任海さんから「成山界隈がすっかり丸裸になって、星がきれいに見えるから写真にいかがですか」というメールをもらった。最近夕焼け空の中に目立つ存在になってきた“宵の明星”金星が、高おかみ神社の上に輝く構図を想像して、この両者を一緒に写そうかと思い頃合いを見計らってみた。近々(2月23日)、昨年の4月に早朝の東天に金星と木星の明るい惑星同士のランデブーが、今度は宵の西天で見られるので、これを狙ってやろうと思った。ギリシアの神々が日本の神を奉った神社の上に並ぶ姿を想像した。まさに神々の饗宴である。久しぶりに行く成山へは日の入りなどの頃合いを見て車を走らせた。
開発の波がものすごい速さで押し寄せてくるところなど何度も経験して慣れているはずなのに、通称“波乗りロード”を走って驚いてしまった。四街道の中でも森の深さと神秘さのどれをとっても他に例を見ない成山が、遙か彼方まで丸見えだったからだ。あれほど深かった森も、今や数分で駆け抜けられそうなほど均されてしまっている。かつてはここを歩いてみて「迷ったら出てこれんだろうなぁ」などと思ったこともあった森も、こうやって何もない乾いた地面だけを見ていると「意外と狭かったんだな」と思い、別な意味で感心してしまった。
自然が森を作り上げるのに人ひとりの人生では短すぎる、しかし人間が森を切り倒すのにどれだけの時間が必要なんだろうか。そんなことを考えながら周囲が変わっても取り残された神社の中に入れば前と変わらぬ雰囲気だろうと、葉ずれの間から漏れる空の明るさ以外はまるで闇夜のような境内を歩いてまた驚いた。静かな木立はほど遠く、四方から車の音、土をえぐる音、飛行機の音が飛び交っている…。そして神社と共に成長してきた仲間が残されていない現実を冷たい風に教えられた。
しばらくすると境内にうっすらと染み込んでいた夕闇も引き上げ、夜が当たりを包み込もうとしている気配がする。冷たくピンと張った空気だけはいつもと変わらない冬の匂いを漂わせていた。いくら神社のまわりに木々が残っていようと、隙間だらけの木立の間から乾燥した成山荒野を吹き抜けた風が入ってくる。さむいさむい。こんな寒い高おかみ神社は初めてだ。森や神社の境内に入るといつだって暖かい温もりを感じたのに、この寒さは一体どこからやってくるんだろう。少なくとも冷たい北風や木枯らしが木々を揺さぶってヒューヒュー唄っていても、その風に季節を感じても寒さは感じなかったのに。
「迷信が恐ろしくて神社の(たかだか2〜3メートル)まわりの木々だけは残してみました」という印象の神社を遠目で見るために、かつては藪漕ぎをして入った森の跡地へ行ってみると、どこからともなくモズがそばに寄ってきてギリギリ鳴きながら長いオッポをぐるぐる回して僕を威嚇する。彼らの棲家や餌場を奪った同じ人間が来たから、これ以上来るなという意味もあるんだろうか。僕が神社に沿って移動しながら撮影ポイントを探していると、彼もまたつかず離れずの距離を保ってついてくる。あてのない風と一緒に。
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