山の段々な斜面に敷かれた水田一枚一枚に月影が映るという『田毎の月』は、普通天界で繰り広げられる天文現象とはちがい、日本人が生んだ地上の天文現象といえ、何ともいえない幽邃な趣を感じさせる。僕は藤井旭さんの書いたエッセイでその存在を知ったけれど、その本自体がガイドブックという内容のものではなかったから、場所がわからず、子供の頃からずっと見てみたい光景だった。
 お月見が目当てだったから、当然月が昇ってこなければ問題にならないわけで、あまりはやくから行っていても時間を持て余すだけだから、午前中はそこからひと山向こうにある安曇野あたりを散策して時間をつぶした。
 レンタサイクルを借りて大王わさび農場に行ったり、穂高の山々に見守られるように安置されている道祖神めぐりなんかをして安曇野めぐりを十分楽しんだつもりで目的地に向かったのに、それでもかなり早く姨捨山-おばすてやま-(正確には冠着山-かむきりやま-)に着いてしまった。

 松本と長野の山間を結ぶ篠ノ井線の途中にある姨捨山は、“日本三大車窓展望”と称される善光寺平が一望できる場所としても知られているだけあって、列車がトンネルを抜け出たとたん車窓いっぱいに広がる善光寺平は、その名に恥じない景観を見せてくれた。
 そのわりに姨捨駅の周辺は、自動販売機のほかに商店などもなく、お月見以外に取り立ててなんの予定も立ててこなかったから、余った時間や食事をどうしようかと深刻に考えてしまうほどだった。とりあえずは何もすることもなかったので、『田毎の月』の句境で有名な長楽寺を探しがてら、その辺を散策することにした。
 この辺の道は、急斜面の段々畑に沿って敷かれているから、どこかに行くには上がるか下がるかしかなく、地元に住んでいる人の体力には、ただただ感服するのみ。
 そんな地形だから、ここの土地になれていない僕にとってはつらく、ことあるごとに駅に戻っては待合い室のベンチで休んでいたので、売店と改札を兼ねていたおばあさんが「さっきからたびたび何しに来とんのじゃ?」と、怪訝そうな表情を僕のほうにむけてくれた。
 ようやくみつけた長楽寺の境内にはここ信州が生んだ歌人小林一茶の、“信濃では月と佛と おらがそば”や、松尾芭蕉の“おもかげや おばひとり泣く 月の友”といった句碑をはじめ、数多くの歌碑がたたずみ、歌人たちにとってもここの名月が、いかに風情があるのかを物語っていた。そしてこれらの歌碑に囲まれるように姨捨伝説の名残の巨大な“姨岩”がそびえていた。
 僕はその岩に見守られながら名月を呼んだ句碑を一つ一つ読み、そこから僕なりの田毎に映る月影を想像してみた。
 そんなことをしているうちに、あたりがそろそろ薄暗くなってきたので、観月堂の横に座っている姨岩に登ってみると、すでに頭上には霞がかった月がかかっていた。期待を込めてのぞき込んだ僕の眼下に広がっていたのは、田毎に映る月影ではなく、善光寺平いっぱいに散りばめられた色とりどりのネオンだった。駅付近の段々畑には水が引いてあったから、「これなら見られるなぁ」なんて思っていたのに、肝心の月影を映す四十八枚田にはまだ水を引いていないようだった。
「この夜景にはどれぐらいの値段がつくんだろう…」などと、ぼんやり考えながら暗くなってゆく様子を眺めていたら、あまりにも敷き詰められたネオンの絨毯の、その真ん中をゆうゆうと流れている千曲川が、妙に黒々と、まるで大蛇が横たわっているかのように、ハッキリと浮かび上がってきた。