7月7日が近づいてきました。七夕です。七夕といえば誰でも思い浮かべるのが、「織女と牽牛が年に一度のデートを楽しむ日」でしょうか。これは伝説の上でのデートであって、実際に二つの星が天の川を渡っていく光景は見ることはできません。なぜなら主役の星に限らず、星と星の間の距離というのは、人間の想像を超えているほど遠方にあるからです。いきなり現実的な話をしてしまいましたが、それぞれの距離を調べてみましょう。

☆ 地球から織女星まで26光年

☆ 地球から牽牛星まで17光年

★ 織女星と牽牛星まで16光年

織女星は画面中央上の星。牽牛星は右はじの星。2人の仲をとりもつアイアイ傘ははくちょう座。そして画面中央下に見えているのはヘール・ボップ彗星。


 光は一秒間に30万キロメートル進み(地球を7周半)ます。宇宙空間では地球上での尺度は通用しないので、光が1年間かかって進む距離を使います(光年)。仮に織女が光のスピードで牽牛に向かって「愛してるワー」と、ラヴレターを送ったとしても、牽牛の元に届くのは16年後。牽牛が「おれもー」という返事をすぐに送り返したとしても、織女の元に返事が届くのに、往復で32年かかることになるのです。
 それにこの二つの星の後方にある天の川も、見かけ上はピョ〜ンとひとっ飛びできそうですが、遙か後方に位置しているために見える錯覚で、実際の川幅は三千光年という途方もない幅があり、とても一日のデートが無理であることがわかります。


 

七夕伝説

 天帝の娘である織女 は銀河のほとりで、父の言いつけにより毎日機織りに精を出していました。彼女は見事な美しい布を織るのに忙しく、恋をするヒマすらありませんでした。そんな織女を見て父の天帝は可哀想に思い、銀河の向こう岸にいる牽牛 という牛飼いの青年を引き寄せ、結婚させることにしました。

 2人の甘い新婚生活が始まり、楽しい日々が過ぎてゆきました。しかし、それと同時に織女は布を織ることをやめてしまったのです。天帝はこれを怒って、もとどおり銀河の両岸に引き離してしまいました。そして「1年に1度、7月7日の夜にだけ会うことを許してやろう」と天帝は厳かに言い放ったのです。以来2人は7月7日がやってくるのを楽しみに日々を過ごしたということです。

 しかしその当日に雨が降れば天の川は水かさを増して、織女は天の川を渡ることはできません。旧暦の7月7日は銀河の川下に上弦の月がかかっているのですが、つれない舟人は織女を向こう岸に渡してはくれませんでした。彼女が銀河のほとりで泣きぬれていると、どこからともなく鵲(かささぎ) の群が飛んできて、天の川に橋を架けてやり、彼女はその橋を渡って牽牛に会うことができたということです。


 この七夕伝説は中国から伝わったもので、日本には平安朝以前に入ってきたようです。『日本書紀』にはすでに7月7日に宴を催したという記録がありましたが、一般庶民の祭りとして広まるには江戸時代まで待たなければならなりませんでした。
 この伝説が星祭りと結びついて、機織りなどの技術向上を祈願する乞巧奠(きっこうでん)になりました。日本に入ってきたときには、さらに民俗信仰的な要素も加わり、汚れを払ったり、疫病などに対するまじないの行事も増え、独特の星祭りに変化していったのです。

 日本の七夕は今では本家の中国よりも盛んな星祭りとして定着しているかもしれません。しかし七夕伝説が日本に伝わる前に、奄美大島あたりにもこれと良く似た伝説が伝えられていたそうです。海を隔てた遠い場所で、なぜこのような似た伝説が誕生するのでしょうか?日本と中国だけでなく、世界各地でもやはり類似する伝説があったりして、長雨の夜にそれらを探る旅に出るのも一興かもしれません。


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 ある時漁師ミケランは森の池で美しい天女が水浴びをしているのを目撃しました。彼は、木にかけてある羽衣を取り上げ、女房になって欲しいと頼んだのです。天女はしかたなくミケランの女房になり、のちに2人の子供ももうけました。

 何年か経ったある日、子供たちが「お倉のお米の下にきれいなおべべがある。玉虫色に光って、とてもいいにおいがする…」と唄っているのを聞きました。天女はその歌の通りの場所に行き、はたしてミケランが隠していた飛布と舞布を探し出したのです。そして何年かぶりに天女は子供を連れて天に帰ることができました。

 帰り際に「あなたは重くて連れてゆけません。人間が天に昇るには千足の草鞋を土に埋め、そのうえにタケノコを植えると、それが天に届きます。それをつたってきて下さい」と置き手紙を書きました。二年がかりで千足の草鞋を作ったミケランがタケノコを植えると、たちまちその先が天に届きました。さっそくそれをよじ登ってゆきましたが、あと一歩というところで天に届きません。千足と思っていた草鞋が一足たりなかったのです。しかしあとから昇ってきた愛犬が前足を雲にかけ、無事ミケランは天に昇ることができました。

 再会を喜び合う親子に、天女の父にあたる天帝が、ミケランが天で暮らすにふさわしい人間であるか試験をすると言いました。そのとき妻が「天では、どんなものでも横に切って食します。それが試験です」と耳打ちしてくれたので、ミケランは天帝がだす食べ物をすべて横に切って食べました。それを見た天帝もひどく彼を気に入り、最後に「ウリは縦に切って食べるが良かろう」と言いました。ミケランはその言葉につられ、ついウリを縦に切ってしまったのです。そのとたん、ウリからはどっと水が流れだし、妻子とミケランはどんどん大きくなる川の両岸に引き離されてしまいました。そして天帝は「娘とは川の両岸に別々に住み、年に一回だけ会うのじゃ」と言い渡しました。やがてミケランが彦星に、2人の子供を連れた天女が織姫星(2人の子供がこと座ε星とζ星。下の写真でいうところのベガの左に縦に並ぶ二つの星のこと)になったと言われています。

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 ちなみに織女、牽牛というのは中国名で、和名は織女星が織姫星、牽牛星が彦星です。

 


    

左が織姫星を従えたこと座。右が彦星を従えたわし座。
わし座の中に見えているモヤモヤとしたのは天の川。位置関係は上の写真を見て下さい。


 

七夕は星の位置関係から生まれた行事であったことから、太陽暦に改暦してしまった現在、来月それを実行してしまうと、いささか無理な行事になってしまいます。明治5年12月3日をもって旧暦(天保歴)から太陽暦に改暦(つまりこの日から明治6年1月1日になった)されて以来、今まであった行事のすべてが1カ月早まってしまいました。そのため、現行の7月7日に七夕祭りを行ってしまうと、主役の星たちはまだ地平線低く、下手をすると隣近所の家の屋根に邪魔をされてみることができないからです。さらにこの時期は梅雨のピークということも手伝って、なかなか七夕の日に晴れを迎えることができません。

 それでも旧暦で行う仙台などの七夕祭りなどはまだマシなほうですが、一般にはクリスマスやバレンタインデーと同じように、本来の意味も薄れ、マスコミに踊らされた行事になりつつあるのは、いささか寂しいものです。

 本来の七夕である星祭りをするならやっぱり、旧暦にするべきでしょう。なぜなら旧暦は月の満ち欠けが基準になっているので、何月だろうと7日なら、伝説に出てくる「つれない舟人」の乗り物である上弦の月も必ず見ることができるからです。
 主役の星に、天の川、そして上弦の月が揃っていて初めて本当の七夕祭りが味わえると言えるのではないでしょうか。
2015年の伝統的七夕は8月20日です。


仙台に続いて有名な平塚の七夕祭りは梅雨の真っ最中に行う。

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