星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

 秋が終わり、まだ日差しに少しだけぬくもりを感じるような日であっても、初冬に入る頃には冬の足音を確実に聞くようになる。更に北風や木枯らしが駆け抜ける日がやってくれば、気温も体感温度が下がるから冬の到来を実感するだろう。そして彼らが電線を震わせたり枯れ野をさつさつと吹き抜けるようになろうものなら、人々を足早に家の中に閉じこめてしまうようだ。

 「北風」というと何となく寂しく辛いようなイメージがあって、“寒い”という言葉だけでは表現しきれない響きのためか、とかく嫌われがちである。しかし、この北風が吹いてくれるおかげで、太平洋側では安定した晴天が続き、汚れた都会の空さえも澄み切った青空にしてくれるから、僕は歓迎している。

 そんなことを言ってみても、北風が雨戸を揺するような星冴ゆる夜には、僕だって家の中で暖をとってヌクヌクしていたいと思う。しかし、こんな夜に限って星たちはいつになく輝きを増してくれているのを知っているから、部屋の中にこもって「う〜ん、どうしようかなぁ…」ってグズグズしていると、北風がやってきて、雨戸をドンドンたたきながら「何やってんだい!今日は最高の星空を用意してやったぜ!」と、僕を引っぱり出そうと、誘いに来る。窓越しには夜露に濡れた窓ガラスを通して、オリオンや天狼シリウスが貼りつき、一層ギラギラしているのが見える。その輝きにつられて窓を開けてみると、隣家の屋根の上にも小さな星座たちが架かっているのが見えた。星が見えない夜空に双眼鏡を向けてみると、肉眼では見えない星も瞬いている。すると、自分の部屋にいるのに、どこかとんでもなく遠いところまで来た錯覚にとらわれてしまう。
 そして、こんな北風の吹く星冴ゆる夜には、カノープスというめったにお目にかかることのない星が見えるかもしれないので、暖を離れ北風の誘いに乗ってしまうのである。

 この星は全天一の輝星“天狼シリウス”に次ぐ明るさでありながら、日本あたりでは、南中したときでさえ南の地平線すれすれのところにしか姿を現さないので、場所によっては空気の厚みによって光が吸収されてしまい、赤く濁った暗い姿にしかならないのである。そのおかげで、その光が星とは思えず、地上の明かりや、海上では怪しい光と見間違えられてしまい、新たな伝説が生まれたことすらある。
こんな性格の星でも昔から存在は知られていて、地平線上を這うようにしてしか姿を見せなかったからこそ注目もされていた。そのため場所によっては、かなり珍重されていたようだ。海を隔てた中国ではこの星のことを”南極老人星”と呼び、その姿を一目でも見ることができたなら、長生きができるといわれてきた。それが日本にも伝わっている。南極老人とは七福神の中の寿老人のこと。長寿を授ける神のことである(福禄寿もしかり)。
 この言い伝えを聞いて、今ほどそれが当てはまると思うのは僕だけではないだろう。というのは、この星はよほど空気の澄んだところや、夜空が暗くないと姿を現さないからだ(もっとも、南に行けば行くほど見やすくなる。想像力の豊かな方なら、それがどういうことかわかると思う。つまり地球が丸く、僕たちはその球面の上で生活しているということを)。空気がきれいであるためには、森や緑といった自然が豊かでなければならない。なぜなら木々が新鮮な空気と水を生み出してくれているからだ。その木々が集まった豊かな森があれば、汚れた空気を浄化してくれる。森は巨大な天然のフィルターなのである。

 人間の健康が空気と水によって左右されているということは、過去の公害裁判の判決からも明らかだろう。星の見え方一つが、人間をはじめとする生物圏に多大な影響を与えているというとオーバーかもしれないけど、星の輝きが生活環境に大きく左右されているのは事実だ。そう考えれば星の世界が遠いところ(一般に『星の世界』を“科学”と決めつけ、自分たちとは関係ないと思いがちの人が多いのも事実。これを“自然”といわずなんと呼ぶのか?)の話しではなく、自分たちの生活と深く関わっていると思えるのではないだろうか?
 と力説してみたところで、日頃星空を見上げない人にしてみれば、星が見える見えないなんてことは、自分が寝ている間の出来事なので、他の自然現象(花、鳥、虫など)と比べたらあまり関心がないかもしれない。生まれたときから夜が明るく、星の見えない星空になれてしまうと、それが当たり前のことだと思い「満天の星空というものは、どこか遠くの田舎とか山のてっぺんに登らないと見えない」と決めつけてしまっているのかもしれない。

 カノープスは空気が汚く、空を狭くしてしまうような建物のある町には姿を現してはくれない。昔はここ四街道でも天の川が架かるほど夜は暗かったはずなのに、今では環境整備という名の下に森や雑木林が伐採された。そして建物や夜空を照らしだすネオンの数だけが必要以上に増え続け、夜を明るく、眠らない町を作ってしてしまった。僕が初めてカノープスの微かな光を見てから15年近くたつが、残念なことに見える場所や日数だけが減り続けているようだ。

 世の中には見たこともなければ聞いたこともない、存在すら知らない動植物や場所がたくさんある。姿を消してからその存在を知り、初めて環境の変化に気づいた、ということが一番怖いように思う。


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