星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

 物干し竿から滴る雨粒が、はじめのうちはレントよりも遅く雨音を奏でていたのに、今では雷鳴とともにそのリズムはしだいにピッチをあげていくばかりだ。木曾の山奥の、今では観光地として有名になった妻籠宿の“大吉”という名の宿をとり、雷が通りすぎるのを待った。
 部屋を真っ暗のままにして、ときどき閃くときにだけ姿を見せる山々の黒いシルエットを眺めていると、「この辺では夕立が多くてね、毎日こうなんですよ。でも明日は晴れますよ」と、廊下のほうから他の宿泊客に説明するお母さんの話す声が聞こえてきた。明日はここ妻籠から、旧中山道を歩いて馬籠宿まで行くつもりだったから、お母さんのように地元に住んでいる人の一言は、ずいぶん僕の不安をやわらげてくれた。
 翌朝はお母さんの案じてくれとおりの快晴で、朝食のあと僕の部屋だった土筆の間からしばらくの間、濃い青空と深い緑に抱かれた山とのコントラストを眺めていた。昨晩見せていた、人を近づかせないような幽鬼な姿とはちがい、何もかもやさしく包み込んでくれそうな、懐の深い表情をしている。
 そんな風景や自然の姿は、それを見ている人の感情によって左右されるのではないだろうか。だから、今の僕はそうとう穏やかな気持ちになっている。これだけのどかな景色を見ているんだから、そうならないほうがおかしいと思うが…。時間のたつのが気にならないのは、ヒバリをはじめとする野鳥のさえずりや田圃にひかれた用水路を流れる水が絶えることなく流れ続け、その音を耳にしているからだろうか。

 出発前、玄関先でお母さんと立ち話をしていると、エプロン姿のお父さんがでてきてくれて、しばらくの間3人で立ち話をした。お父さんの姿と話を聞いていると、どうやら食事の支度におわれてほとんど泊まりに来てくれる人と顔を合わせることがないという。いわれてみればお父さんの顔を見るのは今朝の、このときが初めてだった。
 僕がこれからの日程を話すと、話題はお母さんが学生時代に尾瀬に行ったときの話にまで及び、その話を隣でニコニコしながら「うん、うん」とうなずくだけのお父さんの表情を見ていると、「この二人の人柄が宿の雰囲気になっているんだなぁ」と思わずにはいられないほど、仲が良かった。

 後ろ髪を引かれるような思いで宿を離れ、いよいよ碧い空をめざすような心持ちで馬籠峠越えだ。途中男滝、女滝(宮本武蔵が修行したといわれる沢)の前の沢で足を休めていると、キセキレイが僕のことを恐れずに近寄ってきて、澄んだ声が沢に響きわたるように唄ってくれた。

 昨日の南木曾から山間に歩いた旧中山道も、この馬籠峠も初めて歩く道のはずなのに、ものすごく懐かしい気がした。木曾に来たのはもちろん初めてだけど、ずっと昔に見たことがあるような風景ばかりのような気がした。それは、僕の体に宿る何かが遠い昔を懐かしがっているようだった。



スクラップブック木曾路(熊本観光サイト)

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