるアフロディテに命じられてプシュケに矢を放つはずがしくじってしまった神話として紹介しましょう。

 プシュケの美しさは愛と美の女神アフロディテよりも上だという噂が天上界にも舞い込み、嫉妬した女神が息子のエロスに「とんでもない卑しい男に恋をするよう」に「あんたの矢でなんとかなさい」と命じました。エロスは喜んで実行してやろうとと狙いを定めたところ、あまりにもプシュケの姿が美しいので思わず見とれて、射掛けた矢を自分の足元に落としてしまいました。矢が刺さったエロスはそうとは知らず、プシュケに恋をしてしまいました(なんともまぁ、ドジというかギリシア神話の神様らしいというか、何というか…)。
 プシュケは神託により山の頂上にある宮殿に嫁ぐことになりました。その宮殿には主の姿がどこにもありませんでしたが、プシュケの耳元には「誰か」の声だけがします。「ここにあるすべての物はお前のものだ」実はこの声の主は、金の矢の魔力に抗うことのできないエロス自身でした。しかし、神は人間に本当の自分の姿を見せないとか(えーっ、じゃあゼウスはなんだよ)で、エロスも私の愛を信じるのであれば、「私の姿を見ようと思わないで欲しい」と約束させました。
 しかし、人間というものは弱いもので、「見てはいけないもの」は見たくなっちゃう動物です。エロスが寝ているすきにプシュケは顔を覘いて。目を覚ましたエロスは「私の愛が信じられないような人間とは一緒に暮らせない」といって姿を消してしまいます。

 ちなみに小惑星エロス(433)にある最大クレーターの名前はプシュケと言います。名付け親のセンスの良さ、彼らは神話上では結ばれることはありませんでしたが、天界ではプシュケはいつまでもエロスのそばにいることができました。
 この交響詩は全6曲からなる長大な曲ですが、フランクの意思により通常は管弦楽曲のみが演奏され、このポール・シュトラウスのレコーディングしてくれたようにIII以降の合唱を伴なう曲は演奏されません。そのことを知ったのは、当然、通常演奏される版を聴きながら読んだ解説書からで、あまりにもギリシア神話の世界を思わせる曲調に感動して、「これはなんとしても省かれた合唱曲を聴かなければ!」と作曲家の意思を無視して探しまくったのでした(笑)。
交響詩「プシュケ」(全曲版)
I. プシュケの眠り
II. 西風に運ばれたプシュケ
III. エロスの花園:合唱「愛よ、生命の源よ」
IV.プシュケとエロス
V. 罰:合唱「愛よ、彼女は汝の名を知れり」〜プシュケの悩みと嘆き
VI. 終曲:合唱「エロスは赦せり」
ポール・シュトラウス指揮/リエージュ管弦楽団


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