レナード・バーンスタインとピエール・ブーレーズのマーラー
当初は器楽作品のみというアナウンスだったと思うのですが(第1番もロマン派的な作風を残しているだけあって、やはりブーレーズには似合わないと思っていた)あれよあれよというまに6、7、5、9、1と続き、ソプラノの4、アルトとテノールの大地の歌、アルトと合唱入りの3、そしてソプラノとアルト、合唱入りの2。規模がどんどん大きくなってきました。そして、2007年4月、ベルリンにて『千人の交響曲』をライヴで取り上げ、そのままスタジオ入りしてくれました。そして2010年、『子供の不思議な角笛/交響曲第10番アダージョ』をもって、マーラー全集を完結させます。 感情の入ることのない、スコアのみを音に置き換えてゆくブーレーズのスタイル。現代音楽、もしくは現代音楽の作曲家というと、その印象は無機質で冷たく、どことなく機械的なといったようなイメージが私にはあります。ブーレーズには、その演奏そのものが現代音楽風(およそ人間業とは思えないような多角的な一面をもって)に鳴り響く立体的な構造を見せてくれる。あるいは絵画のようです。つまり絵画にしても譜面にしても、それは受け手の読みとり方ひとつで、どんな意味にも変化してしまうように、それ自体には何の意味を持たないものです。それらはただの紙に重ねられた色の集合体であり、ただの白い紙に五線が引かれた音符の並びに過ぎません。ブーレーズは聴き手に解釈を委ねるかのような無機質な演奏を行っているように思えます。ジョン・カルショウが語ったところによる「私はロマン派の音楽で、というよりはおそらくはすべての音楽で、控えめであろうことをすることを好まない。これが、あらゆる有能な指揮者たちの中でピエール・ブーレーズを最も退屈な存在だと個人的に思う理由である」に繋がるのでしょう。 そんなブーレーズがロマン派後期から現代音楽への橋渡しとなるマーラーをどう料理するのか?それまでバーンスタインやテンシュテットといった、指揮者が感情移入する演奏に耳慣れてきたので、純粋な「マーラーの音楽」とは、一体どんなだろうかと、シリーズ第1弾の交響曲第6番のリリースには、ものすごーく期待をしていました。そしてそれは、次作を期待せずにはいられないほどの演奏だったのです。それはオーケストラ団員が、ブーレーズの元で演奏をすると良く口にする「蜘蛛の巣をはらった」ように聞こえ、ストラヴィンスキーの鋭いリズムを覗かせ、まさに新鮮なアプローチでした。
二人の共通は作曲家であることと、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督(バーンスタインの後任者としてブーレーズ。以下NPO)だったことがあげられるでしょうか。しかし性格は正反対だったようです。レニーは「指揮者にとって必要なのは、作曲家の立場に自分を置いて解釈しなおすことだ」と言い、そのタクトの元から零れる音楽は、まさに作曲家の心の中を聴いているようです(特にマーラーは)。バーンスタインの二度目の全集は1985年に交響曲第9番から始まり、1990年に死をもって未完になってしまいました。一方、ブーレーズはいよいよ交響曲全集としてカタログに新たな1ページが加わります。 ここでも対照的なのがレニーは全曲ライブレコーディングで進める予定でいたのに対し、ブーレーズはライブの後にスタジオ・セッションというスタイルをとっています。 |
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ポートレイトはドイツグラモフォンより
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グスタフ・マーラー(1860-911)は、2010年に生誕150周年、そして翌2011年には没後100年という節目となります。いまだに衰えぬレコーディングラッシュが続いています。 |
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(2014/06/28) |
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左ジャケット 残念ながらレニーの全集は、死によって完結することなく未完に終わってしまいましたが、二度の全集を完成させたアーティストはレニーのほか、ロリン・マゼールぐらいでしょうか? ここに収録されることになったのは、新全集では未録音となってしまった8番、大地の歌、10番は古い音源を無理矢理収録して、強引に全集としてリリースしたのでした。 ちなみに80周年記念のジャケットは考えるマーラーと瞑想するバーンスタインが時を隔てウィーン国立歌劇場のロビーで撮ったもの。なんとなく対話しているようなレイアウトがなかなか…、でしょう? なお、マーラーのカンタータ『嘆きの歌』は、バーンスタインは手をつけず、方やブーレーズは、20年近く前に唯一のレコードとして(しかもオリジナルの三部作として)カタログに掲載されていたので、こちらもレコーディングして欲しいと思います。コンプリートボックスになるのでしょうか?楽しみなシリーズです。 |
若きマーラーが当初2部からなる交響詩として完成させ、改訂の段階で五楽章形式の交響曲となり、失恋を味わい伝統的な四楽章形式の今の形になりました。『さすらう若者の歌』との連作のような関係を持っているため、随所に歌心があり、短く、ロマンティックにあふれた展開。そのためマーラー入門によく推薦される曲です。約60分。 | ||||
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〜その他の演奏〜 |
この曲の聴きどころは、最終楽章に置かれた神秘の合唱と、エンディングの復活劇を歌った全強奏の盛り上がりに尽きるといっても過言ではありません。私は、いつもラストで涙を流してしまうし、実際、演奏者の中にも感極まって涙を流しているアーティストを何人かお見かけしました。演奏時間はギリギリCD一枚に収まる場合もありますが、テンポにより2枚に分かれてしまいます。約80分。 | ||||
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〜その他の演奏〜 |
なんと演奏時間でギネスブックに登録されてしまった交響曲。確かにこの曲はマーラーの作品の中では最も長く、第一楽章だけで、ハイドンやモーツァルトの交響曲が1曲終わってしまうほどの長大さを誇っています。弟子のブルーノ・ワルターがマーラーの避暑地を訪れた際、「君はもうこの景色を見る必要はないのだよ。私が全て音楽に詰め込んだから」と言った説話が残る曲です。私がマーラーにのめり込んでいった1980年代、集めていたロンドン(デッカ)のカタログに『夏の朝の夢』という副題がつけられていました。現在ではそんなタイトルをつける習慣は無いようですが、マーラーが初演の際に全て外してしまった曲の解説につけられたタイトルは、難解で長大なこの曲を理解する上で、私的には非常に役に立ちました。約90分。 | ||||
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〜その他の演奏〜 |
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作曲者の人生の中で、もっとも充実期に書かれた交響曲。そのため妻のアルマから怒られたとか。そういえばポール・マッカートニーも同様のことをして、当時の恋人に起こられたというエピソードがあります。この曲のオープニングの行進曲風な感じや、終楽章のハンマーなど、今までの交響曲と違い、打楽器などの活躍が目立ちます。マーラーの交響曲中、7番とともに人気のない曲。そうしたことからも、マニアの間ではマーラーの最高傑作という呼び声も。約80分。 | ||||
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〜その他の演奏〜 |
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多くの方が、この交響曲に導くために1番から7番までを書いたといいます。確かに、この昂揚感や編成は、マーラーのどの交響曲をもしのぐ巨大な編成となりました。こうする必要があったためなのですが、うまく時代と合わさって空前絶後の名曲が生まれたというわけです。彼の感じた「宇宙の鳴り響く音」をまさに凡人である私も聞くことが出来るのです!ケプラーも喜ぶのではないかと思いますが、果たして…(笑) | ||||
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〜その他の演奏〜 |
私がマーラーを聴きはじめるきっかけとなったのは、交響曲第2番「復活」というタイトルに惹かれて。この「大地の歌」もしかり。ちょうどその頃はサントリーのコマーシャルにジュリーニの新録音が使われたことも手伝って、交響曲という名ばかりの歌曲集を聴きあさることになります(笑)。 | ||||
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バーンスタインとブーレーズ 対照的な二人でも、マーラーに懸ける情熱は同じようなものなのでしょう。マーラーと同じユダヤの血が流れるバーンスタイン。バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、マーラー、ウェーベルン、シェーンベルグ、そしてブーレーズへと流れる音楽の源流の中にいるブーレーズ。)また、この二人はNPOの音楽監督を受け継ぐ形で接触をしています。 1958年にバーンスタインを音楽監督に迎え入れましたが、1969年、ヨーロッパ征服を切望していたバーンスタインは、マーラーの没後記念日にポストを辞任、その後任としてブーレーズが音楽監督に迎えられました。この二人の接触はここから始まりました。ブーレーズの就任に際し、その手助けをしたのが、推薦者のジョージ・セルとオットー・クレンペラーという、当代きっての頑固者二人。クレンペラー曰く「抜群の指揮者であり、抜群のミュージシャンでもある、この世代の中では最適な人」だそうです。 この二人の性格の違いを物語るエピソードを読むと、確かに性格の全く違った二人が浮かび上がってきます。ブーレーズ就任後、ニューヨークタイムズは面白い記事を掲載しています。 官能主義で社交的、冗舌で激しく、大きな音で派手に鳴らし身体全体で指揮をするバーンスタイン。ブーレーズはそれを「ノスタルジア」と批判し、自身は禁欲的で厳格、寡黙で冷静、指先で指揮をする。「指揮棒を持つと凍りつくようなんです」。また、両者の相違点を見つけるにはスコアを見れば充分明らかで、バーンスタインはスコア一面に大きな文字で急いで書き込んだり消したりしていますが、ブーレーズは五線の間に小さな文字できちんと丁寧に書き込む、といった具合。 ブーレーズは好んで「名曲を指揮するときに、何が重要かというと、汚れを落とすことだ」と語っていましたが、彼の演奏を聴くと、どれも見通しの良い、今まで聞こえなかった音までもがクリアにスピーカーから聞こえて(残念ながら実演の体験はありません)くるので、まさに「蜘蛛の巣をはらった」ような演奏と言えるでしょう。
参考書『巨匠神話』(ノーマン・ブレヒト著) |
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私にはマーラーの交響曲を全曲、生で体験したいという夢があります。今のところシノポリが東京芸術劇場のこけら落としで行った全曲演奏会の中の交響曲第8番と、アバドがサントリーホールで行った第2番。なかなか実演では取り上げられない大物ばかり(笑)。どちらも音の洪水に圧倒されました。 | |||