星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)
 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Joseph Franz Haydn; 1732-1809)といえば・・・

 「交響曲の父(104曲+α!)」あるいは「弦楽四重奏曲の父(83曲!)」紹介されるのが一般的なイメージです。確かに共に100曲近く残しているからでしょうが、実際は古典派以降の交響曲や弦楽四重奏曲というジャンルの形式(確立)を決定づけたことに由来していて、他にも彼のオーケストラ(宮廷)団員から「パパ・ハイドン」と呼ばれていたことも影響しているのかもしれません。

 ハイドンが活躍していた時期は、ちょうど近代天文学が「天体望遠鏡」の技術発達とともに、華々しく脚光を浴びていた頃です。具体的には元作曲家で親交のあった天文学者のウィリアム・ハーシェル(1738-1822)が活躍していた時期と重なっています。この頃の天文学は天動説から地動説へと考え方が変わりつつあった時代で「地球が動いている証拠」を望遠鏡による観測で探している時代でした。

 ハーシェルは作曲家として、そして演奏家として脚光を浴びていましたが、趣味の天文学が高じて「天王星発見」という、史上初めてとなる惑星の発見を契機に天文学者への道を歩むことになります。ハーシェルが約20年の観測に及び、ふたご座のカストルをはじめとする、いくつかの連星の観測において、2つの星の視角が変動していることを発見した時期です。もともと宮廷作曲家を本職とするハーシェルらが耳にしていた響きを聴く事が出来ると思うと、その想像は羽を広げて、当時の音響を思い出さずに入られません。まさにそうした時代の作曲家でした。

 ハイドンは音楽史の中でバロックの栄華を極めた大作曲家たちの晩年や、その息子たちからのバロックの洗礼を受け、後輩のモーツァルトから「友人」と仰がれ、古典~ロマン派を確立したベートーヴェンとも少なからず交流があった長寿の作曲家です。

 実は私もクラシックを聴き始めてから、古典派というジャンルには興味がなく、もっぱら19世紀の後期ロマン派(特にマーラー)や、印象派(特にドビュッシー)に耳を傾けてきました。そんな織り古典派に目覚めたのは、私がハイドンに対して持っていたイメージを一新するディスクに巡り会ったからに他なりません。
 
Disk1;
Disk2;
協奏曲 ヘ長調 Hob.XVIII:3
協奏曲 ニ長調 Hob.XVIII:11
協奏曲 ト長調 Hob.XVIII:4
コンチェルティーノ ハ長調 Hob.XIV:11
協奏曲 ヘ長調 Hob.XVIII:6
コンチェルティーノ ハ長調 Hob.XIV:12
ディベルティメント ハ長調 Hob.XIV:7
コンチェルティーノ ハ長調 Hob.XIV:3
ディベルティメント ハ長調 Hob.XIV:C2
コンチェルティーノ ヘ長調 Hob.XIV:F2
ディベルティメント ト長調 Hob.XIV:13
ディベルティメント ハ長調 Hob.XIV:8
ディベルティメント ヘ長調 Hob.XIV:9
ディベルティメント ハ長調 Hob.XIV:4
 
 私がハイドンを気に入ったのは、世の中がハイドンの生誕200周年と歌ったハイドン・イヤーの2009年ちょっと前。そのきっかけを作ってくれたのが、図書館で何気なく借りたトン・コープマンの「ディベルティメント集」でした。コープマンといえばバッハとか、バロックをメインに活動する演奏家です。「なぜ彼がハイドンを?」というのと「ハイドンがバロックぽく聞こえたりしてぇ」という興味と好奇心から手にした一枚(正確には4枚組でした)からです。

 とはいっても、それまでに全くハイドンを聴いていなかったのかといえば、そういうわけでもなく、弦楽四重奏曲第78番『日の出』など、後に付けられたタイトルに惹かれて、最初に手を出した曲でした。このタイトルから湧くイメージは、今でも小学6年生の時に友だちと徹夜して星を眺めた朝のイメージがあり、この頃から「星の世界と音楽」を結びつけていました。

 2009年はフランツ・ヨゼフ・ハイドンの没後200年にあたるため、世界中で「ハイドン・イヤー」と称して催し(多くはコンサート)が行われました。他にも進化論のチャールズ・ダーウィン生誕200年だったり、私としてはガリレオが遠眼鏡を改良した望遠鏡を使って天界に眼を向けた最初の年から400年目に当たるとして「世界天文年」がもっとも身近な催しとなっています。このページで紹介するハイドンは、それ以降大好きになって作曲家の一人です。

 簡単なプロフィールとして、学校の音楽の教科書には以下のようなことが紹介されています。古典派であり、交響曲という形式を確立し100曲以上の作品を残したため「交響曲の父」と呼ばれることがあります。私はあまりハイドンのそういった作品を聞くことはありませんが、室内楽のジャンルにおいては、私が星を見る際のお供(天界の音楽)としてチョイスすることの多い作曲家なのです。先日図書館で借りたアンドラーシュ・シフのピアノソナタ(はつまんなかった)の解説に面白いことが書いてありました。

 氏、曰く
「ハイドンは毒のない音楽で、コンサートなどでも遅れてやってくる聴衆のために前菜として演奏する」

 誤解されては困りますが、決して「つまらない」音楽ではないということです。中にはそういうコメントをする人もいることは事実で、恥ずかしながら私も学校の音楽の授業で聴いた(聴かされた)ハイドンはあまりにも堅苦しく聞こえていたので、好きではありませんでした。恐らくそんな風に思ってしまったのは、彼の人柄とか、そうした情報もなく、ただ音楽を聴かされたからだったのかもしれません。音楽家が、その作品を前にした時に、楽譜だけでなく、その作曲家のことも知ることからはじめるようですから、そうしたやり方で入っていけたら、もっと彼に対する印象、ひいてはクラシック音楽というものへの接し方が変わったかもしれません。