星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

ヨハネス・ケプラー(1571-1630)

カール・セーガンのコスモスで初めてケプラーの名前と
その素晴らしい業績を知りました

天球の音楽、天体の音楽といった言葉の語源を調べていると
ピタゴラス(B.C.582-B.C.496)と同じぐらいの割合でケプラーと出会います

彼は作曲をしたわけではありませんが
星空から奏でられる天界からの音楽を
当時の作曲家の作品を介してインスピレーションを掘り下げ
彼なりの方法で天界の音楽を奏でました
その成果が惑星の法則、すなわちケプラーの法則として世に発表したのです

コペルニクスの地動説
ガリレオの天界の発見
ケプラーの天球の音楽

これらの天文学的大発見は1543-1619の間の出来事です

1543:天界について(コペルニクス)*地動説の発表
1610:星界の報告(ガリレオ) *望遠鏡を使っての観測結果
1619:宇宙の調和(ケプラー)*第三法則の発表

現在も天文学は激動の時代として考えられていますが
(ビッグバン、月面着陸、惑星探査etc.)
それ以上のインパクトだったに違いありません


このページでは
ケプラーが聞いた「天球の音楽」を
現代の音楽家たちがインスピレーションを受けて編んだアルバムを紹介します

天文学者としてのケプラーに関するエピソードはたくさんありますが
音楽との関わりはあまり多くありません
以下にピーター・ペシックの『近代科学の形成と音楽』から
ケプラーの音楽体験の箇所を抜粋します

『幼い頃から、生まれ故郷ヴュルテンベルクのプロテスタントの伝統的な音楽に、学校や教会でどっぷり浸かっていた。五歳から、ドイツ語の讃美歌や、のちに『宇宙の調和』に引用するラテン語の続唱や賛歌を練習した。毎日の歌に加えて、毎週授業で楽理も学んだ。ヴュルテンベルクは、音楽の訓練でも楽理の授業でも非常に水準が高く、対位法的な装飾的楽曲まで教えてた。ケプラーは、小学校でかっちりとした理論的知識と実績的技術を身につけ、テュービンゲンで神学を学ぶ間(1589-1594)も、音楽の勉強を継続して知識を深めた。テュービンゲンでも、すべての同輩たちと同様に音楽の授業を受けた。神学校では週に三日、歌う決まりがあったので、学生たちは「つねにあたらしいもてっとやすぐれた歌を学び、実績音楽の練習をしなくては」ならなかった。ケプラーは、教会音楽の演奏会や詩的な祝い事にも参加した。グラレアヌスの音楽理論も知った。』

『ある手紙に「いたりあにはすぐれた音楽があふれている」と書かれている。ラッソの音楽をそれまで知らなかったとしても、グラーヅで出会ったのは間違いない。1599年、友人に充てた手紙に「ラッソが生きていれば」クラヴィコードを性格に調律する方法を教えてもらえるのだが、と言って、町立に関する絶対の権威としてこの偉大な作曲家を名指ししている』

- - - 『近代科学の形成と音楽』 ピーター・ペシック著/竹田円訳 (NTT出版/2014)






自然の秘めたる声〜ヨハネス・ケプラーの天体音楽




● オルランド・ディ・ラッソ(1532-1594)
Tui sunt coeli / In me transierunt / Si coelum et coeli coelorum

● アンドレア・ガブリエリ(1532/33-1585)
Deus misereatur nostri/Beati quorum remissae sunt

● ハンス・レーオ・ハスラー(1564-1612)
Jubilate Deo

● アンニバレ・ペリーニ(1560-1596)
Cantate Domino

● ランベール・ド・サイヴ(C.1548/49-1614)
Miserere mei Deus(6声)/De profundis(10声)

● カリオペ・ツパキ(1963-)
Astron

● エラスムス・ヴィトマン(1572-1634)
Intrada and Canzon

● ランベール・ド・サイヴ(C.1548/49-1614)
O quam suavis est

● アンドレア・ガブリエリ(1532/33-1585)
Emendemus

● アンニバレ・ペリーニ(1560-1596)
Laudate Dominum

● オルランド・ディ・ラッソ(1532-1594)
Tristis est anima mea/Aurora lucis rutilat

● ランベール・ド・サイヴ(C.1548/49-1614)
Regna triumphalem



 このアルバム、2020年にブルース・ディッキー率いるコンチェルト・パラティーノによってレコーディングされたアルバムです。注目は、彼の『宇宙の調和』の中で実際の音楽として言及しているラッソの?Tristis est anima meaが収録されていることでしょう。
  ケプラーと同時代の作曲家なので、少なくともラッソを除く作曲家の音楽も、教会などで耳にしていたのかもしれない、といった憶測で選曲されたようです。個人的にはラッソ以外の名前は初めて聞く作曲家ばかりで、同時代の「教会音楽の父」と呼ばれ、ラッソとともになら微笑されるパレストリーナの作品が入っていないのが意外な感じがしました。





 というわけで、作曲家でないケプラーには彼が作曲した作品がないので、先にも書いた通り、ケプラーが影響を受けたラッソをはじめとする同時代の作曲家の作品(CD)を紹介します。そして、同じ時代に作曲された作品を聴きながら、天球を眺めると、時間を飛び越えて彼らが眺めた星空と繋がっていることに気づくのではないでしょうか?


ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ
Giovanni Pierluigi da Palestrina(1525/26-1594)
 ルネサンス期の教会音楽の最後にして最大の作曲家。手紙にはGiovanni Petraloysioと著名した。いわゆるパレストリーナ様式といわれる線的対位法の極致を示す多数の無伴奏合唱曲を残す。教皇礼拝堂付き歌手。ローマのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、教皇庁のジュリア礼拝堂の楽長を歴任。この間、ミサ曲、モテットなどの作品を通して、対抗宗教改革の時代のおけるカトリック音楽の降盛をもたらした。

教皇マルチェルスのミサ/ パレストリーナ

● ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ(1525/26-1594)

教皇マルチェルスのミサ(Missa Papae Marcelli)
ミサ・ブレヴィス(Missa Brevis)

デイヴィッド・ヒル指揮
ウェストミンスター大聖堂聖歌隊


 この手の音楽で最初に手にしたアルバムで、パレストリーナのミサ曲を2曲収録しています(全曲伴奏なしのアカペラ)。当時(すでにない)六本木のWAVEで大プッシュしていたので購入した思い出があります。  寝るときに良く聴いていました。快い睡魔を誘ってくれるので最初の数曲のメロディを知っているぐらいで、後のはどういう曲が入っているのかわかりません(どこでミサが変わるのかわからないし)。しかしこういった曲が、私の考えているところの天界からの音楽かもしれません。 こういう曲は何もキリスト教だけの音楽ではなく、万人のための芸術作品としてもっと聴かれていいし、なにより素晴らしい人間のハーモニーを聴かせてくれます。初めて聴く音楽だったので、しばらくはハマってしまいました。


オルランド・ デ・ラッソ
Orlando di Lasso(1532-1594)
 ケプラーが名指し、惑星の法則を研究する際に、具体的な例として取り上げたモテットを作曲した後期ルネサンス時代のフランドル楽派の大家オルランド・デ・ラッソ(ラッススとも)を紹介します。奇遇にも先のパレストリーナと同年に逝去。

  パレストリーナと並んで同時代の音楽の最後を飾る作曲家。生地モンスの教会合唱団員を務めたのち、イタリア各地の王侯に仕え、1555年にアルトウェルペンに戻るが、翌年バイエルン公アルブレヒト5世に招かれてミュンヘンの宮廷に仕え、生涯この地にあった。その間イタリア、フランス、ドイツの各地を歴訪。2000曲におよぶ教会音楽、背族音楽を作曲。「音楽の帝王」「天才オルランド」と称された。


モテット集

●オルランド・ デ・ラッソ(1532-1594)

「モテット集」

われら生のただ中にありて(Media vita in morte sumus)
わが心、侮辱と悲惨によりて(Improperium Expectavit)
アベルといずこに(Ubi est Abel)
死の悲しみがわれをとりまく(Circumdederunt me dolores mortis)
私の心は死ぬほど悲しい(Tristis est anima mea)
より良き生活のうちに(Emendemus in melius)
思い出し給え、慈悲深きキリストよ(Recordare pie Jesu)
わが魂よ、何ゆえ悲しみたるか(Quare tristis es anima mea?)
天にましますわれらの父よ(Pater Noster)

ミサ曲「すべての後悔」(Tous les regrez)
I. Kyrie / II. Gloria / III. Credo / IV. Sanctus/Benedictus / V. Agnus Dei

● Ncolas Gombert(c.1495-1560)
すべての後悔(Tous les regrez)

シンガー・プア(Singer Pur)



 ケプラーが『宇宙の調和』の中で言及している ♪私の心は死ぬほど悲しい(Tristis est anima mea)が収録されています。全曲アカペラなので、ぶっちゃけどの曲を聴いても、別の作曲家のモテットを聴いても同じような感覚になってしまうのは、私の音楽素養が低すぎるがためなのですが、具体的に名指ししているというだけで、何か特別な、彼の宇宙との関わりに触れるような感覚に見舞われるような気がします。

 スティングの楽曲もレコーディングしているグループの一枚。オマケ的にラスト・トラックにはラッソのミサ曲と同じテキストを使ったニコラス・ゴンバートの「すべての後悔」が収録されています。





新しく、比類なく美しい作品集

●新しく、比類なく美しい作品集
ドルツィアン:パオロ・トニョン、クラウディオ・ヴェル

●新しく、比類なく美しい作品集
フランコ・ラディッキア/グルッポ・ヴォカーレ・アルモニオーソインカント


 ラッソの2000曲にも及ぶ作品のうち、このアルバム前半に収録されているファゴットの前身と言われるドルツィアンによる器楽曲は、彼にとっては非常に珍しい作品。『クラシック音楽作品名事典』のラッソの項目を見ても「12のビチニウム」が記載されているだけです。 彼の器楽曲は現存しているのかどうかもわからないとか。だから、ここで聴くことの出来るドルツィアンによる演奏は、彼を知る上でも、当時を知る上でも貴重な音源ではないでしょうか? 
  古楽器が大好きな私には、ここで使用されている二人の楽器がオリジナルだったらなぁ、という気持ちが大きいですが、貴重な復元楽器ということで我慢です(笑)





ダヴィデの懺悔の詩篇

●ダヴィデの懺悔の詩篇
第1の懺悔詩篇(詩篇第6篇)「主よ、怒りもて罰したもうなかれ」
第2の懺悔詩篇(詩篇第32篇)「その悪行を許され」
第3の懺悔詩篇(詩篇第38篇)「主よ、怒りもて罰したもうなかれ」
第4の懺悔詩篇(詩篇第51篇)「神よ、われを憐れみたまえ(ミゼレーレ)」
第5の懺悔詩篇(詩篇第102篇)「主よ、わが祈りを聞きたまえ」
第6の懺悔詩篇(詩篇第130篇)」深き淵より、われ汝を呼ぶ」
第7の懺悔詩篇(詩篇第143篇)「主よ、わが祈りを聞きたまえ 」

フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮
コレギウム・ヴォカーレ・ヘント



 1583年に作曲され、現在ラッソの最高傑作と言うこの作品は、声楽と器楽の版と、このヘレヴェッへのように声楽のみの版とが存在するようです。私はこのヘレヴェッへ盤しか聴いたことがないので、こちらの方が親しみがあります(まー、そのうち機会があれば器楽伴奏付きのも聴いてみたいかな、と)




ミサ・ディクシト・ヨゼフ

●主をほめたたえよ(Confitemini Domino)
● ヨゼフは11人の兄弟に言いぬ(Dixit Joseph undecim fratribus suis)

● 「ヨゼフは言いぬ」に基づくミサ(Missa super Dixit Joseph)
I. Kyrie / II. Gloria / III. Credo / IV. Sanctus/Benedictus / V. Agnus Dei

● 怒りを身に負い(In me transierunt irae tuae)
● おお死よ, 汝への思いは(O mors, quam amara est memoria tua)
● 王座に座したもう神よ(Deus, qui dedes super thronum)
● われらは幸を受けたるゆえ(Si bona suscepiumus)
● 神よ、新しき歌を(Deus, canticum novum)
● 来たれ、わが愛する者よ(Veni dilecte mi)
● 喜びは偽り(Fallax gratia)
● 恐れと震えが(Timor et tremor)

チンクエチェント


 ケプラーが実際に取り上げた「怒りを身に負い(In me transierunt irae tuae) 」を収録しています。先にも書きましたが、この時代の曲は誰が書いても同じ曲に聞こえてしまうという思いがありますが、ケプラーが実際に取り上げた曲として、この曲へは耳にタコができるほど聞き込みたいです。




これまで取り上げて来た作曲家の作品んが気に入ったら
次に手を出してしまうであろう作曲家たち…

ギヨーム・デュファイ
Guillaume Dufay(c.1400 - 1474)
 ジル・バンショワ(c.1400-1460)とともにフランドル楽派の第1期に相当するブルゴーニュ楽派を代表する作曲家。歌手としてフランドルのカンプレをはじめ、イタリア各地で活躍、教会音、世俗音楽の対位法の発展に大きく貢献した。
世俗歌曲集

● コンスタンティノープルのための哀歌
(すべての希望の泉、憐れみ深い父よ/その朋はこれに背き)

● とても優しい恋人よ、お願いですから
● 心蕩かすその姿
● 哀れにもわが身をかこつ
● 親しい友よ
● 恵まれぬ心よ
● 私の美しい人よ、お願いです ● 果たしてあなたのお恵みが得られましょうか
● ああ、いつの日にあなたに会えるだろうか
● 私はもう、かつての私ではない
● 私は満ちた心で歌いたい
● 月は五月
● 美しい人よ、どんな過ちを犯したのか、この私が
● 酷い痛手でもって勝ち誇りながら
● あなたの美しい眼差ゆえに
● あなたの評判そしてあなたの高い名声は
● 好遇を享けるしもべとして
● あなたは戦士なのだから

オーランド・コンソート(The Orlando Consort)



 オーランド・コンソートはカウンター・テナー、テノール(2)、バリトンという4人のグループ。少人数という中での完璧なハーモニーは、もはや人間業とは思える美しさを、その楽曲とともに伝えてくれています。モテット、モテット、シャンソン、バラードという様々なジャンルの音楽が歌われますが、理屈抜きに心癒されるハーモニーが堪能できます。ケプラー生前の時代、こうした音楽がポピュラーだったことを考えると、もっともっと現代人も聴いて良い音楽なのではないでしょうか?




固定旋律によるミサ曲集

● 多声歌曲「わたしの顔が蒼ざめているのは」
● ミサ・ス・ラ・ファス(わたしの顔が蒼ざめているのは)
● ミサ・ロム・アルメ(わたしの顔が蒼ざめているのは)
● ミサ・エッケ・アンチラ・ドミニ&ベアタ・エス・マリア
(わたしは主のはしため/祝福されたるはマリア様)
● めでたし、天の皇后(単旋律聖歌)
● めでたし、天の皇后(デュファイによる多声版)
● ミサ・アヴェ・レジーナ(めでたし、天の皇后)

カット・サークル(The Cut Circle)



 このグループも6人という少人数で、清らかな歌声で見事なハーモニーを紡いでいます。



ヨハネス・オケゲム
Johannes Ockeghem(1410 - 1497)
 フランドル楽派第2期の作曲家。フランドルおよびフランス宮廷で活躍。通模倣様式の発達に貢献。16世紀のミサ曲をはじめ、モテット、シャンソンを残す。

レクイエム


● ヨハネス・オケゲム(c.1410-1497)
レクイエム

● ピエール・ド・ラ=リュー(c.1452-1518)
レクイエム

カペラ・プラテンシス(Cappella Pratensis)



 オケゲムとラ=リューの『レクイエム』が収録されていますが、メーカーによれば「フランドル楽派の優れた作曲家たちによる最初の、ポリフォニー書法によるレクィエム」なのだそうです。曲の性格上、これは死者を弔うためのミサ曲なのですが、キリスト教に馴染みのない人間(私)にとっては、こうしたポリフォニーは、もはや歌詞も耳に入って来ないばかりか、美しいひとつの芸術作品として聴くことができるのではないでしょうか? たった8人のグループによる深遠なハーモニーの拡がりは、宗教的な意味をこえて心が癒されてしまいそうです(癒されます)。




シャンソン全集


● ヨハネス・オケゲム(c.1410-1497)
わが婦人、誰よりも愛しき方
さながら身もこわばり、死したに等しく
過ぎし日には過ぎし日なりの
わが唇に笑みが
口づけをください
さらなる苦渋が
どれほど、あなただけを
悲しいのは、それでも死ねないこと
嘘つきは調子づき
わが喜びはいとも優美に
彼女が愛してくだされば/鼻先であしらわれ
悲しいのは、それでも死ねないこと
あなたこそは新たなる美の女神
ただ死を待つだけが
ただ死を待つだけが/ただ期待感だけが
彼女から隔てられて
もしもあなたの心が
お示しください、あなたの理想の愛を
ほかの誰かに慕われている方なら
心を向けるのはあなただけです
死神よ、おまえは矢で痛めつけた/憐れんでください

● ジョスカン・デ・プレ(c.1450/1455 - 1521)
オケゲム追悼「森の妖精たちよ」

● ヨハンネス・カルナゴ(1400 - 1474)
わが命とは、と問われるか

● ヨハンネス・ベディングハム
おお美しき薔薇よ

カット・サークル(The Cut Circle)



 このグループの魅力は6人という少人数による完璧なハーモニーではないでしょうか? 古典以降の音楽に耳が慣れているリスナーほど、こうした人間だけの響きには耳を奪われるはずです。オケゲムのシャンソンと、彼と関わりのある、同時代の作曲家たちのシャンソンと、オケゲムを追悼したレクイエム(これがこのアルバムのオープニングです)が収録されています。




ジョスカン・デ・プレ
Josquin Des Prez(1450/1455 - 1521)
 フランドル楽派中期の最大の作曲家。サン・クヮンタンの教会の少年歌手を振り出しに、ミラノのスフォルツァ家、ローマ教皇庁の聖歌隊で、またフィレンツェ、フェラーラでも活躍。晩年はブルゴーニュのコンデ・シュル・エスコーの名誉司祭になる。19曲のミサ曲をはじめとする教会音楽、多くの世俗音楽は当時の模範とされ、フランス、ドイツ、イタリアの作曲家に多大の影響を残す。



ミサ曲集 Vol.9


● ジョスカン・デ・プレ(c.1450/1455 - 1521)
フェラーラ公エルコーレ
恋の相手を変えたのなら
嘆きながら

タリス・スコラーズ(The Tallis Scholars)



 2021年は没後500年というデ・プレ。タリス・スコラーズはその記念年にミサ曲全集を完成という偉業を完結させてくれました。

 

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