オンネトー

 「ここのはイタズラ者だからねぇ」突然のスコールでずぶぬれになって店に入り込んだ僕の姿を見て、食堂のおばちゃんは言った。

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 オンネトーというアイヌ語のままの湖は、今でこそ北海道巡りの人気コースになって、それこそ大型の観光バスが何台も行き来できるようになってしまった。しかし僕がここを訪れた10年以上も昔、この地を訪れるためには、それなりの覚悟が要求された。それなりの覚悟というのはヒグマの出没する地帯に潜入するから、「もしも出会ってしまったら」ということだ。しかも案内表示板のない林道に逸れ、途中路肩が崩れた悪路を対向車とギリギリにすれ違い、肝を冷やしながら「本当にこの先に湖があるんだろうか」と、ヒグマの出現の恐怖と道に迷ったんじゃぁという不安を抱えながらハンドルを握りしめていたことを思い出す。一緒に同行した母などは助手席に座ってガイドブックを眺めながら「フンフ〜ン」などと鼻歌交じりでいい気なもんである。

 北海道の中でも秘境のひとつとされるこの小さな湖は、湖面の色が空模様によっては何色にも変化するというのが売りだった。そして僕がもっとも興味をそそられたのは、夜になると鏡のように静まり返った湖面に星空がそっくり映し出される湖といううたい文句だった。僕が飛び込んだ食堂の壁にも、湖面に映し出される星空のことが大々的に宣伝してあった。


 この湖は一周が約3キロというので、この周辺にある店としては唯一の食堂の駐車場に車を止めさせてもらって、“オンネトー一周ツアー”としゃれ込んだ。しかし食堂の裏手にまわったところで、出鼻をくじかれてしまった。なんとキタキツネの惨殺死体に出くわしてしまったのでる。

 “ヒグマに注意”という看板の呼びかけは目に入っていたが、まさかこんな人里(食堂しかないので「人里」というのかはともかく)近くに出没するもんかとタカをくくっていたら、いきなりヒグマに襲われたとしか思えないようなキタキツネの死体が道ばたに転がっていたのである。

一緒にいた母に「やめとく?」と聞くと、「そんなこたぁ、知ったこっちゃない」と言わんばかりの表情で、「早く行きなさいよ。後がつかえてんだから」と小手先でシッシッと急かされてしまった。
 正直言って僕は行きたくなかったのだが、母のこの肝っ玉に押されてしまったので、仕方なしに先頭に立って歩き出すしかなかった。
 さすがにヒグマのことを考えると思うように楽しめない。しかし母はまったく動じないといった感じで

「あっらぁ〜。このミズバショウの葉っぱ大っきいわねぇ〜」とか言って、一人だけのうのうと楽しんでいるようだ、まるで先ほどの事件(?)なんて気にしていない様子。さすがと言うのか歳の功というのか何というのか…。

 ようやく反対岸にウヨウヨいる観光客が見える所までさしかかったので、なんとなくホッとした感じ(人がいれば熊も近づかないだろうと)になったのも束の間、今度は空の具合が悪くなってきて、あっという間に青空だった空が灰色に塗り替えられてしまった。低くたれ込めた雲が、反対岸さえも遮り、さっき僕にホッと安堵の息をもたらせてくれた観光客たちが、煙の如くかき消えてしまったのである。そして大粒の雨が僕らを叩くようになると、いきなりビシッという音とともに、湖面をはうようにして真っ白い稲妻が走った。

 母を途中で置き去りにして(と言うと聞こえが悪いが「蓮の葉を傘の代わりにして雨宿りをして待ってるから車とってきてぇ」と、本人たっての願いを聞き入れただけなので誤解のないように…僕としてもそんなことをされては心配の種が増えるだけなので一緒に走らせようとしたところ、「もぉやだぁ」と言って「待ってる」と言いだしたのである)大慌てで再び食堂に戻ると、おばちゃんが出てきて「ここのはイタズラ者だからねぇ」と説明してくれた。そして「裏に温泉が出ているから暖まりなさいよ」とすすめてくれたのである(とりあえずは呑気に蓮の葉で雨宿りをしている母を迎えに行ったのはいうまでもない)。
 おばちゃんに案内されて裏手に行くと、土手から引っ張ってきたホースが、湯舟に温泉を満たしていたが、これぞ秘湯といったところだろうか。特にお客用に作られた風呂ではなく、出ているから引っ張ってきているだけだというその温泉は、裏庭にドッカと置かれた湯舟(正確にはドラム缶という)を取り囲むように立てられた建物、と言うより小さな掘っ立て小屋の趣の風呂場である。ホースから垂れ流しの温泉は、そのまま湯舟からあふれ出すと流し場の板敷きの隙間からどんどん地面に流れてゆく。板敷きは湯舟の高さと同じなので、湯舟に入るのは地面にもぐるような感じだ。温度もちょうど良く気持ち良い(ハービバビバ♪)。

 このスコールは局地的なものだと思っていたら、そこからずいぶん離れた釧路空港にまで影響を与えていたようだった。小さな空港なので、到着機が来なければ出発機にならないところ。だから羽田発の飛行機が、悪天候で着陸ができずに上空で旋回を続け、これで着陸ができなければそのまま帯広空港に変更するとアナウンスが告げられたときにはどういう意味かわからなかった。近くにいたサラリーマン風の男性が「飛行機が来ないと会議に行けません」という電話の内容の声を聞いたときにようやく事態が飲み込めた。つまり上空を旋回している飛行機が着陸できないと、僕らも東京に帰れないということなのである。母と「飛行機が来なかったらどうしようか」と、思案に暮れ、とりあえず札幌まで戻ろうということになった。

 その時場内に「再度着陸を試みますが、着陸できない場合は予定通り○○便は帯広空港に着陸の変更をいたします。その場合すべての予約席はキャンセル扱いにさせていただきます」というアナウンスが響き渡った。あまりにも淡々とした口調のアナウンスには、さすがの僕も驚いてしまったが、ロビーにいたサラリーマン風の男性が、心配そうな表情で一人また一人、次々に滑走路へ出ていくと、ロビーは異様な沈黙に包まれてしまった。

 しばらく沈黙がロビーの中に響き渡ったあとの数分後、「バンザァ〜イ!バンザァ〜イ!」と大喜びしながらスーツを着た大の男たちが手を叩いて戻ってきた。「やったぁ〜!着陸成功だぁ〜!!」と、大はしゃぎに騒いでいる。肩をたたき合う者、ガッツポーズをつける者、東京の会社に電話をする者。その時の場内の興奮振りといったら、飛行機が無事に到着しただけとは思えないような熱狂振りで、僕らもつられてそばにいた人たちと小躍りして喜びを分かち合った。