星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)

奥のほそみち

 本当に「ふっ」と思い立ち遠野へ行くことにした。

 およそ10年ぶりになる遠野へと思いが馳せたのだ。更に今回は15日までに帰ってこられれば自由に時間が使えたので、電車ではなく自動車で、しかも高速道路も使わずに下の道(国道など)のみを走るつもりで計画を立てることにした。

 なにも現代の、スピード時代にわざわざ時間をかけて行かなくたって、あっという間に日本列島を縦断できてしまうご時勢である。それをあえて時間がかかるようにしたのは、遠野が僕にとって特別な場所ということもあるし、遠野という場所がどれほど僕から離れて存在しているかということを確認したかったからに他ならない。だから僕が「遠野まで24時間かけて車で行って来たよ」と言うと、ほとんどの人が呆気にとられたような「よくやるわぁ」という表情を見せてくれた。しかし、誰に何といわれようと、心に深くしまってある風景を糸もたやすく引っぱり出すことはしたくないのである。つまり、移動時間がもったいないからといって、瞬間移動という手段はとりたくないのだ。そこに辿り着くまでの時間がすでに旅の始まりであって、その旅の半分以上の楽しみを含んでいると思う。





 地図(2万5千分の1)をめくると、僕のいる千葉からは4ページも先になってようやく遠野という地名を発見することができた。そんなにも遠かった場所なのかと改めて思い直してみたものの、すでに思いは遠野の懐かしい風景の中にいたので、たとえ何日掛かろうとも、その気持ちのぐらつきは全く頭をもたげることはなかった。

 国道6号線を北に走り宮城県に入ってからは4号線に乗り換える。かつて訪れたことのある仙台市街は、歩きだった。今回は自動車のフロントガラス越しに景色が目に入ってくる。しばらくすると“松島”という看板を見かけ、急遽その松島に会いたくなって45号線に乗り換えた。
  すでに夜中の1時を回っていたが夜の松島はこれで2度目のことになる。以前は夜行列車の車窓から仙台火力発電所の赤々と燃えさかるフレアスタッグの空の下に何とかシルエットだけを見ることができたのに、今回は黒い闇の中に時々白く割ける波頭が見えるだけで、その存在を見せてはくれなかった。そのかわり何度か歩いた通りや過剰とも思える土産物屋の看板なんかがめざましく通り過ぎ、「松島という観光地はここですよ」と肩代わりしてくれたようだった。

 それにしても以前ここを歩いたときに、まさかこんな夜中に車でこの通りを走り抜けるなんてことは思いもよらぬことだっただろう。懐かしい風景がフロントガラス越しに流れていった。



 今までの旅と違う点は、すべての風景を目に焼き付けながら目的地に向かわなければならないということだろうか。便利な電車や飛行機、またはバスにしても目的地までは他人任せの乗り物に乗っているから、眠たくなったら寝てしまえばいいし、時間が食い尽くせなくなったら友達としゃべったり本を読んだりして気を紛らせることができた。しかも意識をしなくても体は勝手に目的地へと確実に運ばれていくのである。ある意味、時間も空間も超えた便利な旅行だと思う。




 今回は通り過ぎる風景、町や村、山や海などのすべてをこの目に焼き付けながら先に進まなけらばならなかった。「寝てしまったら最後…」なんて言わなくてもわかってもらえるだろうが…。
 近距離ならいざ知らず、およそ600キロ近く離れた里に行くのに一体いくつの町やら峠を越えていったんだろう。芭蕉の偉業には遠く及ばないが、ひとつひとつの町がルームミラー越しに通り過ぎるのを見るたびに、車という脚を使ってはいるものの、陸奥を歩いて渡った芭蕉の心に少しでも触れることができるような気がして、気持ちが高ぶるばかりでいっこうに睡魔などに苛まれなかった。

 それにしてもどこまで行っても人家があるのには驚かされる。眠らない町も多く、時間の感覚がわからない風景にいくつか会った。国道を走っていったからなのかもしれないけど、“町”は寝ているが“街”は起きている。そして“村”では、まだ夜が明け切らぬうちから畑仕事をするための火をチラチラ 残していた。そこら辺の風景が次から次へと通り過ぎていくのを見つけだすのも、今回の旅のおもしろさだろう。



 行きと帰りに一回ずつ国道脇のドライブインで車を休め、ついでに目と体もつきあった。大型トラックに挟まれて仮眠を取る。こんなこともあろうかと毛布と枕を持っていったのだが、東北の夜は思った以上に寒く、特に車の中は暖房を入れないと毛布を掛けていても寒くて寝た気がしないほどだった…。寒くて眠れないというのと、角度の着いたイスで安眠しようといろいろ体の位置を変えているうちにそろそろ東の空が白味始め町も起き出す準備を始めたようだ。

次へ「笛吹峠」



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