気がついたら「セミが鳴かなくなったなぁ」とか、「そういえば秋の虫が鳴いてないなぁ」なんて思うと、季節が変わっていたなんてことがよくあった。
 冬枯れの、何となく寂しい山とか雑木林なんかを歩いていても、やっぱり家の温もりが懐かしくなって、自然と対話をすることも忘れてしまい、ついつい足早に通り抜けようとしてしまう。小径に墜ちた枯葉のカサカサなる音に、ハッと気がついて「何しにここへ来たんだろう。日頃の疲れを癒しに来たんじゃないか」って自分自身に言い聞かせ、ポケットにしまい込んでいた両手を出して、肩の力を抜いてみた。すると、さっきまでは木枯らしが梢を抜けていく音や、枯れ落ちた葉の上を歩く自分の足音とか、殺風景な音しか聞こえてこなかったのに、今度は野鳥のさえずりやら、キツツキ(コゲラ)が木をこつこつ叩く音とかが耳に入ってきた。そして、寒い寒いと思って肩に力を入れていたときよりも、体が暖かくなってくるから不思議でならない。
 何も自然に囲まれて暮らしていなくても、自分自身の中に自然に対する思いやりの気持ちをしまっておく心の余裕があれば、たとえ都会で暮らしていても五感を働かせて、目や耳を傾ければ、季節の移り変わりを読みとることはできる。だからこそ僕は、そういった気持ちを大切にしていきたいと思う。

 昨晩の帰り道、家の屋根の上にいるぎょしゃ座のカペラが、ぼくの心に合わせたかのように気忙しくチカチカまたたいているのが見えた。ぼくは歩くのをやめ、星空を仰ぎ見た。オリオンもふたごの星々もまたたいている。仕事仕事で忙しいと言っている間にも、北風は電線を震わせながら、冬をつれてきていた。
 星のまたたくリズムをわざとずらすようにしてゆっくり歩き出すと、それまで見えなかった冬の星座たちがたくさん見えてきた。