複数の作曲家によって歌劇作品となっている『月世界(IL MONDO DELLA LUNA)』は、カルロ・ゴルドーニ(1707-1793)によって台本が書かれました。当時天体望遠鏡による数々の発見は、多くの人々を天空に惹きつけたのではないでしょうか? そこから生まれた台本は、社会風刺へと向かったようです。18世紀のイタリアを舞台に、えせ天文学者が月の世界があると吹聴して、人を騙すという喜劇。 |
バルダッサーレ・ガルッピ / Baldassare Galuppi (1706-1785) | 1750 |
ニコロ・ピッチンニ / Niccolo Piccinni (1728-1800) | 1762 |
フローリアン・レオポルド・ガスマン/ Florian Leopold Gassmann (1729-1774) | 1765 |
ペドロ・アントニオ・アヴォンダーノ/ Pedro Antonio Avondano (1714-1782) | 1765 |
ジョヴァンニ・パイジェッロ/ Giovanni Paisiello (1740-1816) | 1773 |
ジェンナーロ・アスタリッタ/ Gennaro Astarita(c1745-1805) | 1775 |
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン/ Franz Joseph Haydn(1732-1809) | 1777 |
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以下、フィリップス・レコード25PC-14〜17の抜粋(解説:中野博詞)
『月の世界』の誕生をめぐって |
1777年8月に、ニコラウス・エステルハージ侯爵の次男ニコラウス伯爵とヴァイセンヴォルフ伯爵家のマリア・アンナの結婚式が挙行されるにあたって、祝典に上演するにふさわしい新作のオペラを作曲することが、ハイドンに命じられた。その結果、カルロ・ゴルドーニの脚本をもとに、作曲され、結婚式当日エステルハーザの歌劇場で初演されたのが、ドラマ・ジョコーソ「月の世界」である。 18世紀後半のイタリア喜劇界を代表する天才的な作家カルロ・ゴルドーニ(1707-1793)の台本を、ハイドンはすでに「薬剤師」と「漁をする女たち」で用いている。しかし、ハイドンが当時としては奇抜な月への旅行を織り込んだ「月の世界」の台本になぜ着目したのかは、明らかでない。じつは、「月の世界」はハイドンが作曲する以前に、すでに何人かの作曲家によって手がけられていたのである。この演奏につかわれた楽譜を校訂したハワード・チャンドラー・ロビンス・ランドン(1926-2009)の報告にしたがえば、ゴルドーニの「月の世界」のオリジナルな台本による最初のオペラは、バルダッサーレ・ガルッピ(1706-1785)によって作曲され、1750年にヴェネチアで初演されている。ゴルドーニの台本が当時の作曲家たちの創作意欲をかき立てるに十分であったためか、1762年にはピッチンニの作品がナポリで、1765年にはアヴォンダーノの作品がリスボン、ガスマンの作品がヴェネチアで、1773年にはパイジェッロの作品がナポリで、そして1775年はアスタリッタの作品がヴェネチアで初演されている。ハイドンがどのようにして、「月の世界」の台本を手に入れたかは明らかではないが、エステルハージ侯爵家に仕えていたテノール歌手であるとともに、演出家兼台本作者でもあったカール・フリーベルト(Karl Frieberth)が前述のガスマンと親しかったところから、おそらくフリーベルトを通して、台本がハイドンの手に渡ったと考えられる。 しかし、ハイドンが作曲した台本は、1750年にガルッピが用いたゴルドーニのオリジナルな版ではない。第1幕と第2幕の第26番フィナーレの前のレチタティーヴォまでは、おおむねゴルドーニのオリジナルにしたがっているが、このレチタティーヴォの第2行目から第3幕の最後までは、若干の逸脱はあるが、アスタリッタが使用した出典不明の台本と一致している。ゴルドーニの原作とアスタリッタが用いた改作版を併用したハイドンが用いた台本の唯一のコピーは、現在ブダペスト、シェーチェニー国立博物館のエステルハージ文庫に保存されているが、このドラティの録音に使用された校訂楽譜では、19世紀のハイドン研究家カール・フェルディナント・ポール(1819-1887)が前述のコピーを筆写したものが使用されている。 「月の世界」の自筆楽譜は、作品表に見られるようにヨーロッパ各地に断片がそれぞれ保存されているが、その他にウィーンのオーストリア国立図書館に、ハイドンの最終稿の自筆楽譜にもとずいていると考えられるウィーンのトレーク社によって作製された完全な筆写スコア譜が保存されている。このドラティの録音に使用された校訂楽譜は、ブタペストのシェーチェニー国立博物館に保存されている最終稿の自筆楽譜と考えられる史料をのぞいて、他の自筆楽譜の断片とウィーンの筆写楽譜を史料として、ランドンが編集したものである。ランドンの校訂報告にしたがえば、自筆楽譜の共通する部分を比較検討することによって、いくつかの相違が発見され、おそらくハイドンは「月の世界」にかんして、ふたつの版を作ったのではないかと想定している。いずれにしても、1958年に出版されたランドン版は、1979年の時点では、唯一ののオリジナルな史料にもとずく校訂楽譜であり、「月の世界」の本来の姿を20世紀に再現した貴重な楽譜である。なお、ランドン版では、本来アルトのために書かれたエルネスト役をバスに変えているが、ドラティ録音ではハイドンの意図した通り、アルトによって歌われている。「月の世界」にかんするより正確な校訂楽譜は、ブダペストの自筆楽譜をも史料に加えて校訂されるであろう、ケルンのハイドン研究所の新全集版を待たなければならない。 この録音に使用されているランドン版によって、「月の世界」が1959年のオランダ音楽祭とエクス=アン=プロヴァンス音楽祭で、オリジナルな姿で復活上演されて以来、ヨーロッパ各地の歌劇場や音楽祭で好んで上演され、数年前に我が国でも舞台にのせられた。 |
※解説文中、一部修正を加えている箇所もあります