星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

伊能忠敬(1745-1818)
延享二年~文化十五年(享年73歳)

 あまり意識していませんでしたが、奇遇にも2018年は、伊能忠敬没後200年でした。彼は50歳を過ぎてから天文・暦を勉強。そして徒歩だけで日本の正確な地図を天測(星を観測すること)によって完成させた偉人。同じ千葉県人として誇らしく思うと同時に、今までほとんど関心を寄せていなかった自分もまた、50を過ぎてから日本人の天文学に関心を寄せるようになったのは、何か皮肉のようにも思います。

 今からでも遅くはない(というのもご近所さんですからね)と、まずは伊能忠敬の足跡を訪ねるところから 始めようと思います。
伊能忠敬の墓
(東京都台東区東上野「源空寺」東京都指定史跡)

 伊能忠敬のお墓は、源空寺(東京都台東区東上野6ー18)にあります。今まだで忠敬に関しては、あまりにも有名人過ぎるからという理由で見て見ぬ振りをしていましたが、日本の天文学にハマってから、忠敬の業績が実は深く関わっていたということを知り、その偉大さに圧倒されてしまいました。忠敬のお墓は、詩である「高橋至時の隣に」との遺言通りに安置されていました。遥か遠い人物でしたが、そうした思いを目の前にしていると、リアルな存在感として身近に感じることができました。

参考書
☆伊能図探検(河出書房新社)
☆日本史リブレット「人」057 伊能忠敬・日本をはじめて測った愚直の人/星埜由尚(山川出版社)
 
☆四千万歩を歩いた男/ 井上ひさし(新潮文庫)
 

 

 

 千葉は九十九里の小関。そういえば、昔から九十九里を見に行く時には決まって「伊能忠敬出生地」の看板を目にしていたことを思い出します。

 私が訪れたのは暮れも暮れ、12/31ということもあり、全く人の姿はありませんでしたが、出生地とはいっても門前仲町にある住居跡同様、とくに史跡が残っている場所ではなく、現在は「伊能忠敬記念公園」として手入れの行き届いた公園に姿を変え、偉人を偲んでいました。そこには天測儀の横で天を指差す銅像が建立されています。
 
~ 伊能忠敬銅像 ~
(富岡八幡宮内)


 1800年6月11日早朝、蝦夷地測量に出かける際、東京江東区にある富岡八幡宮を参拝して出発したとのことで、一歩踏み出した銅像と、足元には現在の日本のGPSの基準点となる三等三角点が置かれています。このお宮は深川七福神のうち、恵比寿様が祀られており、私が訪れたのがお正月ということもあり、昨年、事件が起きた場所とは思えない賑わいを見せていました。

 ちなみに、ここからほど遠からぬところには、伊能忠敬より測量を引き継いだ間宮林蔵(1780-1844)のお墓が安置されています(江東区平野)。


浅草天文台跡(台東区浅草橋3-20-12)

中央の茂み(工事現場の前)

 近くには「跡」だった旨の掲示が立っていました。遠目から眺めた感じでは、人が群がっていたので、「ずいぶん人気があるんだなぁ」と思っていたら、喫煙所でした。まさにそこが「天文台跡」だったのです。
  ここ浅草の天文台(は、天文方高橋至時らが寛政の改暦に際して観測した天文台だったようです。その弟子が伊能忠敬であり、深川の自宅からここまでの方位と距離を測っていたようです。ただし、距離が近すぎたので緯度一分の長さを求めるにはあまりにも短すぎました。

伊能忠敬住居跡(江東区門前仲町1-18)

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