星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)


 複数の作曲家によって歌劇作品となっている『月世界(IL MONDO DELLA LUNA)』は、カルロ・ゴルドーニ(1707-1793)によって台本が書かれました。当時天体望遠鏡による数々の発見は、多くの人々を天空に惹きつけたのではないでしょうか? そこから生まれた台本は、社会風刺へと向かったようです。18世紀のイタリアを舞台に、えせ天文学者が月の世界があると吹聴して、人を騙すという喜劇。

 特にこの台本で有名なのは、演奏機会が少ないとされるハイドンのオペラ。当時、ウィリアム・ハーシェルという作曲を手がける傍ら、趣味で天文学に興味を持ち、自らの手で望遠鏡制作を行なった結果天文学者へと転向した人物と交遊したことが、ハイドンをはじめとする多くの作曲家たちに月の世界に、星空の世界へ目を向けさせたのではないでしょうか?

 台本を読んでいて少々気になったのは、その登場人物たち…
★「天文学に興味を持つ金持ちでわからずやの老人」ブォナフェーデ
★「えせ天文学者」エックリーティコ
★「ブォナフェーデ の召使い」リゼッタ
★「ブォナフェーデ の娘」フラミーニア
★「ブォナフェーデ のもう一人の娘」クラリーチェ
★「騎士」エルネスト
★「エルネスト の召使い」リゼッタ

えせ天文学者の名前が誰かに似てやしませんか…

 当時、喜劇作家のゴルドーニの作品は聴衆の人気を得たことと、先の通り天空へ人々の関心が向きつつあったことと呼応して、複数の作曲家がそれぞれの作風でこの台本を取り上げました。現在ではハイドンの作品ぐらいしか話題に上ることは稀になっていますが、そのハイドンの作品でさえ、初演以降取り上げられることはほとんどなかったようです。彼らの作風は一貫して明るい曲調(ほとんど序曲ぐらいしか聴いてませんが)で幕を開けるのは、その後の展開や作曲の背景に◯◯家の婚礼の場がその理由ではないでしょうか?

 ハイドンが取り上げるまでの「月の世界」のオペラ化は 以下の作曲家たちが取り上げています。全ての作品が録音されているわけではないようです。


バルダッサーレ・ガルッピ / Baldassare Galuppi (1706-1785) 1750
ニコロ・ピッチンニ / Niccolo Piccinni (1728-1800) 1762
フローリアン・レオポルド・ガスマン/ Florian Leopold Gassmann (1729-1774) 1765
ペドロ・アントニオ・アヴォンダーノ/ Pedro Antonio Avondano (1714-1782) 1765
ジョヴァンニ・パイジェッロ/ Giovanni Paisiello (1740-1816) 1773
ジェンナーロ・アスタリッタ/ Gennaro Astarita(c1745-1805) 1775
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン/ Franz Joseph Haydn(1732-1809) 1777
   

 

バルダッサーレ・ガルッピ(1750)

演奏:モード・アンティコ
指揮:フェデリコ・マリア・サルデッリ

 この曲でもっとも成功を収めたのは、ヨーゼフ・ハイドン。しかし、この台本を最初に手をつけたのは、イタリアの作曲家バルダッサーレ・ガルッピ(1706-1785)でした。




ペドロ・アントニオ・アヴォンダーノ(1765)



演奏:オス・ムジコス・ド・テージョ
指揮:マルコス・マガリャインス

 アヴォンダーノの唯一のオペラ。軽妙な登場人物たちの描写や、オーケストラの積極的な伴奏など、他の作曲家の作品に比肩しうる仕上がりを誇っています。 なお、このレコーディングでは、1990年代に作成された短縮版が用いられました。


ジョバンニ・パイジェッロ(1773)
演奏:クラウディオ・モンテヴェルディ音楽院管弦楽団
指揮:ファビオ・ネーリ

 ナポリ初演。




ヨーゼフ・ハイドン(1777)
配役:
★「天文学に興味を持つ金持ちでわからずやの老人」ブォナフェーデ
バリトン:ドメニコ・トリマルキ
★「えせ天文学者」エックリーティコ
テノール:ルイジ・アルヴァ
★「ブォナフェーデ の召使い」リゼッタ
メッゾ・ソプラノ:フレデリカ・フォン・シュターデ
★「ブォナフェーデ の娘」フラミーニア
ソプラノ:アーリン・オージェ
★「ブォナフェーデ のもう一人の娘」クラリーチェ
ソプラノ:エディット・マティス
★「騎士」エルネスト
アルト:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
★「エルネスト の召使い」リゼッタ
テノール:アンソニー・ロルフ・ジョンソン

演奏:ローザンヌ室内管弦楽団
指揮:アンタル・ドラティ

 多くの作曲家が残してくれましたが、最初にレコーディングされたのはハイドン作。そして1977年のドラティが初録音でした(日本でも昭和54年度文化庁芸術参加作品として4枚組のボックスがリリースされました)。2020年現在唯一。2009年にはハイドン没後200年、鬼才ニコラウス・アーノンクールがトビアス・モレッティの演出による舞台上演を行っています。



以下、フィリップス・レコード25PC-14〜17の抜粋(解説:中野博詞)

『月の世界』の誕生をめぐって
 1777年8月に、ニコラウス・エステルハージ侯爵の次男ニコラウス伯爵とヴァイセンヴォルフ伯爵家のマリア・アンナの結婚式が挙行されるにあたって、祝典に上演するにふさわしい新作のオペラを作曲することが、ハイドンに命じられた。その結果、カルロ・ゴルドーニの脚本をもとに、作曲され、結婚式当日エステルハーザの歌劇場で初演されたのが、ドラマ・ジョコーソ「月の世界」である。
 18世紀後半のイタリア喜劇界を代表する天才的な作家カルロ・ゴルドーニ(1707-1793)の台本を、ハイドンはすでに「薬剤師」と「漁をする女たち」で用いている。しかし、ハイドンが当時としては奇抜な月への旅行を織り込んだ「月の世界」の台本になぜ着目したのかは、明らかでない。じつは、「月の世界」はハイドンが作曲する以前に、すでに何人かの作曲家によって手がけられていたのである。この演奏につかわれた楽譜を校訂したハワード・チャンドラー・ロビンス・ランドン(1926-2009)の報告にしたがえば、ゴルドーニの「月の世界」のオリジナルな台本による最初のオペラは、バルダッサーレ・ガルッピ(1706-1785)によって作曲され、1750年にヴェネチアで初演されている。ゴルドーニの台本が当時の作曲家たちの創作意欲をかき立てるに十分であったためか、1762年にはピッチンニの作品がナポリで、1765年にはアヴォンダーノの作品がリスボン、ガスマンの作品がヴェネチアで、1773年にはパイジェッロの作品がナポリで、そして1775年はアスタリッタの作品がヴェネチアで初演されている。ハイドンがどのようにして、「月の世界」の台本を手に入れたかは明らかではないが、エステルハージ侯爵家に仕えていたテノール歌手であるとともに、演出家兼台本作者でもあったカール・フリーベルト(Karl Frieberth)が前述のガスマンと親しかったところから、おそらくフリーベルトを通して、台本がハイドンの手に渡ったと考えられる。
 しかし、ハイドンが作曲した台本は、1750年にガルッピが用いたゴルドーニのオリジナルな版ではない。第1幕と第2幕の第26番フィナーレの前のレチタティーヴォまでは、おおむねゴルドーニのオリジナルにしたがっているが、このレチタティーヴォの第2行目から第3幕の最後までは、若干の逸脱はあるが、アスタリッタが使用した出典不明の台本と一致している。ゴルドーニの原作とアスタリッタが用いた改作版を併用したハイドンが用いた台本の唯一のコピーは、現在ブダペスト、シェーチェニー国立博物館のエステルハージ文庫に保存されているが、このドラティの録音に使用された校訂楽譜では、19世紀のハイドン研究家カール・フェルディナント・ポール(1819-1887)が前述のコピーを筆写したものが使用されている。
「月の世界」の自筆楽譜は、作品表に見られるようにヨーロッパ各地に断片がそれぞれ保存されているが、その他にウィーンのオーストリア国立図書館に、ハイドンの最終稿の自筆楽譜にもとずいていると考えられるウィーンのトレーク社によって作製された完全な筆写スコア譜が保存されている。このドラティの録音に使用された校訂楽譜は、ブタペストのシェーチェニー国立博物館に保存されている最終稿の自筆楽譜と考えられる史料をのぞいて、他の自筆楽譜の断片とウィーンの筆写楽譜を史料として、ランドンが編集したものである。ランドンの校訂報告にしたがえば、自筆楽譜の共通する部分を比較検討することによって、いくつかの相違が発見され、おそらくハイドンは「月の世界」にかんして、ふたつの版を作ったのではないかと想定している。いずれにしても、1958年に出版されたランドン版は、1979年の時点では、唯一ののオリジナルな史料にもとずく校訂楽譜であり、「月の世界」の本来の姿を20世紀に再現した貴重な楽譜である。なお、ランドン版では、本来アルトのために書かれたエルネスト役をバスに変えているが、ドラティ録音ではハイドンの意図した通り、アルトによって歌われている。「月の世界」にかんするより正確な校訂楽譜は、ブダペストの自筆楽譜をも史料に加えて校訂されるであろう、ケルンのハイドン研究所の新全集版を待たなければならない。
 この録音に使用されているランドン版によって、「月の世界」が1959年のオランダ音楽祭とエクス=アン=プロヴァンス音楽祭で、オリジナルな姿で復活上演されて以来、ヨーロッパ各地の歌劇場や音楽祭で好んで上演され、数年前に我が国でも舞台にのせられた。
 
 


※解説文中、一部修正を加えている箇所もあります

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