星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

〜 冬の小品集 〜


〜 どんぐり 〜

 この時期の太陽は南に大きく傾いているから、容赦なく部屋に入り込んでくる。こんな日は遅くまで寝てようと思って布団のぬくもりに抱かれていても、大抵は暑さに根負けして起きる羽目になってしまうが、今日はポカポカする太陽以外にも、ビュ~ビュ~とうなりを立てる風の音で目が覚めた。近くの鉄塔をすり抜ける風が自分の力を誇張するかのように音を立てていくもんだから、おちおち寝てもいられない。

 さて今日は天気予報もはずれ秋晴れの青い空が頭の上にあった。昨日のサザンクロスで見た星空も今朝まで続いてくれていて、それが日中にも及んでものだから、まさに今日は小春日和になってくれていた。

 先週の木曜日に“木枯らし1号”が吹いてから、めっきり秋めいてしまったような気になってしまうが、実はそんなことはなく、ずいぶん前から陽は短くなっていたし、虫もあまり鳴かないし、星空の方だって冬の星座たちが東の空に足を架けるようになっている。探せばいくらだって秋の色は見つけられる。

 特に今日はなんの予定も入っていなかったから、「こんな日ぐらいは“読書の秋”でもしてみようか…」と思っていたけど、僕の性格からいって、窓越しに見える青空を眺めながら静かに読書にふけることもできず、とうとうマウンテンバイクを整備して、このあたりでもまだ行ったことのない小径を散策してみようと思った。というのも、この間ひょんなことから迷い込んだ佐倉周辺の城下町に魅せられてしまったからである。

 冷たい空気を切りながら、熊野神社で狛犬をしげしげと眺めていたら、あちこちでガサッガサッといったような音がしているのに気づいた。はじめのうちは特に気にしていなかったが、どうやらその音に囲まれているようだったから耳をそばだててみると、足下に黒いモノが転がっているのが見えた。しばらくじっと見ていると、その音に合わせてドングリが転がってくる。「なぁ~んだ、ドングリか…」と思ったとたん、僕の頭の上にドングリがひとつ落ちてきた…。



〜 つる座 〜
 今頃の星空で僕がいつも気にかけているのは、南天の空低く見えているはずの“つる座”である。この星座は日本では南天の星座として紹介されているので、全体が見えるわけではなく、地平線にずっとずっと低く、それこそ地面すれすれに上半身を現すふたつの星α星とβ星だけしか姿をあらわさない星座だ。

 もうだいぶ前のことになるけど、“みなみのひとつぼし”が昇る頃、このつる座のふたつの星が地平線に沿って仲良く輝く姿を見つけては、秋が深まってゆくのを感じたし、なによりも“遠い南天の空”に思いを馳せることで、この星座が作られた“遠い時代”へとつながっていくように思われた。ちょうどこの時期はススキの黒いシルエットがそよ風に揺れて見え、その向こうに見え隠れする鶴の姿を見ると、なんともいえぬ心地良さに浸れるのを、秋の夜長の楽しみにしていたのである。

 しかし、そんなつる座のふたつの星も、遠い昔に創られた如く、なんだか手の届かないところに行きかけているような気がしてならない。南極老人星と比べるとはるかに見やすい高さなのに、今ではつる座を見つけることの方が難しくなってしまったようだ。

 今日もこの星座を見つけるべく、地平線の開けたところまで来たのに、風にそよぐススキのシルエットだけがハッキリと見える以外、いつまで待っても鶴は飛び立ってくれなかった。



〜 冬 〜
 昨日は夜の帳が降りきってからすぐに雨が降りだした。幸いここでは雪に変わることはなかったけれど、今朝ふとんの温もりの中から抜け出してテレビを見ると、各地で初雪になったという。ブラウン管からは雪化粧の景色が次々と映し出され、ヒーターの前でぬくぬくしているにも関わらず、身震いがする思いだ。窓越しに見える空の色も、今年一番の青さじゃないだろうかと思わせた。

 昨日の雨と風で、街路樹のイチョウの葉がきれいに落とされていた。今や丸裸の木が道路に沿って続いているだけになってしまったが、僕はその木の下から仰ぎ見る青空の色に冬の到来を感じずにはいられない。

 昼過ぎになって窓がガタガタいうようになったので、しばらく乗っていなかったマウンテンバイクを出して内黒田に広がる谷津田に行った。北風が枯れた雑木林の間を足早に通り過ぎていく。背の高い木の上の方では、まるで口笛でも吹き鳴らして自分の存在を知らせるかのように、木枯らしが渡っていくのが見えた。乾いた風の音は、家の中で聞くとなんだか寂しげに聞こえて、それだけで家の中に閉じこもってしまうけど、外でこの音を聞くと逆に暖かくなってくる。冬の第一陣に間にあったようだ。


〜 北風の見たもの 〜
 地元の公民館での観察会の帰り道、音もなく北風が車の前を横切った。さっきまで何十人という人たちと一緒に星座の間を歩き回っていたから、車の中がしんと静まり返っているぶん、まだ喚声が耳に残っているようだった。しかし、枯葉が車の前で舞っているのを見たときには喚声が消え失せ、今度は乾いた北風の音を聞いたような気がした。

 フロントガラス越しのヘッドライトに照らされた道路が、無声映画のスクリーンのように見える。僕が車を止めてウインドウを下ろしたとたん、わずかな隙間から北風が枯葉と踊るカラカラという乾いた音が耳に届いた。


〜 雨の音 〜
 乾燥した日が続いたあとで恵みの雨が降った。出勤前の夕方近くになって、パラパラと雨が降りだしたと思っていたら、そのまま本降りになってしまった。

 傘をさしながらの自転車漕ぎは不安定な片手運転になるのと、ハンドルを持つ手に雨が当たるのであまり気持ちの良いものではない。転ばないように、傘が飛ばされないように気遣いながらも公園の下にさしかかると、それまで聞こえていた雨の音が妙に暖かい音に聞こえてきた。

 自転車を止めて傘をどけてみると、木々が雨を受け止めてくれているのが見えた。「なるほど、人工物の傘なんかに跳ねっ返るよりも雨のほうも嬉しいに違いない」そんなことをぼんやり考えながらその場を離れると、傘に当たる雨の音が大きくなった。「こんなにも雨の当たる音だけで雰囲気が変わるもんなんだなぁ」と思って、今度は意識して耳を澄ましてみた。すると不思議なことに、今度はホコリとキズだらけのレコード盤に耳を傾けているような音が聞こえてきた。

 そんな懐かしい思い出に浸りながら物井駅にたどり着くと、駅舎の屋根に当たる雨音が妙に無機質で冷たい音に聞こえてきたので我に返った。街灯に照らし出された空間に映し出される雨の姿を見てみると、思った以上に雨足が強まってきていたようだ。



〜 夕暮れ 〜
 僕は週に何度か夜勤をしている都合上(通勤通学をしている方なら誰でもそうだろうけど)、いつもの時間にいつものコースを自転車を漕いで、近所の中央公園の中を走り抜けて最寄り駅に行く。このコースには、ちょうど西の空に向かって背の高い木が空を覆っているので、夕焼け空にシルエットを映す絵画のような美しい姿を見ることができる(一瞬時間さえ忘れてしまうほどうっとりときてしまうシーンなので、気をつけないと電車に乗り遅れてしまう危険性もある)。これがまたあの木を思い出させるので、僕はこのコースを通って時間をかけてまで駅に行くのがお気に入りなのである(念のため断っておくが、一応バスは走っている)。

 今頃は自転車を漕ぐ手が張り裂けそうになるほど冷たい空気を切って走らなければならないけど、僕はこの感覚がたまらなく好きだ。だからあまり手袋をしない。星を見るときと同じで、寒い中で星空を散歩するのも楽しみのうちだから、せっかく冬を感じるチャンスだというのに、手袋で冬の感触を遮ってしまうというのはもったいないと思うからだ。

 冬といっても冬至をすぎると、だんだん春の日に向けて日照時間が長くなり始める。だから同じ時間に自転車を漕いでいると、毎日の夕焼け空の明るさの違いに気が付くほど、日に日に明るくなっていくのがわかる。冬の寒さはこれからがもっとも厳しくなっていく頃なのに、空はそろそろと春を迎える準備を始めたようだ。


〜 星が見ていた話 〜
 月に一度ぐらいは成田勤務ではなく、本社のある都内へ出勤することがある。当然出勤時間が早いので目覚ましを止める頃はまだ夜明けを迎える前だ。朝の準備をしている間に時間は普段よりも2倍近いスピードで進み、あっという間にぬくい家を出なければならなくなってしまう。

 玄関の真っ正面に筑波山が見える日は凛とした空気が静止していて、まるで水の中にでもいるような感覚がある。そこに北風が吹いていれば秩父連山まで見え、こんな日は得した気分になるから(早起きは三文の得)気持ちがいい。今日の筑波山は黒々と湿っぽい表情をしていた。

 本社勤務の時は「おのぼりさん」状態になるので、退社のあとはあちこちと廻ってみる。今日は神田の古本屋街をブラブラするつもりで神保町の駅から地上に上がってくると、すっかり夜の帳が広告塔に仕事を与え、空が暗いばかりで華やかな繁華街になっていた。わずかな空に目を滑らせると頭上には木星だけがこちらを見ていた。こんな喧騒とした都会の中で木星などの穏やかな星の姿を見つけると、一瞬だけホッと我に返る。

 夜半前に家に着き、星の輝きを気にしていたら「今日は星がキレイだよ」と家人に教えて貰う。昨晩の天気予報で言っていた西高東低の気圧配置が北風を送ってくれたおかげで、今朝から地平線の彼方まで見渡せた。風呂から上がってベランダから夜景を見ると、ユラユラ見える京葉工業地帯の夜景の上に何とカノープスがいた。
 「ええ~!?あれが?」と思えるほどに明るく、そして向かいのマンションよりも高いところに架かっているのでなおさら疑ってかかってしまった。しかし、目を上に移して、ギラギラとその名前の由来となった姿を見せつけるシリウスが「アレは本物だよ」と言ってくれた。



〜 冬の散歩道 〜

 冬の日差しが、葉をすっかり落とした林を通り抜け、梢を渡る北風に道を譲りながら長い影を足下に落としてきた。わずかな空気の温もりは自分の役目を終えようとして、西の地平線へ足早に消えてゆく主に引っ張られて夜の帳の中に消えてゆく。短い冬の日のぬくもりを味わおうと散歩に出ても、そんな日差しの中では時間の感覚を無くしてしまうことがある。ぬくもりの感覚からすると「すっかり夕方なのかしらん」と思って時計に目をやると、まだ14時前だったりすることがあって、今の時期は毎年冬の日差しに騙されている。

 梢の間に見える青空が冷たい空気と触れあって気持ちよい。





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