東北は下北半島。
ずっとずっと北の果て。
僕たち関東やそれよりも西の地に住む人にとっては‘最果ての地’というイメージがつきまとう。そしてどんよりと曇った灰色の空。僕が旅の計画を立てていた頃から「曇りか雨になってくれた方がイメージ的にはぴったりだなぁ」と思いつつ出かけた場所でもある。
上野駅から寝台特急‘はくつる’に乗って、下北半島の入口となる野辺地へと向かう。そこから大湊線に乗り換えたが、まだ早朝ということもあってひんやりとした空気が漂う駅には人の気配はなかった。
ローカルな2両電車に乗り込み自分の場所を確保すると、なんだかホッとして、ようやく白味始めた車窓に目をやることができた。電車は海岸線をずっと走っていたが、海が目前に迫ったとき、今自分が目にしている光景に驚いて、思わず他のお客さんにそのことをを話したい衝動に駆られてしまった。というのも、上空から見ているわけではないのに、ハッキリと自分のいる場所が地図上で「ここ」と指させる所にいることに気づいたからだ。僕はまさしく下北半島の斧の付け根の部分にいる。
それでもその衝動をどうにか抑えたところで、今度は僕の目に今回の旅で出逢う様々な出来事を予感するような光景が飛び込んできた。つまり「時間なんて気にしないでゆっくり行こう」(特に今回は交通の便が悪そうだったから、いつになく綿密な行動表を作っていた)ということだ。
僕が下北半島の付け根にいることを実感して感動に浸っているそのとき、ひとつ目の駅に止まった列車がゆっくりと動き出した。ここに居合わせる多くの乗客にとっては毎日繰り返される光景。僕がこうしてのんびりと構えながら車窓に次々と映し出される光景に目を泳がせていると、一人の高校生が列車と平行に駆けているのが見えた。僕は「あぁ彼は遅刻だなぁ。この後しばらく列車はないし…」と、時計に目をやっていると、なんと列車は速度を緩め駅を離れているにも関わらず、そのまま停車してしまったのだ。
車掌さんは通常の扉を開けず車掌室の扉を開け、その少年に手を差し出して彼を乗車させた。彼がこちらの車両にくると、同級生であろう友だち数人に体中をたたかれながらも「イェーイ」とか言いながら照れ笑いしている。「なんとまぁ心温まる光景だろう」と、先ほどとは違う感動に心が暖かくなった。僕がずっと抱いていた下北半島のイメージとはほど遠い光景を目の当たりにして、これから僕が行く先々では一体どんな「イメージ通り」と「期待はずれ」を目にすることが出来るんだろうと、楽しみで仕方がなかった。
当初は恐山 に行って来ようと思って立てていた下北めぐりの予定も、田名部の駅前で出発待ちをしている恐山行きのバスのデッキに足を掛けたところで、あっさり辞めてバスから離れてしまった。というのも車内の椅子に腰をかけていた御老人全員から、バスに乗り込もうとしたとたん、ジロリと異様な目つきで睨まれてしまったからだ。そのとき一体何個の眼に見つめられたんだろう。はっきり言って恐かった。場所が場所だけに、僕もそれなりの覚悟を決めて出てきたにもかかわらず、「これじゃあ着くまでもたないなぁ」と諦めてしまったわけである。
予定を変更するのも計画のうちだったので、僕は迷わず尻屋崎へと向かった。ここには寒立馬という野生馬がいる。以前写真集で、この寒立馬が厳寒の中、白い息を吐きながら寒さに耐えている一コマを見つけ、どうしても本物とその場の空気の中に身を置いてみたくて、ずっと前から行きたいと思っていたので、恐山を簡単に諦めることができたのである。
尻屋崎行きのバス停は人気がなく、恐山行きのそれと比べると僕以外におじさんが一人乗っているだけだった。その乗客もふたつ目の停留所(市街を抜けきる前に)で降りてしまい、僕一人が尻屋崎に向かっている。周辺の景色からはどんどん建物が消え、枯れた牧草地の中を海岸沿いに走る。そうこうしているうちに尻屋崎入口について、バスの運ちゃんに「ここだよ」と降りることを催促された。そこから尻屋崎までは3 キロ近く歩かなければならない。「(季節柄)もう終わりだし灯台にある売店も閉まっているのに行くのか?」と聞かれ「はい」と答えたものの、何かお休み処でもやっているだろうと思って来たのにバスの運ちゃんの一言でなんだか行く気がなくなった。それでも恐山を捨ててここまで来たのだから、是が非でも行かなければ。それに野生馬らしい馬も見ていないし…。
だんだん風が強くなってきた。
急いで行っても帰りのバスが3 時間は来ないのでトボトボ歩くと、途中で道の補修作業をしているおばさんが遠目に見えた。なんだか一心不乱に路肩のブロックの補修をしていたので、声を掛けるタイミングを失ってしまったが、こんな風が強くて他に誰も作業していないのに働くその姿は、この地にあって寂しげに見えたし、また力強くもあった。
『本州最涯地の碑』は尻屋崎の発端にあって、その先は荒れ狂う白波が立っている。駅のパンフレットを見る限りでは、夏は海水浴などの観光地になるらしいが、僕が立っているここは、それとはかけ離れた、まさに最涯地と呼ぶにふさわしい表情をしていた。休むことを知らない横殴りの風が、僕のカバンを運び去ろうと必死になっている。
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