星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

八ヶ岳

 前に勤めていた会社には、良く一緒に山に登る友だちがいた。僕を含めて3人グループで、順繰りに次に登る山を選びだし登るのである。まず最初に僕が選んだのは妙義山で、次郎さんは武尊山、そして今回は阿部さんが選んだ八ヶ岳の本沢温泉。

 当初はこの本沢温泉(日本では第二位の高所にある温泉で、野天風呂としては第一位だという)に漬かって帰ってくるだけの予定でいたのに、「ここまで来たんだから山頂をめざそうよ」という阿部さんの意見から、硫黄岳(2150メートル)の山頂をめざすことにした。
 僕らは小海線の松原湖という駅で待ち合わせをして、そこからバスに乗って稲子湯まで登った。そこに行き着くまでは遅い山里の晩秋を車窓越しに楽しんでいたんだけど、登って2時間ぐらいのところで休憩をした‘しらびそ小屋’から雪が降り出し、山は僕らを冬の世界へと放り込んだ。
 まさかの雪だ。山登りは万全の準備をして登らなければ、時として命に関わる。僕らは「まだ10月だから」と、安易に考えていたのが間違いだったということを改めて教えられたのだ。つまり「もう10月だから」と考えなければならなかった。
 雪は短時間のうちにあたりを白く染めたけど、幸いなことに登山道はほとんどが森の中を通っているから、足場を取られることはなかったので、そこから1時間で目的地である本沢温泉についた。
 温泉があるから冷え切った体を温めるには風情があって、この雪もまんざらではないかもしれないと、風流に考えていたけど、それは間違いだった。というのも、温泉のある場所に行くのに、渡り廊下を通っていかなければならないのであるが、ここがまた吹き抜けの廊下で、横殴りの吹雪が廊下に雪を積もらせている状態だ。それに致命的だったのは、温泉自体がぬるかったという事。
 何でもこの雪は、この辺では初雪ということらしく何の暖房対策もとっていないというのであるから、こっちはたまったものではない。小屋のあちこちに暖房器具が置いてあるにも関わらず、暖房は11月に入ってから使うのがここの決まりだとかいうことで、使わせてもらえなかった。さらに追い打ちをかけたのが食事で、ほとんど冷たく野菜など凍っていた(ロールキャベツなど冷凍状態で、シャーベットでも食べているのかとさえ思ったほど)のには驚かされた…。臨機応変に対処できない宿であったのには呆気にとられて返す言葉もなかった。
 小屋の中はランタンの弱々しい明かりがわずかに灯るだけで、静寂と沈黙に囲まれた夜がこの小屋をさらに包み込んでいる。いっこうに降り止まない雪が、風に流されて周りの木々の葉や梢に当たる。それは容赦なくこの小屋にも吹き付け、どんどん気温を下げてゆく。すきま風など入ってくる感じはないのに、ランタンの灯がときどきゆらゆらと揺れる。ここは山小屋。

 風がどうっとなった。それを合図にして僕らは、ほかの登山客とはずいぶん遅れて小屋を出た。昨日辺りに雪を降らせたのは、ラジオで前線が通過したためだと教えられたけど、その吹雪も僕らが出発する頃にはすでに止んでいて、目の前の山容さえはっきりと見えるほど視界は良好だ。小屋はナナカマドの木に囲まれているので、バックの雪の上に浮き出るように赤い実が鮮やかに見える。僕はしばし目を奪われてしまった。それから歩いている途中、何度もすぎてゆく白樺の木肌が、昨夜の吹雪にさらされてしまったのか、若木のように艶っぽく見えた。
 登り初めて1時間ほどの所で、夏沢峠を境に昨日通過した前線の足跡を見ることができた。西側の斜面は真っ白な樹氷におおわれ、反対に東側の斜面はまだ晩秋の眺めが色濃く残っていたのである。しかも僕らが立っている峠の稜線を境にして右と左に。自然の悪戯とはいえ、こうもはっきりと境をつけるなんて、どうにも不思議としか言いようがない光景だった。そして僕らが登ってきた登山道を見おろすと、後から登ってくる人たちが、森の中に小さな点となって見ることができた(ウエアーは、何かあったら目立つようにと、ハデな色でできているから山の色とのコントラストがはっきりわかる)。山の中に身を置くとき、人間の小ささを実感できる瞬間だ。
 ようやく山頂に着くと、僕らは避難小屋に入り込み、しばし体を休めた。阿部さんがコーヒーを湧かしてくれ、冷え切ったからだがわずかに暖まった。しかし、体が暖まったのは、このコーヒーのせいだけではない。先陣たちが残してくれた計り知れない思いやりが、この小屋に温もりとして残っているからだ。

硫黄岳山頂に立つ

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