松島
 石巻から鮎川に向かうバスは、約1時間ほどで僕を終点まで連れていってくれた。出発したときは市街地を走り抜けるコースを通るので、地元の人たちが僕を見る“物珍しげな視線”を意識することができたのに、町の外れに来るまでにはほとんどの乗客が降りてしまった。楽しみを奪われたしまった僕はゆったりと後部座席に座って、ガランとしたバス車内とフロントガラス越しに流れてゆく夜の道を、映画のスクリーンでも見るようにぼんやりと眺めることしかできなくなってしまった。

 運転手に「ここが終点ですよ」と告げられて我に返り、即されるままにバスを降りると1月の下旬らしく、まだ夕方の6時だというのにもう真っ暗だ。このあたりは漁港だからなのか、近くに街灯や人家の明かりなどなく、あるといったら遙か沖合にユラユラ揺れる漁り火と、頭上の星ぐらいにしか感じられない。しばらくは「どうしたもんだ」と突っ立ったまま途方に暮れていると、潮風と共に聞こえてくる舟のマストのふれあう音が、右も左もわからなくなるぐらい僕を不安にさせた。身近な明かり(人)といったら、バス停にいる折り返しの最終バスの車内灯ぐらいなもので、「この人が行ってしまったら…」と考えるだけで僕の不安は更に膨らんだ。
 どこをどう行っていいかわからなかったので、これはもうバスの運ちゃんに聞くしかないなと思いバスに近づくと、車内灯の明かりで気づかなかった電話ボックスがポツンと立っている。「あぁ助かった」と思った瞬間バスはなんの前触れもなく扉を閉めて、暗闇の中に赤いテールランプだけを残し、吸い込まれるように行ってしまった。
 ふり仰げば頭上の星たちが「勇気を出せよ」と、いつもより輝きを増して僕を励ましてくれているような気がしたから、ウチの庭先で良くやるように星座を探して緊張をほぐそうと思った。周囲の風景が見慣れない景色でも、星空はどこにいても同じ表情で僕を待ってくれているので、星座の形がひとつふたつと浮かび上がってくると、とても和らいだ気分になれるからだ。これは星好きの人だけに与えられた特権ではないだろうか?

 気分も落ち着いたところで電話ボックスに入り、予約を入れておいた民宿に電話を入れてみる。相手が出てきたので「あのォ…予約していた皆川ですけど…」と話し始めると相手の様子が変だ。狭い電話ボックスの中だと自分の声だけがやたらとこもって聞こえるから、相手の声が妙に小さく聞こえ、ずいぶん遠くにいるのかなぁと勘違いしてしまう。
「…」「今鮎川についた所なんですけど…」と言うと、暗い表情で「えっ?いらしたんですか!?」と意外な答えが返ってきて僕を驚かせた。電話ボックスの外は真っ暗で、バスのテールランプも今はもう見えなくなってしまっている。僕が不安におののき焦ったのは言うまでもない。まさかそんな返事が返ってくるとは思ってもみなかったからだ。
「もう来ないかと思っていたんで食事の用意ができないんですよ」
僕は「食事はいりませんから、なんとか泊めて下さい」と哀願するような口調で頼むと、しばらく沈黙が続き(どうやら奥で相談しているらしい気配が伝わってきた)息を呑んで待っていると「じゃあ、とりあえずいらして下さい」と言ってくれたので、ホッとしたと同時にひとまずは何とかなりそうだと思った。

 「仙台に着いたら一度連絡して下さい」と予約の時に言われていたから、しかりものの僕は着いた当初はすぐに電話をいれている。でもその時は留守中らしく誰も出てくれない(浜辺の民宿と聞いていたから「漁にでも出てるのかな」と思った)。何度かけても出てくれないので、連絡は後回しにして“松島めぐり”の遊覧船に乗ることにした。民宿の人の話だと遊覧船は休航と教えてもらったから「今日は直接鮎川まで行って、宿からのんびりと潮騒の音でも聞いていようかな」なんてことを考えていた。そのことを言うと宿の人も「ぜひそうしなさい」と相づちを打っていたのだ。しかしこの予定変更と最後まで電話をかけなかった(というよりかけられなかった。なぜなら電車やバスの乗り継ぎにかけるつもりでいたのに、その乗り継ぎ時間が2分とか3分しかなかったからだ)おかげで、僕はこの日のカニ鍋を食べ損なうことになったのである。

 今日の宿泊客は僕だけだったから、わざわざカニ鍋を作って出迎えようと朝から用意して待ってくれていたという。年に何人かは宿泊の予約をしているにもかかわらず、なんの連絡のないままキャンセルする人がいるらしく「3時には鮎川に着くと思います」と言っておきながら、6時を過ぎても連絡をしなかった僕をそのひとりだと思ったらしい。だから突然やって来た釣り客にそのカニ鍋を出してしまったという。
 僕が電話で話をしたときには「食事の支度ができない」と言っていたのに、その夜あり合わせで用意してくれたという食事は、海辺の宿らしく豪華な海産物でテーブルが埋め尽くされた。翌朝の食事も、テーブル狭しと並べられた刺身の多さに目を白黒させていると、そんな様子の僕を見て支度をしてくれてるおばさんが「刺身ばっかしでごめんなさいねぇ。本当は昨日カニ鍋を用意していたんだけど…」と、昨日僕がやってくるまでの出来事を話してくれた。昨日の釣り客のおじさんたちは「予約なしの飛び込みで泊めてもらえたあげく、しかもこんなに安い料金でカニ鍋まで食べられるなんて!」と大喜びだったという。そういえば昨日の晩、隣の部屋からはなにやら陽気なムードが漂っていたから、一人で部屋にいた僕は「なんだかうらやましいなぁ」と、気にしていた自分を思いだした。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 金華山を見て歩いた翌日、バスと電車を乗り継いでふたたび松島海岸に戻り雄島と瑞巌寺を歩いた。鮎川や金華山方面に行っているあいだは、まぶしい青空の下を歩くことができたけど、ここ松島海岸に限って言うと、ずっと灰色の雲につきまとわれていた。それでもそれ以上は変化のない空模様だったのに、ここに来て初めて灰色のあちこちに点々と黒いものが舞いだす光景にでくわした。雪は下から見ると黒い影になって見えるから、意外とよく見えるものだ。はじめのうちは頭にかかる雪を払いながら歩いたいたけど、やがて本降りになると僕は払う手を止めた。
 降り積もった雪のおかげで色づくものはすべて生気を失い、白と黒だけの世界に変わり果ててしまった。それは、まるで水墨画の中にでも入り込んでしまったかのようで、寒さがその美しくも孤独な風景の中に身を置いている僕を呼び起こしたのは、足下にかなりの雪が積もってからだった。
 僕が水墨画のような松島を孤独な風景と感じたのは、雄島のいたるところに掘られた無数の穴のせいだと思う。これらの穴は、その昔若い僧たちが自分自身の道を極めるために座禅を組んで修行するために掘った痕だという。僕にはこの穴が自分との孤独な戦いにたえた跡のように見えたから、水墨画のような松島に孤独を感じたんだと思う。
 とにかく雪はあとからあとから降り続け、黒かった地面がみるみるうちに白く塗り替えられていくのを見届けるのに、大した時間がかからなかった。
 降り続ける雪だけを眺めていると、それだけで体のシンから冷えてくるので、僕は小じんまりとした料亭に入り、体を温めることにした。注文したカキ鍋をつつきながら、白く曇ったガラス窓の向こうには「何もないんじゃないか?」と目を凝らしてみると、雪をはねる車の音だけが聞こえてくる。
「初めて松島に来て、しかも雪景色が見られるなんてついてますよォ。この辺は東北といっても太平洋側だから、めったに雪は積もらないんだから…」火鉢に当たりながら焼きたての笹かまぼこを頬ばっていると、熱いお茶を運んできてくれた店のおばさんが話してくれた。そういうことならもっともっと歩き回らなければと、体を温めるのもそこそこにして、再び白と黒だけの寒い世界へと戻った。
 「めったに出会うことのない松島の雪景色を見に来ないなんて…」みんなコタツの中で猫のように丸まっているのだろうか?僕以外に出歩いている人の影を見つけるのは、もはや困難なように思われた。
 多くの人はガイドブックにでも載っているような、普通の表情さえ見れればそれだけで満足なのかもしれない。何も青空だけがその風景を良く見せてくれるわけではないし、雨の日や陽が暮れたあとだって、その土地の風景なんだから、僕は晴れ渡った空の下の風景が見れなくたって満足することにしている。つまり、いつもと違った風景が見られると考えるだけで、旅の楽しさも損なわれることなく続けられると思っているからだ。まぁ雨男の言うことだから、たんに諦めからきているのかもしれないがー。