殺生石

 「あっ、あそこに看板が立っているよ」と、助手席にいる藤枝君の指さす方向に目をやると、殺伐とした灰色の地面にごつごつとした岩石が転がっている景色が見えた。運転中だったので一瞬しか目を向けることができなかったけど“賽の河原”と呼ばれる独特の地形が僕の目にははっきりと映った。
 専用の駐車場に車を止めて外に出てみると、あまりの寒さに二人とも驚いて、慌てて上着を羽織ったというのに、浴衣姿の人があちこちに何人もいて、また驚いた。ここが那須湯本の温泉街の中心だということはわかるが、吐く息が真っ白になるほど寒いというのに、良くもまぁあんな格好でいられるもんだと、二人で呆れ返った。
 ここにつく前から温泉特有の硫黄の臭いが車内の中にも漂っていたが、車を降りたとたんには頭が痛くなるような気分も悪くなるほどの臭いが鼻をついた。
 今にも雨が降り出しそうな空を気にしながら“殺生石240m”という案内板に従って賽の川原を歩いた。そこの真ん中を流れている川は、湯川という名の通り川の水から湯気が上がっているところを見ると、温泉が流れているようで、いかにもここから湧き出しているといった光景だ。
 初めは殺生石だと思っていたグロテスクな姿の大岩は、盲蛇石という名の岩で主役ではなかった。しかしその周辺には湯ノ花という硫黄の固まりが吹き出した痕が不気味で、その姿には、たとえ殺生石でないということがわかったところで、決して存在感のなくなってしまう岩というのではなく、やはりここでは異彩を放っている。
 賽の河原という名の付いたところは全国的にどこも同じような風景だけど、ここは千体地蔵が安置しているおかげで、さらに異様な光景をさらしている。自分の顔よりも大きな手を合わせて祈る姿が何を意味しているのかわからないけど、一体一体の表情は穏やかだ。
 さらに川原を突き進んでいくと、その行き着く先にお目当ての殺生石がいた。もう何百年ここにいるのだろうか?松尾芭蕉もこの岩を訪ねているし、さらにそれよりも昔からあることは確かだ。芭蕉が見たときと比べると、この岩はどれぐらい風化しているのだろう。
 伝説さえなければ、ただのあれ果てた土手に岩がゴロゴロしているぐらいにしか見えないけど、“九尾の狐”という奇怪な伝説がまつわっているだけに近づきがたい雰囲気が漂っているのは十分に感じる。だから一度憶えてしまうと、遠くから探してみても「あれが殺生石だ」と一目で見てわかるほどで、足下にいる観光客なんかと比較すると、その大きさには圧倒されてしまうほどの姿をしている(現に何年か経ってやってきたときに、駐車場に入る前から一緒にいた友人に「あの奥のでかいヤツがそうだよ」と教えられたほどだから)。
 とにかく、いつものように天候には恵まれなかったけど、九尾の狐や賽の河原といったイメージからは、今日みたいにどんよりとした、今にも雨が降って来そうな灰色の空がよく似合う…。