大井川鉄道

 大井川鉄道のけたたましいエンジン音が、幼い頃に乗った電車の記憶を呼び起こしてくれた。周囲の景色もまた、それに似合った景観をしている。車窓も暑さをしのぐために全開で、エンジンの音が景色の中でその一部と化すようにとけ込んでいく様が、一層そんな思いをさせてくれた。

 まだ金曜日という事もあって、学校帰りの学生に混じって、右に左に揺れる吊革を眺めていると、僕の地元の電車にでも乗っているような、僕がこの土地にとけ込んでしまったような気分だった。

 一気にここの観光地のメッカでもある終点の千頭まで行っても良かったんだけど、「何もそんなに焦らずとも」と、千頭行きの列車を途中の家山で降りて宿をとった。

 駅前も商店街も、ごくごく普通の町(というほど栄えていなかったが…)なのに、どうして宿が三軒もあるんだろうと尋ねてみたら、かつては川根路の宿場町として栄えた所だったという。僕たちが泊まった‘可愛楼’もそんな宿のひとつで、玄関先には創業時の頃の明治時代のモノクロ写真が、少しくたびれたような表情で、ホコリを払おうともせず掛かっていた。でも存在自体がここの歴史を物語るように大きく見えた。

 それよりも、祭りでもないこの時期にやってくる観光客もいないと、逆に宿の主人に珍しがられてしまった。

 大井川鉄道を終点の千頭で降りると、そこから先へはアプト式鉄道に乗り換え、奥大井のそのまた先の井川まで足を延ばすことができる。そこまで行くと井川湖に掛かる吊り橋や、山奥の秘境を味わうことができるわけだ。

 しかしなんといってもここの目玉は、週末にだけ運転されるSLと、このアプト式鉄道だろう。僕らもそのためにやって来たんだから。

 そのアプト式鉄道は井川ダム建設のために敷かれた工事用路線だったのを、観光用に整備し直した鉄道である。人が歩くのと同じくらいのスピードで走るもんだからまるで自分の足で歩いているような気さえしてしまう。

 そんなのどかな景観とは裏腹に、ダムの建設にはたいてい悲しい話が残されていて、僕はどういう訳か手放しでこの風景を楽しむことはできない。井川ダム建設もそんな秘話の上に作られ、ダムが完成してまもなく周辺の集落が水没したという。その集落というのは、ダム工事のために作られた仮設の集落だったのかもしれない。その中には五百戸以上あった集落もあり、当然駅も作られた。

 しかし今ではそんな駅の姿もなく、かつて駅のあった場所に列車が止まるだけで、降りる人もいなければ乗ってくる人もいない。この列車に乗っている観光客にとってみれば、「なんでこんな草むらで停車するんだろう?」って思うのかもしれない。駅を思わせるものは何もないし、獣道のような跡が一本あるだけだからだ。かつてはこの道を使って駅を利用していたんだろうか。
 ここの草むらに列車を止めるのは、水没してしまった集落と、廃舎にしてしまった駅への供養が込められているのではないだろうか。そんな目で周辺を見回してみると、列車を取り囲む草むらが、かすかに喜んでいるように思えた。
 夕暮れの深い山間にしみこむように消えていくSLの汽笛を耳にしたとき、僕は思わず体がブルッとするのを感じた。遠い昔に観た映画のワンシーンを思い出したからかもしれないし、子供の頃から憧れていたSLに乗っていることの感が極まったのかもしれない。とにかくブルッときた。