カメラータトウキョウのプロデューサー、井阪紘氏の二冊の書物をなかなか興味深く拝読しました。以来、クラシックのレコードでもプロデューサーや、スタッフ、ロケーションなどに目を向けるようになりました。もっともロックなどの作品には、以前からお気に入りのプロデューサーがいたので、そういった聴き方(選曲)をしていましたが、クラシックでもプロデューサーなど、制作者に目を向けたことはいままでありませんでした(ジョン・カルショウは例外中の例外)。


 今や、音楽はネットで買う時代であり、携帯プレイヤーにオペラや交響曲など全曲を詰め込んで、通勤・通学で聴く事が出来ます。自宅でどっしりと腰を落ち着かせてレコード針を下ろして聴く時代ではなくなったのかもしれません。しかし、私は、著者が語りかけてくれることに対して、いちいち「そうそう」と共感する部分が多くあり、改めて『レコード芸術』なるものを味わいながら、一枚一枚に注がれた情熱を、音楽から、そしてパッケージから感じたいと願うようになりました。

 この二冊の本を読み、何枚か聞き直したレコードもあれば、新しく購入したアルバムもあります。クラシックレコードといったら、それまでは「西洋のもの」と思っていた感があり、それが最近になってコロンビアのアリアーレ・シリーズ(有田正広、寺神戸亨 etc.)のバロックものや、カメラータトウキョウのレコードなど、日本人演奏家にも興味が湧くようになりました。

 『一枚のディスクに』では、プロデューサーが一枚に掛ける「レコード芸術」の流れなどが興味深く綴られ、『巨匠たちの録音現場』では、大物アーティストを育て上げたプロデューサーや、レーベルなど、ほとんど知る事の無かった裏方の仕事を見せてくれます。
 この二冊からは「日本には、ここまで楽曲を考えてレコーディングに向かっているプロデューサっていないんじゃないの?」と思ってしまうほど、
井阪紘氏の「レコード芸術」へのこだわりを教えられます。ここまで丁寧に作り上げて、駄作となるアルバムがあろうはずはない、とも思えるものです(正直、私にはそう思えます)

 それまでも、まるっきり縁のなかった世界ではなく、もともと「制作」に対して興味を持っていた事(学生時代は、そうした仕事に就きたいと夢見ていたことも・・・)もあり、そうした類の書物やメディアは比較的手にしていました。たとえば双方に登場するカルショウなどは、本人の著作(レコードはまっすぐに リング・リザウンディング)や、ショルティとの『指環セッション』、洋楽ではアーティストを知らなくても、プロデューサー(ウィリアム・アッカーマンリック・ルービンetc.)買いをしています。また、そうしたきっかけを作ってくれたドキュメンタリーなどは大好きで、「Band Aid」や「We Are The World」、エアロスミス、メタリカなどの制作ドキュメンタリーなど、手にはいるのであれば、そこそこ見ていました。




ディヴェルティメント全集(ハイドン)
 二挺ものが好きな私にとって、この全集は宝物のようであります。実際には二挺ではなく、通低音的にチェロが加わって三重奏という編成ですが、上層声部にはお目当ての二挺のヴァイオリンの対話があり、どの曲にもリラックスして耳を傾ける事が出来ます。こんなにも美しい曲たちを書いていてくれたなんて! そしてそれを余すところ無く伝えてくれたカメラータトウキョウに感謝します。

 ハイドンイヤー(2009)に1枚3000円近いディスクが6枚組廉価盤としてリリースされました。(2010暮れにアンコールプレス!)

ヴァイオリンとヴィオラのためのソナタ(M.ハイドン/モーツァルト)

 二挺ものを探し求めていたとき、初めてカメラータというレーベルを知りました。このアルバムがリリースされた頃は、ミヒャエル・ハイドンとモーツァルトのソナタがセットになったアルバムはほとんど存在していませんでした。今となっては(プロデューサーの著作に綴られたこだわりを知ってから)、この曲集に辿り着いたのは時間の問題だったんだな、と思います。

ファゴット四重奏曲集(ドヴィエンヌ)
 プロデューサーノート(著作)には、すでに何十種も存在する同曲のカタログに加えるレコードを制作するよりは、カタログにない作品を発見し残すという方法で、このレーベルの存在意義を見いだしたとありましたが、まさにこのドヴィエンヌの曲集など(かつてはモーツァルト作と思われていたらしい)、秘曲として眠らせておくにはもったいない佳曲と出会う事が出来ました。
糸杉(ドヴォルザーク)
 長らく秘曲として、残された歌曲が数曲紹介されるだけで、この弦楽四重奏版(この演奏形態がオリジナル)がレコードで紹介される事はほとんどありませんでした。流石はカメラータ、そうしたレーベルの姿勢(ポリシー)がこの秘曲の全貌を明らかにしてくれました。私も、このディスクがなければ(最初はレーベル企画のオムニバスを図書館で手にして初めて存在を知りました)知る事がなかったかもしれません。2010年にはパノパ弦楽四重奏団によるディスクがカタログに加わりました。
パルティータ全集(J.S.バッハ)
 著作に紹介されていたエピソード、グールドと並んでレコーディング中のうなり声がハンパじゃない、みたいなことが書いてあって、「よっぽど独特な演奏をするんだろうなぁ」という変な興味本位から、この演奏家を知りました。
 そんな邪推から入ったのですが、この耳を傾けてみると、井阪氏の丁寧な音録りが「演奏、音、響、空間」に行き届いている感じがしました。ソロ楽器というシンプルさゆえの苦労が見えてきます。

 すでに故人(2001年没)となってしまいましたが、偶然のなせる技か、カメラータに残したバッハの作品が廉価盤となって再発される事になりました。



交響曲集(ブルックナー)
 初めて接する指揮者ですが、さすが本場の味というのでしょうか?これまでにないぐらいの重厚なブルックナートーンを味わえる一枚です。ストリングスもつややかに鳴り響き、レーベルカラーが良く出ている感じがします。 このカメラータトウキョウというレーベルの面白いところは、毎回リリースされるアルバムに「プロデューサーノート」というエッセイが掲載されています。レーベルプロデューサーである井阪紘氏の手記です。

 アマゾンのレビューにも書きましたが、ファッツォーリを弾くチッコリーニのライヴ(2003年10月12日、トリフォニーホール)。著作を読んで、私もレコード芸術にはライヴはあまり興味がないので、このチッコリーニの「ライヴ録音」にはいささか首を傾げてしまいます。海外ではお気に入りの銘器を奏してスタジオ録音をポツリポツリと増やしているので、できれば井坂氏のプロデュースの下、ここで演奏されたドビュッシーを二度目の全集として録音して欲しいと切に願っています(ちなみにEMIではベーゼンドルファーだった)

 とはいえ、巨匠の演奏会記録としては貴重な音源である事には間違いありません。



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 先の二冊と異なり今度は作曲家の西村朗氏との対談形式による一冊。これもまた面白い本です。これを手にするちょっと前に、西村氏とは、同じく作曲家の吉松隆氏との対談集がお初でしたが「ああ、あの人ね」という感じで、きっと面白い内容だろうと手にしたわけです。そしてそれは大正解でした。
 『一枚のディスクに』と『巨匠たちの録音現場』で、何度か口にしていた「レコード芸術」という言葉。そして「自分のレーベルで出す以上、一度聴いたらもう二度と聴かないようなレコードを売ることはしない。つくる以上は、僕自身が何度でも聴きたいと思うものを作ろう(P203)」なんかは、制作側の強い心意気を感じます。とても惹かれる言葉でした。

他にも
「ライヴの演奏は、まずは安全でなきゃいけないから。破綻しちゃいけないんです。だけど、レコーディングは止まっても何をしてもいいから、ともかくできる可能性のある一番最高の演奏に挑戦する。たとえばプレスティッシモのスピードで弾きたいと思っても、本番ではそれはできない。コンサートはたった一回の演奏を必ず成功させなきゃいけないから、安全運転になるのはあたりまえなわけ。レコーディングではそれはまったく意味がない。五回やって一回でも成功すればそれでいい(P239)
」とか、

1960年代にあれだけ盛んにクラシックの音楽、それも現代音楽まで制作していた大会社が、今や、ネット系の会社に買収されるといった噂が出るくらいですからね。結局のところ、こういう混迷の時代になると、これまでにしっかりとしたポリシーを捉えてモノを作ってきたかどうかが問われるのでしょう。60年代はそれでもまだレコード会社にポリシーはあったかもしれない。でも1970年代に入ってからは現場が事なかれ主義になって、何かヒットさえ出れば今年はこれで食えるという風潮でやってきたわけです」など。

 後者の言葉は、まさか、こういった言葉が制作側から出るとは思っていませんでした(だから大会社を辞めてまでカメラータを立ち上げたんでしょうけど)。これは、イーグルスが「ホテル・カリフォルニア」で歌った70年代アーティストたちをうたった内容と同じです。「レコード会社の言われるままにポップなヒット曲を作る連中には精神、歌詞ではダブル・ミーニングとして「当店(つまりホテル・カリフォルニアには)スピリットという名のワインは置いてありません」とバーテンダーが辛辣に言う下り。

 私が井阪氏の制作するアルバムが好きなのは、作り手の理由がわかるからです。あえて名曲を外す理由なんかにも惹かれます(草津音楽祭に関しても)。カメラータ・トウキョウは、これからもマイナーな曲を世に送り出してくれるであろうレーベルとして、躍進するのではないでしょうか。それにはリスナーの姿勢が重要なんですけどね。