3月16日  四街道自然同好会
 『もう何度訪れることになるのか、数えるのも面倒になるほど見慣れた風景になってしまった裏磐梯の表情。四季折々に僕の目を楽しませてくれる大小さまざまな湖沼群は、その昔(明治21年7月15日)、ウルトラボルカニアンという大噴火を起こした磐梯山が作りだした自然の造形美として、訪れる人を魅了しています。

 そんな五色沼周辺も、今はすっかり雪に覆われ、人の気配はまるありません。悲しい伝説になっている桧原湖に眠る村の存在さえ、厚い氷に閉ざされてしまって今は何も語ろうとはしません。

 僕は自然観察教室の方から入山許可をもらって、白い絨毯が敷かれている五色沼の探勝路を歩きました。雪景色の中で、五色沼はどんな表情を見せてくれるんだろう、と思ったからです。すべての物が、沈黙の中で身動きひとつせず、静かに何かを待っているように感じました。そして、自分一人だけが時間の流れの中にいるようで、呼吸とか、雪を踏みしめる音、遠くで雪が落ちる音、あらゆる音が、僕の耳元で同じ大きさに聞こえてくるのです。

 普段歩く山なんかと違って、雪山(一人で歩いている時はいつも)では、肉体以上に精神も疲れてきて、どういうわけかひとり言が多くなります。すると不思議なことに、自分の周りにある物すべてに魂が宿っているように思えてきてしまうのです。葉が一枚だけ揺れていたり、雪が突然目の前で落ちたり、頭上の枝が僕の足下に影絵を映し出し、物語が勝手に進行さいたり…

 これらの現象は、冷静に考えれば簡単に説明がつくのに、そんな心の目で森の中を覗くと、実に多くの妖怪がいて、僕の心を楽しませてくれます。本当を言うと内心はビクビクしているのに、一人でいることの不安さも手伝って、こうなってくると、次から次へと妖怪がいろんなイタズラをしかけてきます。

 昔の人たちは、自然界のすべての事象の中には、神がかり的なものが存在しているという信仰(アニミズム)を持っていたので、驚いたり、面妖な出来事にはイタズラ好きな妖怪たちのしわざにして、これらを伝説として残してきました。もともと人間の心の中で生まれ、心の中に住んでいたので、恐れられてきたのと同時に親しまれてきた彼らは、あらゆる所に存在していました
 ところが残念なことに、山を崩し川を埋め立て、人間にとって住み易い空間になってくると、妖怪たちには住みずらい空間なようです。隠れるための木はどんどん伐採され、暗闇には一晩中ネオンが照らしだす始末。そして成山や遠野のように、昔から姿を変えずに存在する風景があるにもかかわらず、時代や環境に合わせて、人の考え方や生活様式が変わってきてしまったので、妖怪はもちろん、伝説や伝承の方から、住みずらくなりつつある人間の心の中から去っていくようです。

 探勝路の左右に点在する五色沼は、そのほとんどが氷と雪に閉ざされていたので、沼の色を楽しむどころではありませんでした。探勝路とはいっても、どこをどう歩いているのか、積雪が2メートル以上はあって、気の向くまま歩いていただけです。案の上、道に迷いました。そして、何かの獣の足跡をたどれば、沼に落ちないだろうと思ったので、野ウサギらしい足跡を見つけるやいなや、急ぎ足で森の中をくぐり抜けました。

 ようやく見慣れたところまで来て、ホッとしたのと何かに見守られているような気がして、後ろを振り返ってみると、黒い山肌を見せた磐梯山がありました。そこにはベールのような雲がまとわりつき、何か見てはいけない神聖なものを、ただ一人こっそりと覗いてしまったような気分になり、なんだか怖くなりました。そして、その昔、「山には神が住んでいる」という畏怖の念を持っていた人々の気持ちがわかるような気がしました。そういった念が山を神々しい表情にさせるのでしょう。

 もともとそういったものは人間の心の中がふるさとなんだから、自分の体の中でも受け継がれてきたのかと思うと、山や森、そしてそこに住む動植物に対して、いっそう深く親しみが涌いてきました。

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しかし、あの足跡を逆にたどっていたらどうなっていたんでしょう…』






---四街道自然同好会・4月19日号(1995)/一番星のなる木

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