司馬江漢(1747-1818) 延享四年~文政元年(享年71歳) |
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初め安藤吉次郎といい、勝三郎と称していたが、江戸の芝に住していたことから司馬と改め名を峻、字を君岳、江漢と号した。画家として名高く銅版画でも有名である。地動説の熱心な普及者であり天文地理に詳しい啓蒙家であった。平賀源内と交わり洋画の手法や蘭学を知り前野良沢から蘭学を学んだ。長崎に遊んで知見を広め洋学にひかれるようになった。はじめ『輿地図』『輿地略説』さらに『地球全図略説』などを著わし1795(寛政7)年『和蘭天説』同8年『天球図』さらに文化年代になると『地転儀略図解』『地転儀示蒙』そして代表的天文学書『刻白爾天文図解』をした。江漢は『本朝地動説の元祖』と誤って書かれるほど、江漢の著作は広く普及した。晩年近くに書かれた『天地理譚』『春波楼筆記』には彼の進んだ思想がよく出ている。しかし個性が強く、遅れた世間の理解と共感を得られずついには世に失望し“蘭学・天文あるいは奇器を巧むことにも、ただ老荘の如きを楽しむ”心境になってしまった。 ----天文学人名辞典 天文学年表 中山茂編(恒星社)より |
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