麻田剛立のお墓は、浄春寺(大阪市天王寺区夕陽丘町5−3)にあります。私はJR新大阪駅から地下鉄(1日乗車券はお得!)を乗り継ぎ、訪れました。
ブログにも書きましたが、急遽決まった前倒しの休暇を利用して、日食(2019年12月26日)に合わせた千載一遇のチャンスが訪れ、いつか訪ねて見たいと思っていた巨人、麻田剛立に会いに行くなら、この日以外に考えられないと思い、カメラと着替えだけ用意して計画もそこそこに新幹線へ乗り込みました。朝もまだ早い時間に最寄り駅の始発快速に乗り、いつまでたってもどんよりとした空を眺めながら大阪に向かいました。新幹線のぞみは、最高速度300キロで新横浜から一気に名古屋へ飛ばします。途中、富士山が青空の中白い冠を魅せてくれましたが、あっという間に過ぎ去り、今から200年前の江戸時代の人びとが自らの足で西へ東へと歩く姿に想いを馳せました。それにしても早い。いつもは車のハンドルを握っているから、旅程のすべてが自分の目を通しているのですが、電車ともなると事情が異なります。少なくとも行きぐらいは昼間の行程になるので、しっかりと自分の目に焼き付けていきたい、そんな風に考えて車窓の移り行く姿のめまぐるしい展開に呆れてしまいます。浜松をすぎた辺りから、地面が濡れていることに気づき、車のヘッドライトも点灯しています。ワイパーも動いています。道行く人たちの色とりどりの傘も開いていました。「あと5時間、このまま雨なのか…」願いも空しく、最初に到着した間重富までは傘をささざるを得ませんでした。(
間重富へ)
今回の日食、大阪での欠け始めは14時22分。それまで昼食とお茶で時間をつぶし、いよいよ面会。当然誰もいません。当然と言えば当然ですが、その後も、お墓参りに来る人は誰もおらず、年の瀬の慌ただしさとは無縁の時間と空間と、そして静けさがここにはありました。
どんよりとした空で、いつまで待っても欠けた太陽は顔を出すことがありません。私は腕を組んだまま空を見上げる剛立に「晴れませんねぇ」と声を掛けてみたものの、彼は身じろぎひとつせず、ただ雲の隙間から一筋の日彼が漏れることだけを期待しているような横顔だけを見せていました。
そんな情景を想像しながら、自分自身も時々顔にパラパラと冷雨を受けながらじっと空を見つめていましたが、このまま待っていても日食は無理かなぁ、と思った瞬間、隣にいたはずの剛立の気配もなくなっていました。 (2019/12/26)