星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)
 夜想曲(ノクターン)といったら、フィールドやショパン、フォーレが書いたピアノ曲だけと思っていましたが、このページで紹介するように声楽作品にもチラリ、ホラリとあるのです。 この「ノクターン」というコトバから連想される作曲家のイメージは多彩なんだなぁ、と思い知らされました。

 ただ、歌曲の場合はピアノ曲とは違って、詩人のコトバが重要になってくるので、聴き手のイマジネーションは狭くなってしまいます。そして詩人にとっての「夜」は「死」と連想することが多いようです。
ノクターン 〜夜想歌〜 仏・独・英歌曲作品集

 歌の世界にも「夜想曲」は作曲されましたが、このアルバム(タイトルこそ「NOCTURNES」となっていますが…)は、そうした「雰囲気を持った」曲を集めて編まれました。「夜想曲」というタイトルを持つのは、フランクの1曲のみ(とほほ)

夜想曲





 このアルバムには、「夜想曲」の他にも「星のない夜に」という美しい曲が収録されています。伴奏のピアノが、まるで星のまたたきを思わせてくれるような美しい曲です。
「夜想曲」ジャン・ラオール
お前の青白い胸の上で
僕の心が死のような甘い眠りにつく
妙なる死、香しき死、
愛するものの寝息のもとで
お前の青白い胸の上で僕の心が眠りにつく




 ショーソンとドビュッシーの二人の作品を取り上げた一枚(国内盤では「リラの花咲くころ」というタイトルがつけられています)で、ショーソンはモーリス・ブジョールの詩に曲をつけています。『4つの歌 Op.8』の第一曲です。シェーファーはドイツ人リート歌手ですが、ここではフランス歌曲を、その雰囲気と共に届けてくれました。

 なお、ショーソンの「2つの二重奏曲Op.11」では、メゾ・ソプラノのステラ・ドゥフェクシスと美しいデュオを聞くことが出来ます。その中に「夜」という曲が収録されていますが、そちらのほうが好みかな。
 私の好きなドビュッシーは、「華やかな宴第1集」「抒情的散文」「白夜」が収録されています。ピアノ伴奏はアーウィン・ケージ。

「夜想曲」モーリス・ブジョール

夜はもの思いに沈んで暗く、
ただ光るのは、彼女の漆黒の黒い髪をほどく金色のヘアピンのみ
夜は、僕らの上で、遠い海の上で、
大地の上で眠りの中に謎を埋葬する
翼を持った香りを撒きながらそして僕らの若い恋は、
僕らの思いから生まれ
凍りついた百本のバラのしとねで目覚め
一日の命だった
そして僕は青ざめ、熱に震えながら彼女に言った共に死のう、
唇に微笑みを浮かべながら恋が終わるのと同時に



 三大ノクターンを書いた一人、ガブリエル・フォーレもまた、詩人の「ノクターン」からインスピレーションを受け、ピアノ曲とは別に歌曲も作曲しています。
「夜想曲」オギュスト・ドゥ・ヴィリエ・ドゥ・リラダン

夜が大いなる神秘に
青い帳をそっと開く
大地の花々は空の星のようだ

まどろんだ闇の中
絶え間なく輝く
美しい花々と美しい星々

だが 闇のヴェールに包まれた私の夜の中に
魅力と光を放つのは
たったひとつの花 ひとつの星だけ
それは 私の愛ときみの美しさ


 オスカル・メリカントは生前、シベリウスよりも人気のあった作曲家で、息子アーッレも作曲家。息子は管弦楽のための「夜想曲」を手掛けています。この夜想曲の作詞は、「フィンランディア」の作詞を手掛けたことでも知られています。私が夜想曲の歌を探している中では、ブリテンのものと合わせると、やっと2曲目の男声による夜想曲です。

「夜想曲」ヴェイッコ・アンテロ・コスケンニエミ

夜が大いなる神秘に
小鳥たちはその枝の上で静まり返っている
陽が去りゆくにはまだしばらくの時がある


かこやなぎの木々が乙女のように震えている
至福の愛を夢見て
荒涼とした平地は巨人のように

一日の仕事の後にまどろむ
風見鶏が一つぽつんと
いつまでも永遠に目覚めている
私の心がみつめているように 過ぎ去った時を
どれだけ多くの時を忘れ去っただろうか
どれだけわずかなことしか為されなかったのだろうか!


 作詞者不明のベルリオーズの夜想曲。ギターを伴奏に、ソプラノのポレと、アルトのフォン・オッターが歌っています。一聴しただけでは、これがクラシック?とか、ベルリオーズが作曲した作品とは思えないような曲想。に驚かされます。

「2声の夜想曲」

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